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 アレハンドラ王子の婚約者であるマグダレナは、貴族子弟が通う学園では孤立している。誰も彼女がどこにいるのかを気にしていないから、その姿を探すのは、実はけっこう骨が折れる。

 エルネストは、その彼女が学園立の植物園にいることが多いという話を聞きつけ、やってきた。


 学園の敷地の片すみに置かれた植物園は、ドーム型のガラス張りの建造物で、この国に本来自生していない他国の植物なども育てている。

 見学だけならともかく、植物の世話をするとなると、種子の持ち出しや意図しない流出が問題にならないように厳格な管理のもとにおかれることになる。


 美しい庭園の花々とは違い、研究目的の植物もあり、それらは果実も結ばず、花も地味なことが多い。植物園をおとずれる学園生は、多くなかった。

 そういうところが、マグダレナにはいいのかもしれない。


 エルネストが訪ねたとき、植物園のなかには、思った通り学生は誰もいなかった。しかしマグダレナの姿も見えない。

 庭師がひとり、植物の世話をしている。


 「あの……」


 エルネストが声をかけると、庭師は顔をあげる。初老の男が眼鏡を上下に動かして、こちらを見ている。いるはずのない幽霊でも見るような、怪訝な顔だった。よほど学生がここに来るのはめずらしいのだろうか。


「……マグダレナ・パレシオス嬢が、よくここに来ていると聞いて、お訪ねしました」


 マグダレナの名を出すと、庭師の顔はさらに険しくなる。でもそれは、彼女に対する敵意からではなかった。


「……あの子に嫌がらせでもするつもりじゃああるまいな」


「そんな! ぼくは……ええと、彼女の……」


 自分は彼女のなんなのか。この前あったとき、自分はなんと言ったのだったか。


「彼女の、友だちです!」


 友だちなら、話すだけでもいいじゃないかと、たしかに言った。


「ただ話すだけの友だち。まだ……なったばかりだけど」


 貴族相手に話すときの内容は、たいていは定型文だ。決まりきった話題を、決まりきって整った言葉で話せばなんとかなる。深い話は必要ないし、自分のこともそれほど話さなくていい。それが必要で安全だからだ。悪いことではないが、そのお決まりの話し方は無理にエルネストを大人にさせる。


 だからこうして、自分のことを自分の言葉で話そうとするとき、エルネストはずっと幼い印象になる。

 庭師はその様子を見て、少しばかり態度を軟化させた。エルネストの問いに答えてくれるようになる。


「彼女はここにはよく来るのですか」


「毎日来る。だが、あなたが通うとなれば、いらっしゃらないかもしれませんな」


 エルネストの存在は、マグダレナの唯一の居場所を奪うものになるのか。


「ぼくは、彼女が本当はどういう人間なのか、知らなければいけないんです」


 ほんとうのマグダレナ・パレシオスは、いったいどこにいるのか。その手掛かりを探している。


「悪い人じゃないです」


 庭師は仕事の手をとめずに言う。


「あの子は、悪い人間なんかじゃありませんよ」


——ぼくもなんとなく、そんな気はしている。でもそれは、ぼくひとりの力ではくつがえせない大きなものだ。


「また……来てもいいですか」


 エルネストは、背を向ける庭師にそう問いかけていた。


「か、彼女のいないときを選んできます。迷惑にならないように」


 もしもマグダレナがこの場所を好きでいるなら、なおさらそうしよう。庭師はなにも言わなかった。エルネストもそれ以上に食い下がらず、黙って出ていこうとする。


「わたしはここの雇われ人ですよ」


 立ち去ろうとするエルネストに向かって、不意に庭師が言う。


「学園に出入りしている人間のうち、誰がここにこようと、止める権利はありません」


 言外に許可をもらったことに感謝して頭を下げ、エルネストは植物園を出た。



 翌日、ふたたびエルネストは植物園をたずねる。

 ガラス張りのドームは、外からの陽光を余すことなく取り入れる。透明の屈折を通してみる光は、いっそ実際より強いのではないか。


 まぶしそうに目を細めて円蓋を見あげるエルネストは、とつぜん背後から肩を触られる。


「うわああぁぁ! びっくりした」


 誰もいるはずのない場所で他人の質量を感じて、エルネストは声をあげる。


「エルネストさま」


「マ、マグダレナ、さま!」


 マグダレナは死人にでも会ったかのようなエルネストの驚きぶりにも動じず、小さな鉢をもって、にこにこしている。


「エルネストさまも植物に興味がおありのようなので、なにか育てるものがあればもっと楽しめるのではないかと思って」


 差し上げます! と手渡された小さな鉢を、まじまじと見つめる。ただの土が入っているだけだ。


「……これは、なんの植物なの?」


「内緒です」


「内緒って」


「育ててみればわかりますわ」


 手渡された鉢の土に植物の気配はない。ほんとうに自分で育てなければいけないらしい。


——べつに草が好きなわけじゃないよ。


 エルネストが植物園に出入りしているのは、マグダレナと通じて公爵家の情報がほしいからだ。だが彼女なら、すこし頼めばいくらでも実家を没落させるネタを持ってきて来てくれそうだ。


 どうして自分は、もっと簡単な方法をとらずに、こうして彼女と話す機会を作っているのか。彼女と懇意になれという、兄のもうひとつの命令は、とりあえず棚上げしたい。


 マグダレナと話したいと思う理由が、それ以外にどこかにあるはずだと思いながら、エルネストは自分の感情すらやり過ごすしかなかった。それが、兄と生家から課された自分の役割である。


「エルネストさま! 楽しいですね」


 マグダレナはいつも笑っている。それは微笑みであって、相好を崩すような笑顔ではなかった。でもきょうの彼女は、いつもよりちゃんと、笑っているような気がする。


「うん……たのしいね。たのしいよ」


 いつのまにか、そう答えていた。



 マグダレナが庭師の言うように、いい子だとするならば、なんとしても検証しなければいけないうわさがある。


 それは、留学のため学園に在籍していた他国の宰相の娘との茶会でのことだ。

 マグダレナは、宰相の娘が手ずから王子に茶を淹れたことに嫉妬し、王子のための茶を飲みほした挙句、ポットごとひっくり返し、茶会を台無しにした。


 王子への嫉妬心から生まれた、醜い行為だと断じられている。これに関しては、目撃者も多数おり弁解のしようがない。マグダレナがこのような行為に及んだのは、事実なのだ。

 マグダレナ。庭師が悪い人間ではないと断じ、エルネスト自身もそうであってほしいと思っているひとりの令嬢。


 その彼女が、なぜこんな行為に及んだのか。エルネストはそれを確かめなければいけない。彼女のために、そして彼女を信じたい、自分のために。




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