祖母クメの死
教員になって3年目、祖母のクメが死んだ。就職して家を出て採用になった市町の教職員寮に入った。家から通勤するには車で40分ほどかかるので、下宿するのが当たり前と思っていたが、祖母の通夜の席で親戚のおじさんたちから
「政二が家を出て、おばあちゃんがすることが無くなったから生きる気力がなくなったのかもね。」と言われた。言われてみて気が付いたのだが、年老いた祖母を残して家を出て下宿したことは祖母の生きる活力を奪ったことになったのかもしれない。
病院に入院し検査したところ胆管にがんが見つかった。余命は3か月ほどという事で娘や息子の奥さんたちが交代で病院に付き添って看病に当たった。7人兄弟だったので交代要員には事欠かなかったようだった。3か月、約100日間闘病生活が続いたが、政二は一度だけ日曜日に見舞いに行った。病院の部屋は個室で看病の叔母さんたちが寝るための簡易ベッドも持ち込まれていた。叔母さんも疲れた感じだったが政二を見て
「政ちゃん、おばあちゃんに話しかけてあげて。」と言うので政二は何を言えばいいのかわからなかったので
「おばあちゃん、政二だよ。来たよ。聞こえるか。」と耳元で叫んだ。しかし何の反応もない。聞こえているのか聞こえていないのか理解が出来なかった。しかし何とか最後になるかもしれないコミュニケーションをとろうと再び
「聞こえたら手を握って。」と言って祖母の手を取った。かすかに握り返してきたような感じがした。叔母さんは
「耳は少し聞こえているようなのよ。ほんの少しだけど反応はあるよ。」と言ってくれた。政二にとって祖母との最後の意思の伝達だった。
数日後、父から連絡を受けて政二は再び病院に駆け付けた。しかしその時には息を引き取っていた。既に遺体は地下の安置所に運ばれていた。親族の会話はどうやって家に連れて帰るかという事になっていた。大きな病院だったので葬儀社の一つが常駐していて、運ぶ手伝いをすると言っている。しかし父はその葬儀社の申し出を断って仕事で使っているワゴン車で運ぶことを提案している。そして政二と政二の兄に家からワゴン車を持ってくるように指示した。
そこからは慌ただしい時間だった。家に戻ってワゴン車の荷台に古いマットレスを敷き、使ってない古い毛布も積み込んで病院に向かった。遺体安置所の出口は遺体を運びやすいようにワゴン車がバックで着けやすい造りになっている。丁寧に運転してゆっくりと定位置にワゴンを停めると中の扉が開き、おじさんやおばさんが顔を出した。みんな一度は大泣きをして顔がむくんでいるが、次の段階に入ってこれから先の一大行事に向かう覚悟ができているようだった。
ゆっくりとワゴン車に乗せると数人が遺体に寄り添い、政二の兄が運転し政二は助手席に乗った。ワゴンは暗闇の道をゆっくりと家に向かった。
家につくと慌ただしく玄関の扉を全開にして運び入れる体制を整えた。家の中は先に戻った姉や母たちが部屋を仕切っていた襖を外し荷物は納戸に押し込められている。祖母いために用意された布団が仏壇の斜め前に敷かれていた。
政二たちは祖母の遺体をマットレスごと持ち上げて運び始め家の中に持ち込んだ。布団の近くにおろすときに少しだけ斜めになった瞬間、祖母の口から胃の内容物が流れ出てきてマットレスが汚れた。
そこからは慌ただしく葬儀屋の手配、お寺の連絡、通夜葬儀の日程を各所に連絡。そして葬儀屋さんと打ち合わせして祭壇を決定したり、供物や花輪を親戚がどれくらい出すかの話になった。幸いにして父の兄弟も母の兄妹も多いので供物の花輪も驚くほど多く並んだ。
翌日、通夜は自宅で行われた。4つの部屋を開け拡げた大きな座敷になったが、祭壇を組むと座れる参列者は限られていて、部屋の外の板の間まであふれた。厳かな通夜が終わると翌日の葬儀まで一番大きな仕事は焼香順を決めることになる。父の兄弟衆で話し合いがなされていたが、政二たち孫連中は重要な話にはかかわらない。翌日の参列者の数を計算し引き出物の注文をし終わると暇になって、談笑が始まった。政二は学校の職員室ではやっていたゲームを紹介した。キーホルダーについた2つのカギをキーホルダーごと座布団に落として誰をさしているかというゲームで、実は鍵が座布団に落ちた瞬間から一番最初に声を出した人が犯人と言う人をからかったようなゲームなのだが、通夜の重苦しい雰囲気の中で始まったこのゲームが徐々に盛り上がり、誰もからくりが分からず、そのからくりを教えようとするとみんなが拒否して、延々と2時間くらい推理ゲームが続いた。すると横で焼香順を決めているおじさんたちのことを忘れ、従兄たちは大きな声で笑いながらゲームに熱中した。しかし焼香順が決まったおじさんたちの一人が
「おまえら、今日は通夜だぞ。いい加減にしろ。」と怒り出した。その瞬間、ゲームは終了した。
政二は家族に対して特別な感情をなかなか持てていなかったので、その日もなかなか泣けてなかった。現実に祖母の死を迎えても、真剣な表情でその場に立ちすくむことは出来ても、泣き崩れるような感情にはなれなかったのだ。成育歴に問題があったのかもしれないが、無表情で病院から遺体を運び、無表情で遺体に手を合わせ、暇になるとゲームを主導していただけなのだった。
翌日の葬儀は淡々と進み、クライマックスは火葬場だった。昭和50年代だったのでまだ村の墓場にある火葬場を利用して、近所の人が火葬人をしてくれた。火葬場まで白装束の喪主や兄弟たちを先頭に、位牌や写真、そして遺体が納められた棺、そして親族の葬列が厳かに進んでいった。火葬場につくと棺を炉の上に乗せたが、下には薪がぎっしりと並べられていた。最後に僧侶が火葬場での読経をして全員で手を合わせるといよいよ火入れ。これは喪主である父がやらないと誰もやってくれない。父は用意された藁にろうそくの火を移してそのまま炉の脇の火入れ口に燃え盛る藁を差し込んだ。同時に中に入れられていた藁が燃え、白い煙が立ち込めた。
ここから先は火葬人たちに任せて全員家に帰るが、帰り際に振り返ると、火葬人が棺をひっくり返している。聞くところにはしっかりと焼くには下向きでないと焼けないらしい。これも地域によっていろいろな流儀があるらしい。政二の従兄弟の明美さんが涙を流しながら
「あんなに乱暴にしなくてもいいのに。」と言って目頭をハンカチで押さえていた。政二にはその感覚はよくわからなかった。
家に戻ると関係者に食事が出された。政二は家族として参列者にお酌をする立場だったので、お膳が並べられた列の中に入って、順番にお礼を言いながら酒を注いだ。親戚の人や近所の人は口々に
「政二君、寂しくなるね。」というようなことを言ったが政二にはその感覚もよくわからなかった。成育の歴史が家族という概念を薄くしていたのだろ。泣けない男は様々な場面でその片鱗を見せている。




