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①『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない/鴨志田 一』

「こんにちは」

「ええこんにちは」

 彼女は、ちりとりを持って腰をまげ視線を落とした行太の精一杯の笑顔をちら、と一瞬だけ見るとすぐに視線を手元のカバー付きの

文庫本に戻した。

「今日はいい天気ですね」

「そうかしら、曇ってない?」

「俺にとっては曇りも太陽の暖かさを知るためにはいい天気だと思うんで」

「いい考え方ね」

 再度彼女は行太の精一杯の笑顔を見て再び視線を文庫本へ。

「……何かしら?」

「いや今日も美しいなぁって」

 軽く波を描いて肩の下でもいる彼女の黒髪は艶めいていて、曇りで蛍光灯のみに照らされていた今日も行太の視線を良く引いた。

「ありがと。でもあなたの顔は少し気持ち悪いわ」

「悪くない。イメージ通りだ」

 行太が深く頷くと再度視線をあげてきて、怪訝な顔をしてくる。眉を潜めたその顔も、ぱっちりと開いた目ときれいに整った鼻と小さめの唇で見る者をゾクゾク……じゃない、様になっている。

「少し気持ち悪いという俺の今の心の内を表現出来ているなら満足です」

「どうして?」

 やったここまで来ましたか、幾分誇らしい気分になって行太は立ち上がり腕を組んだ。そして座る彼女を見下ろす。見上げてくる目の怪訝な感じが良い。うん良い。

「茜さんが机を下げてくれる事で本日の掃除は完遂します。茜さんが下げなければ永遠に完遂しない。俺は今宙ぶらりんなわけです」

 そこで彼女、茜さんはわお、と口を少しあけて驚き、机の両端を掴んだ。そして中腰になると黒いニーソックスを履いた長い脚の動きでガラ、ガラと椅子を引きながら机を持ち上げて後退を始めた。お行儀が良くない。

「横着するなら引きずってください。しないならちゃんと分けて下げてください」

「そう?」

「あ、いや待った。やっぱりそのままでいい。むしろもうちょっと、そう屈む感じで。オーケーオーライ」

 茜さんは細身の割に胸がある。机の端がお腹に当たってブラウスが引っ張られるのでそれが良くわかるようになっていた。

「……っ!」

 ガタン、と音を立て行太の視線に気づいた茜さんはすらっとした身体をまっすぐ伸ばして立ち上がった。顔が赤い。行太はその顔に満足したが首を振った。

「困りますね」

「何で君が困るのよ」

「視線で男を痺れさせる女子で行くならキャラがブレてはいけません」

「しゃべりながら私の椅子引かないでくれる?」

「へぇこれがかねてより噂の……茜さんの椅子か。使い回しのはずなのに汚れてないな。座ると茜さんのヒップにつられて綺麗になるんですかね」

「どこでいつからかねてよりなのよ」

 ひゅ、と伸びてきた脚を交わし椅子を持ち上げて窓際の一番奥まで持っていく。行太は屈み床の升目を見て律儀に定位置にセットする。満足。

 机を持ってきた茜さんは一瞬椅子に座るのを躊躇ったが、ため息を吐いて座った。かすかな勝利感。

「私が駆け込めば勝てるわよね」

「茜さんが毎日掃除の時間に座り続けて本を読まなきゃいい話です。で今日は何を読んでるですか?」

 行太は椅子だけがらがら引きずって座り茜さんの机の向かいに陣取った。

「いや掃除しなさいよ」

「茜さんを倒せば後は貧乳の雑魚しかいませっ」

 持っていた文庫本でひっぱたかれた。でも事実窓際の列に座っている女子は全員スポーティーなのだ。物は言い様。これは褒めている。

「うーん、これは……おおかわいい。バニーちゃんだ。またラノベかあ」

「大きな声で言わないでよ。な、何読んでてもいいでしょ」

 し、と細い人差し指を唇につける。ならここで読まなきゃいいのに。

「でも今もう俺たちしかいませんよ」

 廊下を時々通る声は聞こえるが、掃除当番は皆動かない読書人を行太にまかせて出ていった。

 行太はめげることなく机の上に放り投げられたカバーを取り眺める。裏表紙にはデフォルメされた女の子のバニーキャラがついている。

「『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』。なんだか長いタイトルですね。今はやりの奴ですか? 長いタイトル」

「〈何々は何々の何々をするか?〉はタイトルとしての一つの流れよ。そういう意味では歴史あるの」

「……〈ドイツ軍人はうろたえない〉?」

「おしいけど今は違うわ。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』とかね」

 なんだかんだと、茜さんは行太が本の話を振れば答えてくれる。

「何で手に取ったんですか?」

「棚に行ったら平積みされてた」

「身も蓋もないですね。読書人気取るのやめたらどうですかね」

「気取ってないわよ!」

 行太の手から文庫本をとる。カバーだけ行太の手に残っていて、かわいい制服を着たかわいい女の子が机に座っていた。

「ご感想の程をどうぞ。ネタバレも厭いません」

「……言ったら解放してくれるの?」

 神妙に頷くと、ため息とともに調子が狂うわ……と言っておでこに手を当てた。様になっている。かわいさと美しさを併せ持っている。

「舞台が神奈川で海の近く。青春小説の条件ね。ラストはクリフハンガーだから一巻では完結しないわ。ヒット作をもう持ってる人の作品の特徴ね」

「え、これ山登り物なんですか? スタイリッシュボルダリングアクション?」

「何よそれ……今海の近くって言ったわよね」

「ムキムキの主人公の目前でするりと抜けて転落していった女性の手?」

「それはスタローン」

 ひく、とこめかみの血管がひきつった。潮時。

「嘘ですそれくらい知ってます。〈倍返しだ!〉だ!」

「そうそれ。起伏がついてて物語は完結したんだけど、続きが気になる引きがうまく作ってある。この辺はうまいって思うわ」

「ストーリーぜんぜんわかんないんですけどまず普通そっちから言いません?」

「何なのよ君は……」

「渡瀬行太十六歳です」

「知ってるわ。私が言いたいのはそういう事じゃなくてね」

「続きをはやく」

 バン、と半分笑ったのような怒りの拳を机にぶつけにらんでくる。おっと怖いと両手をあげてのけぞった。ため息をつくと渋々続けた。

「主人公梓川咲太は携帯を持っていない高校生。超絶人気役者で現在休業中の美少女桜島麻衣がバニーガール姿で図書館にいるところを目撃したんだけど……」

「え、バニーガールってそういう事? 何でバニーガールが図書館にいるの? 携帯持ってないの? バカちゃう?」

「ってなるでしょ? だから入りもうまいわけ」

 自分の事でもないのに自分の事のように茜さんは胸を張った。いや胸を張ってもらえれば満足です。

「でも麻衣ちゃんは周りの人に姿が見えないの。何でかって言うと思春期症候群って奴にかかっちゃっていて、それは主人公の妹もかかっているんだけど」

「うっわ出たオリジナル病。嫌なんだよなぁそういうの」

「君はもうちょっと人の話を落ち着いて聞けないの?」

 茜さんはしゅ、と手を伸ばして文庫カバーを行太から取り上げようとしてくる。とられたら帰りかねないのでかわす。

「別に思っただけです。ちょっとだけ」

「この思春期症候群は症候群ってついてるけど、大事なのは思春期の方で、いろんな事で簡単に傷ついちゃう思春期の危うさを表しているのよ。強がりながらも人から見えなくなっていく事におびえるヒロインや彼女や妹のために動く主人公はやっぱりかわいいしかっこいいわよ」

「まあ多感ですからね。特に俺とか俺や俺。ガラスどころかシャボン玉でハートが出来てますよ」

 どの口が言うのよ……と茜さんは言ったが、それでも続きをしゃべり始めた。

「周りの空気に支配され従ってしまう心地よさと、それに抵抗したい抑えられない気持ち。その二つの間で苦しむ主人公と妹とヒロインってわけ。主人公は昔変な噂が立って胸に傷が出来て、妹はSNSで悪口を広められて引き裂かれるような辛い気持ちになって、身体が実際に引き裂かれてしまった事がある。ヒロインは初め誰にも注目してほしくない気持ちや周囲からの妬み嫉みがすごいあって、姿が見えなくなって行った。だからバニーで図書館にいても平気だったの」

「そっか……それでヒロインと主人公がお近づきに。でもなんか無理矢理だなぁ……引き裂かれちゃうの? 身体が?」

 ちょっと無理矢理作りすぎじゃない? と行太は思ったのでそう言ったが、茜さんはチ、チ、と指を振った。こうして無理矢理本の感想を聞かないとみれないレア映像だ。

「あのね、周りの空気とか世界にうまく併せる事の出来ない主人公たちが皮膚に病気を抱えるっていうのも立派な表現方法の一つなの」

「嘘だあ」

「ほんとよ。空気や世界と実際にふれあっているのは皮膚じゃない。だからそこに異常が出てくるわけ。出来ものとか、爪がゆがんじゃうとか、透けるとか。五体が満足でなかったりするのも普通の人とは世界とのつきあい方が違うって表現になるわ。象徴ね。あんまりこの言い方好きじゃないんだけど」

「でもなあ。俺古い本読まないし、茜さんがこのバニーちゃんを庇ってるだけじゃないんですか? 茜さんバニー着るの好きですよね」

「いつ私がバニーで君の前に出たことがあるのよ……芥川賞作家も使ってるわ。ていうか定番」

「すごいんだなこの作家見直したわ。誰?」

 再び景気の良い音がして、本で頭を叩かれていた。

「何で中身を話してあげたのに看板に一番反応するのよ!」

「人は周りの空気に支配されるんです! 後バニー着て俺の前に出たことないの下りもうちょっと詳しくお願いできますかね? どこに行けば茜さんバニーverと出会え……」

 スクールバッグが脳天に飛んできた。行太のと比べて重くてパワーがあった。

「帰る」

「あ、今のは冗談です! バニーの代わりにじゃあ、良くなかった所も教えてください。なかったんですか?」

 立ち上がって帰りかけた茜さん行太の声に止まり、うー、あーもう、と言ってから乱暴に本をめくり始める。

「続くのが前提だから後輩女子とか、主人公友人同士の色恋模様とかは完璧に顔見せただけ! だからそういう意味じゃ一巻で考えたらだめかもね! 後周りの空気に抵抗うんぬんの所、地の文で書きすぎてちょっと味濃いわその辺り」

「そっかーじゃあ読まんどこ」

 ぐるん、と振り返った茜さんのスクールバックの軌道を確認して椅子から立ち上がる。

「君は……私の時間をどれだけ食っといてその発言なのかしら?」

「だったらさっさと茜さんの人生最高の一冊を教えてくださいって。読書人としての誇りを込めた、至高の一冊を」

「何で君に教えなきゃいけないわけ?」

「あるんですか? うっわー至高の一冊とか。ひょっとして四天王とか八賢者とか、そういう単語好きでしょ茜さん。そうじゃなかったらラノベ読まないし」

「な、そそんなのないっていつも言ってるでしょ! 何でそんな中学校二年生みたいな事しないといけないのよ!」

 顔を真っ赤にして叫ぶ茜さんはかわいい。いつも授業中に見るクールな茜さんから離れたピクピクと眉をふるわせる彼女ににらまれて、行太は笑顔で親指を立てた。

 茜さんはくるりと髪をなびかせて、後ろのドアから出ていこうとする。

「教えてくれないなら、また感想を聞かせてください」

 その言葉にドアの向こうで一瞥だけを行太に残して、茜さんは歩いていった。


「さて、片づけるか……」

 茜さんの前にある貧乳の雑魚共の机を戻しながら窓から校庭を見る。

 サッカー部や野球部の奴らのど真ん中を歩きながら校門まで一直線に進む茜さんの後ろ姿は遠目でも美しかった。


 行太は茜さんに一目惚れだった。もう一秒惚れだった。だから毎日なんとか話がしたくて話しかけているけど、今のところうまくはいかない。理由が邪だからだろうか。本なんて読まない。やけにお姉さんっぽいなと思ったら、なんと留年していて本当にお姉さんだった。二人とも高校一年生だ。でも留年してるから、茜さんは行太が入学してからこっち三ヶ月、いつも一人だった。

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