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高校・予備校

初めての挫折を知った高校生活。失意のうちに逃げ込んだ京都の浪人生活。そんな中でも一筋の光が。

 松山政二は高校生になった。中学生の頃祖母たちのいる家から道路を挟んで離れている蔵の中の部屋に住んでいたが、それなりに勉強もしていたので、県内有数の進学校である藤島高校への進学に成功していた。

 相変わらず部屋は実家から道路を挟んだ蔵の中だった。自立していると言えば聞こえはいいが、親の目を離れて好きなことをしていた。秘密基地を拡大している感覚だった。

 隙間だらけの古い蔵なので、隙間風が激しかった。隙間を埋めるために段ボールを切って、壁の裾に当てはめた。またネズミや蛇もいたので床の畳の上に布団を敷くのはやや気味が悪かったので、段ボール箱を並べてその上にコンパネ板を置き、布団をその上に敷くことで少し安心した。

 向学心は高かったので、読書量を増やす計画を立て、100冊読むまで記録をつけることにして、白い壁に本の名前と読み始めた日、読み終えた日を記録した。ただ学習面は長続きせず、高校2年生までは何とか授業について行けたが、3年生からはつまずき始めた。

 性格的に浮き沈みが激しかったことが関係したのか、クラスの一部の生徒からからかいを受けるようになった。ハイな時には激しくやり返して被害はなかったが、落ち込んでいるときはからかいに対して反撃することもなく、からかいを受け続けることもあった。反撃する意欲を失っていたのだろう。どうでもよかった。しかしやられたこと、言われたことは忘れられず、鬱積したストレスだけが蓄積されていった。家で受験勉強をするどころの話ではなくなっていた。

 そんな鬱憤を持っていた時、ふと逃げ出して旅に出たくなった。要するに家出である。家出の決行は3年生の春のまだ寒い時期だった。晩御飯を食べて自分の部屋がある蔵に行ってしまえば、次の日まで祖母や姉とは顔を合わせなかったので、夜のうちに出て行けば次の日までバレなかったのだ。

 夜、8時ごろに家を出た。歩いて近くの駅まで行った。そこから電車に乗って福井駅まで行き、福井駅からどうやって切符を買ったのかは覚えていないが、記憶の中で覚えているのは翌朝に諏訪湖のほとりにいたことだ。夜中に走った普通列車に乗っていたのだろう。朝もやの諏訪湖とそこからバスに乗って霧ケ峰高原に登って行った。なぜ長野県に行ったかというと2年生の秋に修学旅行で霧ケ峰など信州へ行ったことがあったので、地図を片手の2回目の修学旅行と言ったところだった。誰もいない早朝の高原を歩いて、楽しいというよりも寂しいという気持ちの方が大きかった。そこから高原を抜けて佐久市まで行くと電車に乗って小諸まで行った。修学旅行で行った小諸城跡の懐古園に行ったが、懐古園でも誰とも話さなかった。一人ぼっちで園内を歩くと崖の下に千曲川が見える場所がある。修学旅行で来た時には霧が立っていて、下の川が見えなかった。政二のその時の想像では100m以上切り立った崖の下に、美しい川が流れ対岸も岩が露出した美しい崖になっている絵画のような情景だと思っていた。しかし再び訪れた今回は霧がなく晴れていたので、はっきりと情景が見えてしまった。100mだと思っていた崖は20m程度であり、川の流れは美しいが対岸は岩壁ではなく河原になっていて、その先には田園が広がり民家も見え、決して絵画のような美しさというほどではなかった。政二は少しがっかりした。修学旅行の時の感動をそのまま残しておきたかった。そこからいろいろ行ったが、長野駅に着いたのは夜になっていた。長野駅の待合室で翌日まで寒さをしのぎながら横になって過ごした。

 翌朝は5時ごろから善光寺に行った。早朝の善光寺はまだ誰もいなくてセンチメンタルな気持ちになった。朝もやの中参道を歩いていると早朝の参拝の人が現れた。昼は観光客が多くて喧騒の中での参拝になるので、それを避けたい熱心な参拝者だろう。近所の人がランニングしている人も現れた。日が昇り明るくなると人々は活動を始めるので、夏と冬で人が現れる時間も若干変わるのだろう。

 善光寺を出ると参道を歩き回り、ドーナツ店でコーヒーを飲んで朝ご飯にパンケーキのような物を食べた。そこから帰路に着くため長野駅から普通電車で福井駅までとことこ帰った。福井駅に着いたのは夜だった。長野駅から父に電話をかけてあった。心配しないでくださいと伝えてあった。到着時間も伝えてあったので、福井駅には父と母が車で迎えに来てくれた。改札を出た時、父に殴られることは覚悟していた。しかし父も母も何も言わなかった。車に乗ってもずっと無言だった。2人ともいろいろ聞きたかっただろうし、叱責もしたかっただろう。しかしじっと耐えていたのだ。車で駅まで来る間、2人でいろいろ話して『そっとしておこう』とでも決めていたのだろう。でも政二には沈黙がとてもつらかった。家に着くと黙って車から降りて蔵の中に消えていった。父と母はそのまま工場に戻っていった。蔵の部屋で寝ついたのは夜中の1時ごろだったが、翌朝には何もなかったように朝ご飯を食べ、また学校に復帰した。誰にも1日休んだ理由は言わなかった。

 あの頃の政二は今思えば躁うつ病のような症状が出ていたと思う。


 そんな高校生活だったので受験勉強に取り組めるはずがなく、受験した大学全てに合格できず、浪人生活を送ることになった。よせばいいのに同級生たちが皆プライドが高い進学校の生徒なので、地元の予備校を選ぶ者はいなかった。政二も同様に福井ではなく京都の予備校を選んだ。しかも入学選考試験がある有名予備校の試験にも落ちて、選考試験のない無名の予備校に落ち着いた。その頃には有名進学校の生徒だったというプライドはズタズタになり、出来る事なら自分のことを知っている故郷の人間とは誰とも会いたくなくなっていた。それなのに4月の初めには京都大学に合格した同級生や大阪の私立大学に入学した中学の同級生たちが、下宿を訪ねて来て、政二の生活ぶりを覗いて行った。彼らは異口同音に

「国立はどこを受けたんや?」と聞いてきた。政二は心の中でそいつらを殺してやりたかった。傷口に塩を塗り込まれた思いだった。何とか誤魔化そうとはっきり言わないでいると

「まさか、ゴールデンコースか?」と茶化してくる。ゴールデンコースというのは福井県のNO1進学校である藤島高校では国立一期校で金沢大学、二期校で地元の福井大学を受けるという事をあらわしていた。藤島高校の半分くらいの生徒は東京や近畿圏の難関校か国立医学部を目指すので、ゴールデンコース受験者は藤島高校の下位層である証しになった。そして下位層であってもほとんどの生徒は滑り止めで福井大学の工学部か教育学部には合格していたのだ。

「それはないわ。」と苦笑いしながらも図星を突かれた政二はそのすべり止めすら落ちたことを言えなかった。


 しかし予備校生活は政二にとって転換期となった。初めて行われた模擬テストでは数学が全校生の3番目くらいで、英語もベスト10に入っていた。いっしょにその予備校に入った山崎君は英語が一番だったのだが彼が言うには

「この学校はどうなっているんや。どんな奴らが入って来てるんかな。」とあきれ顔だった。しかし政二は高校入学以来クラスで上位などという経験はほとんどなかったので、悪い気はしなかった。

 そして何よりも気に入ったのが、出席も取らないし落第もないということだった。すべては自己責任。小学生の頃から親元を離れ、自立した生活を送っていた政二にはうってつけだったのだろう。遊びたいときには自転車で京都中のお寺を回りつくした。特に東山から北白川方面は小さな渋いお寺も知り尽くしていた。

 反面、勉強したいときは徹底的にがんばった。予備校まで自転車で行くことがもったいない時もあって、自分の部屋で一日に15時間以上勉強したこともあった。高校生の頃には開かなかった問題集を最後までやり遂げる喜びを知ったのもこの頃だった。

 さらに政二に大きな影響を与えたのが優秀な講師陣との出会いだった。若い講師が多かったがほとんどが京都大学の大学院生や講師・助手といった人たちのアルバイトだった。その中の世界史の先生と物理の先生は学ぶことの楽しさを政二に教えてくれた恩人だった。彼らの話は予備校講師としては受験対策になっていなかったかもしれない。しかし彼らが大学で研究している内容の一部をかいつまんで話してくれたり、学んでいることが世の中でどう役立っているかなど、今まで知らなかったことを興味深く話してくれた。

 そんな予備校生活を2月いっぱいで終え、大学入試を迎えるが、大阪市立大学法学部などいろいろ迷ったが、結局不景気で親の負担も考えて、地元の福井大学の教育学部にしてしまった。結果から言えば前年度不合格だった学校に翌年受かったんだからよかったのかもしれない。でも大学に入学すると高校の時の同級生がわんさかと2年生として在学しているのだ。しかも地元の学校はかなり成績の良い生徒でも地元志向で福井大学を受けた人も多く、大学キャンパスで新入生の僕がどんな顔で挨拶すればいいのか大きな迷いがあった。

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