第3章 第二次インド遠征
紀元前315年
マケドニア軍が東西に戦線を拡大していくと、アレクサンダー大王の遠征は前よりも厳しさを増していた。
東部方面軍は、大多数の軍船をアラビア半島の各港に用意していた。マケドニア海軍は、アラビア半島を出発したが大きな困難に遭うのであった。
航海途中の海軍は、大嵐に遭い多くの兵士を失っていた。それでも、アンティゴノスは勇将のプライドにかけて大王の命令を最後まで果たそうと航海を続けていた。マケドニア海軍は、大嵐による困難を乗り越えてようやく南インドに到着した。しかし、南インドには前のインド遠征以上に強大な難敵が待っていた。
インド軍の一部には、ドラヴィダ人や強大を誇っていたマウリヤ朝軍が兵力の大半を占めていた。このため、マケドニア軍は前のインド遠征以上に苦戦を強いられていた。
流石のカッサンドロス軍は、インド軍のゾウ戦部隊の前には相当苦戦を強いられていた。インド軍は、インドゾウを駆って多くのマケドニア軍兵士を蹴散らしていた。しかし、勇将カッサンドロスはインドゾウの天敵であるベンガルトラを使った奇策を用いた。すると、多くのインド軍兵士はベンガルトラの襲撃に手を焼いていた。マケドニア軍は、逆にインド軍を圧倒していた。ドラヴィダ族の軍勢は、マケドニア軍にとって難敵だったが辛うじて駆逐することに成功した。
南インドを制圧したマケドニア軍は、北上していき中央インドに進出した。対して、マウリヤ朝軍は、チャンドラグプタの指揮下マケドニア軍の迎撃を図った。マウリヤ朝軍は、ゾウ戦術でマケドニア軍を苦しめた。
インドゾウの大群が、マケドニア軍兵士を踏み潰したりしていた。マケドニア兵は、槍でゾウの足を突き転倒させた。インドゾウの大群に手を焼いたマケドニア兵も、次第に慣れていきゾウ戦術を打ち破っていった。
やがて、インド軍はマケドニア軍の相当な強さに逆に退却していった。こうして、マケドニア軍は第二次インド遠征を制した。
第二次インド遠征で、マケドニア軍は大嵐に遭った時を含めると6万人もの死傷者を出した。兵力を多く失ったのでカッサンドロスとアンティゴノスは話し合い、インドで休息を取りバビロンへと戻ることにした。
こうして、マケドニア軍はバビロンへと一時帰還するのであった。