その笑顔に逢いたくて
日付が変わって少しした頃。突如、がちゃりと扉が開く音がする。音の主をいち早く察した私は、一目散に玄関へと駆けていった。
やがて私の姿を認めた彼は小さく微笑んだ後、いつものように私を抱き上げてくれる。
「ただいま、澄華」
「おかえりなさい! 今日は、随分遅かったんだね」
「ごめんな。ちょっと仕事が立て込んじゃって……もう遅いんだから、先に寝ていても良かったのに」
「ううん! 貴方が帰って来ないのに、眠れるわけないじゃない!」
彼、鳴海蓮は、私の同居人だ。何もしない居候の身の私を、何の迷いもなく受け入れてくれる。
恋とか愛とか、そういうのを全部ひっくるめて――私は彼が好きだ。私達を隔てる壁は大きいけど、いつかきっと乗り越えられるって信じてる。
蓮さんは私を下ろすと、目線を合わせながら問いかける。
「澄華。今日も、ちゃんとお留守番出来たか?」
「当たり前じゃない! 貴方がいない間、この家を守るのは私なのよ?」
「そうかそうか、偉いぞ」
途端、蓮さんは破顔して私の頭を撫でてくれる。彼はいつも私の事を可愛がってくれるのだ。
「さて、これから一緒に仲良くお喋り――と言いたい所だが、お前ももう疲れているだろう? 俺は一旦シャワー浴びてくるから、お前はもう寝てなさい」
優しいながらも、有無を言わせぬぴしゃりとした言葉。逆らえない事を悟った私は、すごすごと元居た場所へと戻っていく。
「よし、いい子だ。おやすみ、澄華。明日は、もっといっぱいお話しような」
少し切なげな蓮さんの声。多分、私と同じくらい、寂しいんだろうな。
そう思うと、ちょっとだけ嬉しくなった。
ピチチチチ。いつものように小鳥のさえずりで目を覚ました私は、ふと違和感を覚える。
この時間、いつもなら台所の方から、お味噌の匂いが漂ってくる筈なのだ。それが今日に限って全くない。健康主義者の蓮さんが、朝食を欠かすとは到底思えないのだが。
――もしかして、寝過ごした!? 一抹の不安が私に過る。確かに、蓮さんがもう出かけちゃったのなら、朝ご飯の匂いがする筈がない。
――折角、いっぱいお喋りする約束したのにな。
私はとぼとぼと台所に向かう。思った通り、そこに蓮さんの姿はなかった。
「……はあ」
思わず溜息をついてしまう。これまでにも寝過ごした日は何度かあったが、その度にいつも後悔する事になるのだ。
暗い顔ですごすごと部屋を後にしようと思った時――不意に、その音は聞こえた。
スー、スー……。
一定に聞こえるその音。もしやと思い、リビングに続く居間を覗いてみる。
案の定、そこには蓮さんが眠っていた。
シャワーを浴びた後、疲れてすぐに眠ってしまったのだろう。ソファーにもたれかかる蓮さんの体は、見慣れた部屋着のスウェットに包まれていた。
朝だよ~。そう言って起こしてみようかと思ったが、ふと思い直す。
昨日、あんなに疲れていたんだ。少しくらい休ませてあげても良いだろう。
けれど、そのままでは蓮さんが会社に遅刻してしまう……。
――そうだ! それなら、私が朝ご飯を作ってあげれば良いのだ!
いつもお世話になっているのだ。たまには、お礼の気持ちを示すのも悪くない。
突如思いついた名案に、私は頬を綻ばせる。頭の中に浮かぶのは、笑った顔の蓮さん。……うん。やっぱり蓮さんは、笑顔が一番。
そう思った私は、いつもの蓮さんの行動を思い出す。
確か蓮さんは、冷蔵庫にある卵を割って、ボールに入れて、それをかき混ぜて、フライパンで炒めるんだ。お味噌汁は難しそうだけど、これなら私にも出来るかも。
――よし、まずはやってみよう!
そう思った私は、冷蔵庫の取っ手へと手をかけた。
ガッシャーン! 物凄い音と共に、私は床へと落下する。
器用に冷蔵庫へとよじ登った私だが、流石に下りる事は容易ではない。卵を手に入れた後、慎重に下りるつもりが、足を踏み外してしまったのだ。
その時咄嗟に掴んだ瓶ジュースも、一緒に被害に遭って――という事だ。音を聞きつけたのであろう蓮さんが、慌ててこちらへとやってくる。
「一体何事だ? ……澄華! 大丈夫か!?」
割れた瓶の中から、私は無事救出される。蓮さんは私の両頬を手で押さえつけると、無理矢理視線を合わせた。
「何をやってるんだ、お前は。台所には入るなっていつも言ってるだろ?」
「ごめんなさい」
怖い顔の蓮さんを見て、私はしゅんと項垂れる。喜ばせようと思ったのに、これじゃ逆効果だ。
私が反省している事に気付いたのか、彼はふっと表情を緩め、困ったように言った。
「まあ、猿相手にそんな事言っても、分かんないもんな。ごめんな、怒ったりして」
「違うの! 私、蓮さんに朝ご飯を作ろうと――」
キキッ、キキッ! 私が何を言っても、あの人には届かない。だって、蓮さんに猿の言葉は分からないから。多分、拗ねているようにしか見えないんだろう。
それでも私はこの人が好きだ。例え私達が、“主人とペット”の関係だとしても。
ドラスティックによろしくお願いします!!