好きじゃないこの子
「私、あの子嫌い」
いきなり君がそう言うもんで、でもそれはなんの変哲もないいつも通りのことで、私は君の隣でうん、と一回だけ頷いた。
「萌花さんのこと?」
「そう。なんかさ、あいついっつもいる友達以外とマジで喋んないじゃん。こっちが話しかけたら、え、なんですかー、みたいな。あれ嫌いなんだよね、なんかさ、なんて言うんだっけ、はい……うんちゃらみたいな態度」
よく喋るなあ、と毎度思う。だけどそれは別に悪いことじゃない。君の話にうんうんと頷き続けることに対し、私はそれほど悪い感情を抱いていなかった。たとえ、話題が誰かの悪口であったとしても。
「排他的?」
「そうそれ。排他的。よく知ってんなあ」
にやついている君の横顔を、ずっと見ていた。私達の背の方から放たれた空の光が、窓越しに君へと乗っていた。君の黒い髪の一部が、光のせいで白く輝いている。
私はそれを見ていた。
--- *** ---
嫌いという言葉が嫌いになったのは、いつだったか。もうずいぶんと前からこうなので、詳細な時期は思い出せない。
ただうっすらと、悪口を耳に入れたくなかったし、自分から言うのはもはや論外ですらあった。
清楚ぶっているわけではない。私なんてはなから優等生でもなんでもないし、普段は不真面目で極端な才能が眠っているわけでもない、特別で壮大な使命を背負っているわけでもない、当然超能力を使えるわけでもない。どんな都道府県にも五千人ぐらいはいるであろう、日本の高校一年生だ。あと女。いわゆる華の女子高生というやつだろう。
だが、今の女子高生に大した華などない。ある子もいるかもしれないが、そんなのは限られた美人か金持ちの話だ。大抵は華など持っていない、普通の子である。
しかもここは東京でもない。東京なら、華やかな女子高生もさぞ多かろう。だがここは埼玉だ。東京に近いけど、あくまでも東京そのものではない。自分が住んでいる県にこんな言葉を投げかけるのもなんだが、微妙な県だ。住みたくないわけではないが。
埼玉の平凡な高校一年生が、悪口なんて言ったり聞いたりしたくないんですとのたまったって、それが誰かに評価されるわけではないだろう。それどころか、なんだこいつ、と思われて終わりだ。
人は悪口を言い合って、互いの汚い感情をどうにか許容し合って生きていかなければならないんだと思う。嫌い、話したくない、キモい、顔も見たくない、不幸になればいいのに、心の中であいつのことをめった刺しにしてやった、二度と近寄りたくない。
そういうゲロのような気持ちを、最低限人に渡せるように体裁を整えて渡して、渡された人はそれをどこかにそっと捨てる。バレないように気を付けながら。
そうして互いの過激さを聞き流し合って、私達は社会の中で生きるんだろう。そうするしか、今のところ方法がないのだろう。
高校生がなにを知ったような口を、と言われるかもしれない。大人からすれば、今私が語ったことなど浅いのかもしれない。
でも、私にも私なりの根拠がある。
学校は小さな社会、とはよく言ったものだった。
「おはよお」
「おはよ」
今日も担任にバレない程度にスカートを折って、髪を巻いている。よく見たらメイクもしている。校則破り放題の友達が、教室の後ろのドアを開けて席にやってきた。
「ねえあのさ、聞いて? 昨日の夜さ、推しがインライしててさ、コメントしたら読み上げてもらえたんだけど。ガチ神」
「あ、そうなの。ごめん、玲奈の推し誰だっけ?」
「は? 忘れんなし。スーアイのアキ」
スーアイのアキ。今絶賛流行っているアイドルをなんとなく推している、まさり流行りの女子高生といった感じだ。玲奈はいつも、私からしてみればそういう女の子だった。
こういう子を、まさに華があるというのだろう。別に華麗なわけではない。華麗で上品な女子はガチ神とはしゃぎはしないだろう。
もっと現代的で、どこか圧のある華やかさを玲奈は持っていた。私はそんな彼女のことが、わりと嫌いではなかった。
「あー、アキね。あ、ねえてかさ、今日出す課題むずくなかった?」
「え、それな? なにあの数式意味分かんなかったんですけど、やっててペン折りそうになったわ」
だるすぎ、と言いつつ玲奈は今日も私の隣の席に座る。そしてなんだかんだやってきた課題のノートを机の上に出すのだ。ノートは無地のもの。そこに柄なんかがデコレーションされていて、おしゃれだ。
数学の小清水先生はこういうデコ系の物に甘いどころかむしろ好きだから、玲奈も堂々とこういうことをやっているのだろう。歴史の岩田先生のときはこんなことないのに。
玲奈は世渡り上手だと思う。私目線での話だが、要領もいいし正直言うと顔もいいし、そしてなにより悪口を吐いて吐かれるのが上手いんだ。
「てか今日の部活紗菜来るらしいんだけど。うちあの子嫌いなんだよね」
「紗菜? ああ、三組の……」
「そう。あいつあんま普段部活来ないのにさ、なんか一回来たらイキってくるっていうか。場仕切りたがり? それするならもっと来いよって」
私は三組の山口紗菜が部活にあまり行かない理由を知っている。あの子には年の離れた弟がいて、お母さんが病気で入院しているのでその弟の面倒を見なければいけないんだそうだ。お父さんは弟が生まれてから数ヶ月後に事故で死んでしまったらしい。
他の子から聞いた話だが、実際この前紗菜が小さい男の子と手をつなぎながらスーパーで半額の惣菜を買っているところを見かけた。多分その子が弟で、聞いた話は本当なのだろう。
相手にそんな事情があることも知らず、玲奈は知ったようなことをぺらぺらと。しかもこんな朝からだ。一限も始まっていないこんなタイミングから、君はなにを喋っているのだろう。
「……てかさ」
玲奈が数秒黙ってから、また口を開いた。左隣の私を見つめながら。
「瑞季は嫌いな人いないの?」
「え?」
私の方から間抜けた声が漏れた。こんなことを聞かれる日が来るとは、全く想像もしていなかったのだ。玲奈は自分だけが話すことが好きで、相手の話をうんうん頷いて聞くようなタイプではないと思っていたので。
「なんで私の話なの?」
「いや、なんか瑞季が誰か嫌いって言ってるの見たことない気がして。嫌いな人いないの?」
「まぁ、いないって言ったら嘘になるけど」
「なにそれ。で、誰なの?」
返答に迷う。誰なのと問われても、嫌いな人がぱっと頭に浮かぶわけでもなかった。誰か気に食わないやつとか、バイト先の嫌な客とか、テレビで見かけたら毎回チャンネルを切り替えるレベルの芸能人を、どうにかこうにか頭に浮かべようとひねり出してみた。
だが、あまり思いつかなかった。一人以外は。
「もしかしていない感じ?」
「いや……秘密にしておこうかな」
「えー、私そういうの嫌なんですけどー!」
言えない。その一人の名前は絶対に言えない。少なくとも目の前の君には言えない。
君が嫌いだ。
--- *** ---
君のことを、浅はかだと思っている。単純な脳みそで生きていて、流行りにばかり左右されて、そうしないと生きていけない。一人ではなにもできない。常に世界のどこか、誰かにひっついていないと生きていけない。引っ付き虫のような存在だと思っている。
確かに顔は可愛いが、君自身はそれに満足していないらしい。韓国行って整形したいだなんてことを、毎日毎日言い続けている。
君よりブスな私はじゃあどうすれはいいんだ。君が韓国に行くなら私はどこに行けばいいんだ、ブラジルにでも行ってやろうか。
瑞季だって可愛いよって言うが、それだってどうせ嘘だろう。見せかけの褒め言葉だ。君はそういうのが得意だから。
世渡り上手で、浅はかで、性格が悪い。君はそういう人間だ。
――でも、一応、私は君のことを友達と思っているのかもしれない。君がどう思っているかは分からない。
君にとっては、ちょっと親しげに話すだけの同級生の一人かもしれない。でも私にとっては、数少ない女友達だったかもしれない。
友達、と呼べるのか。この気持ちは、友情なのだろうか。きっと違う。友情はこんな汚い形をしていないはずだ。正解の形は、映画の中でしか見たことないけど。
私にとって、君はなんだ。
それだけがいつまで経っても分からない。佐藤瑞季にとって、桜井玲奈とは、どういう関係値の人間なのだろうか。
好き、かもしれない。でも同じぐらい、嫌いなのかもしれない。
よくよく考えれば、友達なんてそんなものなのかもしれない。映画は映画で、現実は現実。実際の友情っていうのは、結構汚い形をしていて、やはりそれを体裁を整えて渡すことがこの世の美徳なのだろう。
君はそれが上手いんだ。
だから私は、君の悪口を許せた。君のなら、汚い感情も汚い言葉も許せると、思って、しまったんだ。
言えなくてごめん。ありがとう。




