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 ミゲル・トーレス。


 学園の植物園の庭師の男の名だ。どういう男なのか、エルネストはこれからしばらく関わることになる彼のことを、いろいろと調べた。


 出身は南方の小国で、そこで少々名の知れた植物の研究者だったのに、どういういきさつか今は遠い異国で庭師などをやっている。そのミゲルをつかまえて、エルネストはうったえた。


「この植物が、植物園のなかにあるのか知りたいのです!」


 エルネストの必死さにうろたえて、ミゲルは反射的に拒否はしなかったが、なにも言わずに首を振る。


「必要なんだ! とても大切なことなんです!」


「これは……そうやすやすと知識のない人間にあり場所を教えていい代物ではないのですよ」


 探そうとしているこの植物に、エルネスト自身がしらべた効能があるなら、当然そうだろう。


「なんのために、この木が必要なんです?」


 疑り深い目で詰問する庭師の目から、エルネストは一瞬逃げたかった。こうして必死になる理由を、自分自身もうまく説明できるか自信がない。でも、目的ならあるのだ。それだけはわかっている。


「マ、マグダレナのために……」


 彼女を救うために、そして、エルネスト自身が彼女を信じるために。


「マグダレナのために、どうしても必要なんだ」





「カスティーリョ夫人これを見てください」


 エルネストは、夫人が座るカウチの前のテーブルに、星型の果実をふたつ並べた。そして片方を指さす。


「先日夫人に教えていただいたお茶。それには、このスターアニスが入っているんです。果実を干したものです。でも、実はこのスターアニスととてもよく似た木もあるんですよ。名前もアニスっていう。ほら、よく似ているでしょう?」


 ふたつの果実は、確かに一見同じものに見える。


「学園の植物園には、アニスの木とスターアニスの木がそれぞれあった」


 それをエルネストは確かめに行ったのだ。


「スターアニスは入り口近くに。アニスの木は、園の奥深く、見学者からは見えにくい場所にひっそりとあった。アニスはね、葉も枝も実も、すべてが劇薬だからです。この二種類の木の実は、干すと本当に見分けがつきにくい。でも、マグダレナはおそらく、干した実の状態でも区別がつくはずだとミゲルは言った」


 ミゲルは学園の植物園付きの庭師です、とエルネストは付け加える。マグダレナは、ただ植物園に通っていただけではなく、ミゲルを手伝いながら植物の世話もしていた。


「ぼくは、四カ月前に学園をやめた医師のことも探しだして訪ねました」


 彼はかなり用心深くなっていたが、医務室に通い続けることで顔見知りとなっていたエルネストとは会ってくれた。


「そこでぼくは、茶会のあと、マグダレナの身に何が起こったのかを知った。彼女は、あの茶会で、王子のために……アレハンドラ王子を守るために、自分から毒を飲んだんだ。彼女は、あの茶がどんなものか、ちゃんと知っていた」


 それが、エルネストのたどり着いた答えだ。


 あの日茶会で使われた茶器は、ガラス製の薄いものだった。花びらの入った茶がよく映えるように用意されたものだが、そのせいで、マグダレナには使われた茶葉の様子がよくわかった。


「アニスに含まれているのは神経毒だ。致死量は、小動物で一キログラムあたりたったの一ミリグラムです。それを王子に飲ませないために……マグダレナは」

 

 恐ろしい結果が待っていると知っていて、その茶を飲んだ。マグダレナがそのあと何週間も姿を現さなかったのは、蟄居のためではない。療養が必要だったからだ。


 幸いまだ抽出時間が浅かったためか、人を殺すほどの毒性は発揮しなかった。でもそれは結果論である。マグダレナは、毒とわかってそれを飲み干すとき、いったいどんな気持ちでいたのか。


「そこまでわかっていて、なぜあなたはわたしのもとへ来たの」


「学園から姿を消した医師は、毒を飲んだマグダレナの治療をひとりで行いました。マグダレナのしたことは、王子の命を守る行為だ。医師は、彼女の勇気に報いるために、その事実を公表しようとした。しかしそれをパレシオス公爵家に止められて、そのうえ学園を追い出されたのです」


 公爵家にとっては、道理の合わない行動だ。


「それがわからない。マグダレナが命がけで王子を助けたのなら、王家にも大きな恩が売れる。そのチャンスをパレシオス公爵が逃すとは思えない。なのに今回公爵家主導で、この件は葬られた。それはなぜなのです」


 マグダレナの命がけの献身を、エルネストが知るまで誰も気づかなかった。せめて誤解であったことがわかれば、王子のマグダレナへの態度も、彼女の立場も、もっと良くなっていたはずだ。


「あなたはマグダレナの真実を追い求めることに夢中になって、大切なことに気づいていない」


 カスティーリョ夫人は、毒のないほうのスターアニスの実を指先でつまみ、優雅にその香りを堪能する。


「この茶の毒は、誰が仕組んだもの?」


「仕組んだって……前にもこの茶葉に毒のある実が間違って混入したことがあると……だから」


 今回の出来事は、不幸な偶然だ。そうではないのか? 他国の賓客が用意した飲食物で、国内の要人が死んだとなれば、外交上も大きな問題となる。それもマグダレナが防いだのだ。


「茶問屋には行ったのね」


 エルネストはうなずく。


「茶葉が輸入停止になっている理由は不明だと、聞いたはずでしょう」


 たしかにイヴァンは同じことを言っていた。


「直近輸入された茶葉には、なにも問題がなかったのです。むしろ問題がないという事実を誰にも知られないために、公爵はこの茶葉の輸入を禁止した」


「で、では! 毒を仕込んだのはパレシオス公爵だと……!」


「いいえ」


 夫人はきっぱりと言い放つ。


「毒は、茶会の主催者が用意したのです」


「主催者……」


 では、他国からの賓客が、王子殺しを画策したということか。


「そんなことをする理由が?」


「たしかに、茶会で主催者となった留学生の国は、わが国と良好な関係を築いています。でもパレシオス公爵が王家の外戚となり、実権を握ったら、その関係は崩れるかもしれない。我が国と自治区をはさんで剣呑な関係にあるヴェルサール帝国。帝国と我が国が親密になれば、損害を被るという国は多数あります」


 周辺国家のバランスが一挙にくずれる危険があるということか。


「そのためにパレシオス公爵が国内で力をつける原因となりうるアレハンドラ王子の命を狙ったのでしょう。公爵を排しても、マグダレナとの婚姻そのものは避けられないかもしれないから。そしてそのマグダレナ自身の評判は、どう?」


「稀代の毒婦……悪女と名高い……」


「そう。公爵を亡き者にしても、マグダレナがあとを継いで、公爵家の国外への権力の延伸はやまないかもしれない。そしてマグダレナひとりを消しても、公爵本人が残っていては無意味」


 マグダレナはきっとそんなことしない。でもそれは、エルネストしか信じていない彼女の一面だ。


 主催者側は、最悪茶葉に毒となる植物が入っていたとは知らなかったと押し通すこともできる。その点で、あの茶で人を殺すことは有益なのだ。


「だけど、この方法で陥れるのはひとり、もしくは二人が限度ね? 別々の機会に何人も殺すことはできないわ。だから、アレハンドラ王子とマグダレナ、ふたりまとめて排しやすいこの組み合わせが狙われた。実際の仲はともかく、表向き彼女は王子の婚約者なのだから、国賓相手に姿を現すことは十分予見できたはず」


 マグダレナとパレシオス公爵、どちらが残っていても他国には不安が残る。それなら、公爵が国政に食い込む足掛かりにしようとしている王子を排除すればいいと考えたのか。


「公爵がこの事実を公表したくなかったのは、犯人がつかまれば公爵家が国外に勢力を伸ばそうとした結果、王子のお命が狙われたと知られてしまうから。それを恐れたからか。そういうことですか? カスティーリョ夫人」


 公爵があの茶の出自を調べたかはあやしい。王子が死んだあと、毒を仕込んだ側が故意ではなかったと主張する可能性に、公爵は思い至らなかった。


「そんな、そんな理由でマグダレナは……!」


 大切な人を守るために命すらかけたのに、その人には顧みられず、常識のないわがまま令嬢だと思い込まれている。こんな不幸があるだろうか。


 正しい道筋はこんなかたちだったはずだ。

 マグダレナが王子の命を救ったことを公表する。他国からの賓客は、茶に毒が含まれていたことを知らなかった、あやうく王子を害するところだったが、勇敢な公爵令嬢の活躍ですべて丸く収まった。

 これが、もっとも正しいかたちだったはずだ。



 翌日、ふたたびエルネストは植物園をたずねる。

 期待していたわけではなかったが、そこにはマグダレナがいた。エルネストは、しゃがみこんで草木をながめているマグダレナのすぐよこに、同じようにしゃがんだ。


「きみにもらった鉢植えはちゃんと育てているよ」


「それは、よかったです」


「でも、まだ芽もでない」


「そんなにすぐには出ませんわ」


 マグダレナはうれしそうに笑った。


「そうか。水をあげているだけでいいのかな。陽の光は浴びせすぎないほうがいい?」


 彼女はいつも笑っているから、エルネストには彼女がほんとうにうれしいかどうかは、よくわからない。でも、ちゃんと言葉にしてくれるときもある。


「エルネストさまが、興味を持ってくれてうれしいです」


 植物のみどりが、自分の人生に必要だと思ったことはない。花のいろどりも同様だった。話を合わせておけばいいのに、エルネストはそのことも言ってしまう。


「ぼくはべつに、草も花もそんなに好きじゃないんだ」


「そうだったのですか……」

 

 彼女の声には、それほど残念そうな響きもない。しょせんエルネストのような薄っぺらな人間は、その程度だと思われていたのかもしれない。それでも。


——ぼくは、マグダレナにはうそはつきたくないんだ。


「でも、きみの好きなものなら、ぼくもいつかは好きになれると思う。きっと」


 マグダレナは目を見開いて、なにかを言おうとしてすこしだけくちびるを震わせた。


「どうしたの?」


「な、なんでもありません」


「そう……」


 マグダレナは、すぐにエルネストから視線をそらしてしまった。


——マグダレナ。この国で、おそらくぼくだけが、きみがほんとうはどんな人間か知っている。それを多くの人が知ることを、きっときみは望まないだろうけど、すっきりしない形で他人がひどい目にあっているのを見るのは、いやなんだ。だからこの上は、なんとしてもきみにはアレハンドラ王子としあわせになってもらう。


 それが、だれに命じられたわけでもない、エルネストの心のなかだけに生まれた使命だった。





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