04 選択肢のない契約
「何でも引き受けてくれる優秀な密偵と聞いていたが?」
「限度がございます」
「こんなにも報酬を出すのに?」
「額の問題ではありません」
「困りましたね……」
依頼人の目の前でシエラは正座をして地面に座っていた。
対峙する男はわざとらしく眉をひそめ、顎に指を当てて天井を仰ぐ。
だが、その仕草に本気の困惑は微塵も感じられない。むしろ、次の一手を思いついた時の顔だ。
(……まったく、腹が立つ)
出会った瞬間から思っていたが、この男──顔が良い。
無駄のない整った顔立ちに、柔らかく整えられた髪。服装も上品で、いかにも「育ちが違う」と主張してくる。
今まで会ってきた貴族の中でも、正直言って頭ひとつ抜けている。
だからこそ、その口から出る言葉が信用ならない。
「では、理由を聞かせてもらえるかな?」
少し間を取って正座し直すと、男もソファに深く腰を下ろした。
その動き一つ取っても余裕があり、まるでこちらの出方を楽しんでいるかのようだ。
互いに探り合う沈黙が流れ──その空気を切り裂くように、部屋の扉が開いた。
「おや、まだ交渉中でしたか」
軽い調子で入ってきたのは使用人のレーヴェだ。手には茶器がのった盆、顔にはいつもの胡散臭い笑み。
「大変だレーヴェ、彼が仕事を引き受けてくれないらしい」
「それはそれは。あなたが断られるなんて、明日は槍でも降るんじゃないですか?」
「やめなさい、不吉なことを言うのは」
……こいつら。
どう見てもこの状況を娯楽として消費している。
「そもそも、その依頼内容が気に食わないと言っているんです」
「ほう?」
男は興味深そうに身を乗り出す。
「殿下絡みの案件。しかも水面下での工作。失敗すれば切り捨てられるのは私でしょう?」
「成功すれば名も残らず、失敗すれば責任だけ残る。確かに不公平だ」
さらりと言うな。
その口ぶりが「それの何が問題だ?」と言っているようで、余計に癇に障る。
「私は道具じゃありません。なるつもりもありません」
そう言うと、男は一瞬だけ目を細めた。
笑っているが、試している目だ。
「道具でないなら、交渉相手ですね」とレーヴェが軽い口調で呟く。
「……」
「安心しなさい。こちらも無茶は好みません。ですが──」
男はテーブルの上に先ほどまで持っていたティーカップを置いた。
「この件、実はもうすでに動き始めています。今さら止めるとなると、少々……周囲が混乱する」
「つまり?」
「キミが断れば、私は別の手を使う。ただ、キミも無関係ではない事態になるだろうけど」
その言い方が一番嫌いだ。
選択肢を与えているようで、実際は一つしかない。
レーヴェがわざとらしく咳払いをする。
「ちなみに“別の手”は、かなり雑になります。被害も出るでしょうね。数字的に」
「数字で語らないでください」
思わず睨むと、二人は同時に肩をすくめた。
冗談めいているのに、笑えない。
この連中は、本当に“できてしまう”立場にいる。
……断れないよう、最初から盤面を整えている。
気づいた時には、すでに詰み。
馬車に乗った瞬間から、いや、この部屋に足を踏み入れた時点から、もう逃げ道はなかった。
「……分かりました」
そう言うと、男の表情がぱっと明るくなる。
その変化があまりにも露骨で、逆に清々しい。
「では「──ただし」
言葉を被せる。
「やり方は、こちらに一任していただきます」
男は一瞬考える素振りを見せ、すぐに破顔した。
「素晴らしい。条件を出せるようになったということは、こちら側に立つ覚悟ができたということだ」
「勘違いしないでください。私は私のやり方でやるだけです」
「構いません。殿下があなたの思惑通りに踊るなら、結果は同じ」
……さらっと危ないことを言う。
「念のため伺いますが、失敗した場合の責任は?」
「私が取ります。表向きは、ね」
「裏は?」
「考えない方が今後の動きに影響が出ないでしょう?」
レーヴェがポットを持ち上げ、カップに茶を注ぐ。
「まあまあ、細かい話は後にしましょう。せっかくの顔合わせですし」
「顔合わせというには、だいぶ物騒ですが」
「うちはいつもこんなものです」
湯気の立つカップが差し出される。
「では──」
男が静かに持ち上げる。
「利害が一致した夜に」
乾杯、という言葉は軽い。
だが、その裏にある意味は、決して軽くなかった。
カップを合わせながら、俺は心の中で舌打ちする。
(……まったく、とんでもない貴族に目を付けられたものだ)
だが同時に、口元がわずかに歪む。
利用されるだけだと思うなよ。
使えるものは、たとえ貴族だろうと全部使ってやる。




