男爵令嬢
マナーハウスを後にしたのはフローラ独自の判断だ、当初の計画は立て籠りながら援軍を待ち、危険が迫れば地下にある御廟通路を抜けて外に脱出するはずだった。
王家禁軍からの伝書鳩を受けて、自らニース港まで行き最短で禁軍を領内まで導く役を男爵令嬢フローラは決断したのだ。
「これは王家からの正式な援軍、この地を預かる私が行かなければいけないわ」
執事ハリーとバレットメイド・アンヌは止めなかった、そう言うと知っていた。
聖女グラディスが思い止まる様に説得の言葉を口にした。
「傷は癒えておりません、どうかご無理なきよう・・・道案内なら私かヤマさんが向かいます」
「エミーもエドも皆が命の危険の中で闘っているのに私だけ部屋の中に隠れているなんていやよ、お父様なら何があっても必ず自ら行くはずです」
「しかし御身に何かあっては・・・」
「グラディスさん、貴族や王族とは国のため領民を守護するのが務めなのだと父上はおっしゃておられました、私はムートン男爵の娘バロネス・フローラなのです、この責務を奪う事は誰にもできません」
フローラの瞳は強く熱い、エミーの冴え冴えと冷えた瞳とは違う、クラディスは似ている瞳を知っていると思った、それは皇太子エドワードの瞳。
折れるしかなかった。
「分かりました、バロネス・フローラ、ニースまでお供します」
グラディスは短銃をフローラに差し出した。
「当然私も付いていきますよ」
アンヌも自前のマスケット銃を取った。
「二人ともありがとう」
チリリィンッ 侵入者を知らせる鈴がなった。
「痛たた、鼬の最後っ屁とはこのことだな、花火に釘を詰めた爆弾、考えてあるな」
シファが最後に投じた爆弾は偶然にもヤマさんの足元で爆発した、太い幹が盾になり致命傷は受けなかったが破片が肉に食い込んでいる。
「厄介な連中だ、このまま無傷でエドの前に行かせるわけにはいかんな」
ペッと血の混じった唾を吐くと猿のごとく幹を伝って降りていく、ヤマさんは二人を追ってムートンの森に静かに追撃を開始した。
森に分け入るが二人の足跡を辿ったりはしない、その上を行けば罠が仕掛けてあるかもしれない、相手が爆薬を使うとなれば尚更だ。
遠巻きに二人の痕跡を辿る、軽々と木に登り高い視線からボサを踏み分けた跡を探る、途中で痕跡が消えている、踏み戻りだ、少し後ろに下がり飛んで道を変えたのだ、低い視線では見失っている、しかし相手が悪い。
ニヤリと笑った忍者は降りた位置から横へ音もなく移動すると獲物に向かってボサの海へ飛び込んだ。
ブォンッ ブォンッ 狂戦士と化した魔猿熊ヤーグルの振り回す大鎌に剣技などは微塵も感じられない、力任せの一撃でも握力だけで四百キロを超える怪物、真面に受ければ剣ごと身体を吹き飛ばされる。
対峙する執事リブローは細いレイピアひとつ、見た目の戦力差では到底勝てる見込みはない。
しかしリブローに焦りは見えない、ヤーグルの動きを見極め大振りの一撃を余裕を持って躱している、何かを狙っている。
ギャギャースッ 振っても振っても当たらない事にヤーグルの怒りは増していく、振りが大きくなれば隙も大きくなる。
ブオンッ 大上段から一撃、長い手をいっぱいに伸ばして大鎌を振り下ろした。
ドスッ 大鎌はまたしても空を切り地中にめり込んでしまった。
グギャギャ ヤーグルが引き抜こうと藻掻いた一瞬、リブローのレイピアが伸びる。
シュバァッ 大きく股関節を開き、伸ばした腕の先のレイピアの間合いはヤーグルとの距離を一気に飛び越え剣先をヤーグルに届かせた。
トスッ 剣先がヤーグルの右腕に食い込む。
アギャアアアアーッ 絶叫と共にヤーグルは大鎌を放り出して後ろに飛びのいた。
「おやおや、お猿さんは痛がりですねぇ」
レイピアの切っ先をヤーグルに向けたままリブローは不敵に笑う。
ヤーグルの傷は浅いがバクラリたちに調教されていた頃の痛みが蘇り王の威厳も自身も一瞬で吹き飛ぶ。
「リブローさん!!」ようやく追い付いてきたバクラリの顔を見てヤーグルの戦意は更に萎縮する。
ヒギィィィッ 頭を抱えてその場でくるくると回り始めた、檻の中で銛で突かれ続けた記憶、泣いても叫んでも銛で突かれる痛みが止むことはなかった、あの人間の顔は忘れない、それは恐怖そのものだ、その顔がすぐ後ろに迫っていた。
逃げなければ!!捕まったらまた檻に入れられて銛で突かれる。
ダダダッ ヤーグルは森に向かって脱兎のごとく駆け出しすと速度を落とすことなく樹上へと駆け上がる、悲鳴にも近い叫びを上げながら再び籠罠の方角へと木々の枝を渡っていった。
「なんと逃げ足の速い!」
リブローは目を細めたがその姿は瞬く間に森に消えた。
「リブローさん、ミストレスはご無事ですか!?」
「もちろんです、猿如きに遅れはとりません」
ミストレスに長年仕えている執事リブローも謎の多い男だ、齢五十を過ぎて独り身の男に浮いた噂一つない、ミストレスとの仲を疑う者もいたが互いに恋愛に溺れるようなタイプではない。
元々兵隊であったわけではなく幼少の頃に移民であったのをミストレスの父親が登用したとされていたが、その顔は移民の風貌ではなく、どことなくミストレスに似ているようでもあった。
「それで騎馬隊は無事ですか」
「約半数は実働可能と思われます」
「そうですか、自力で動けない者はおいて行きます、この際馬も仕方ありません」
「今回の採掘は諦めるしかありませんね、とりあえずムートンの領地の確保だけは絶対です、そのためには生き残った娘の始末を付けなければなりません」
「はい、承知しました、リブロー殿」
レイピアを鞘に収めたリブローの立場はバクラリより上のようだった。
「リブロー!!」その時ミストレス・ブラックパールの叫び声が響いた。
「はっ!?」馬車から半身を乗り出したミストレスが指挿した先に乗馬した一段が林道からこちらを伺っていた。
「あれは・・・!?バロネス・フローラか」
「これはまた、都合よく姿を現してくれましたね」
「周りの連中が派遣された冒険者か」
「そのようですね、あれも排除対象です」
「バクラリさん、狩りの始まりです、残った騎馬兵をまとめてください」
「御意!」
ミストレス・ブラックパールが率いる騎馬隊はその数を半数まで減らしながらもムートンの森深くバロネス・フローラの影を追って追撃を開始した。




