ドーマの悲劇
「旧式のガレオン船なんてもういらないわ、沈んでくれたお蔭で解体費が浮くもの良かったじゃない」
ミストレス・ブラックパールは細い葉巻を切ると火を付けた、棚引く煙が上品で甘い香りで部屋を満たしていく。
「海運保険の方は大丈夫よね、きちんと回収して蒸気船の建造費に回して頂戴ね」
「承知いたしました、マイ・ミストレス、乗組員たちの家族への補償はどういたしましょう」
「沈没した証拠は無いのでしょう、だったら死んでいないかもしれない、そんな要求をしてくる者がいたなら、いつものように死んだ証拠を出せといっておやりなさい」
「船員たちの給与は通常の倍、死亡時の補償も含まれていることを理解していない輩も多ございますから処分はお任せください」
「ありがとうリブローさん、ところでその蒸気船の建造は予定通り進んでいて?」
「はいミストレス、順調でございます、完成すれば浅い港にも寄港することが可能になる上、帆だけのガレオン船に比べて圧倒的に足が速くなります」
ミストレス・ブラックパールの机の上には蒸気船のモックアップが飾られている。
細長い船体の中央付近の両舷に水車のような外輪が付いており、蒸気でこれを回転させて推進力を得る構造だ、スクリューが存在しない時代の最新鋭艦だった。
「大砲は揃ったの?」
「はい全門据え付け完了したそうです、試射はまだですが射程が今までの三倍以上、ムートンの硝酸が使用出来ればもっと伸びるでしょう」
「海から王様の街へ贈り物が出来るわね」
「はい、ミストレス、さらにその弾は着弾と同時に爆発し、周囲を炎が包むそうです」
「まあ素敵、きっと綺麗でしょうね、轟音と共に炸裂する花火、早く見てみたいわ」
「間もなくかと存じます」
皺ひとつない黒い燕尾服のリブローは優雅に一礼すると執務室を後にする。
ミステレス・ブラックパール、ランドルトンの女公爵は名をセオドラ・センテナリオ・ランドルトン、夫のオーエン・ラインハウゼンは現国王ジョージ・ラインハウゼンの弟にあたる、夫オーエンは前の大戦で戦死していた。
オーエンとの間に授かった一人息子の嫡男ダフネルを政局不安定だった隣国ドーマ王国の姫と政略結婚させていたが、ドーマ王国は反王派によるクーデターにより王家が転覆。
襲撃を受けた王室は皆殺しとなり、その首は首都の通りに一月もの間晒されていたという、当然ダフネルの首もそこにあった。
クーデター計画の存在を知ったセオドラは息子夫婦を救出するための船団を送ろうとしたが王家の許可は出なかった、ドーマ王国クーデターの後ろ盾が大陸の強国ダチアン帝国であることが分かったからだ、こちらから軍船を送ればダチアン参戦の言い訳を創ることになる、ラインハウゼン王はダフネル救出を諦めた。
惨劇は黒髪に黒い瞳、東洋の香りを残す切れ長の目が清楚で美しい印象の貴婦人を堕天した復讐者に変えた。
嫡男を失ったランドルトン家には王家より莫大な見舞金が支払われ、元からの財力と合わせて海運業で更なる財を積み重ねていった。
その商法は冷酷で無慈悲、少額であっても取り立てを容赦することのない非道なものだったが海外との通商は帆船の数と比例して膨れ上がり、海軍力では国軍を上回るまでに大きくなった。
「愛する息子を直接殺した現ドーマ王国とその後ろ盾となったダチアン帝国、さらに救出を諦めて見捨てた王家を絶対に私は許さない」
あの日、リブローはセオドラ公爵夫人が血の涙を流すのを確かに見た。
その見開かれた目には清楚で優しかった夫人はいなくなっていた、堕天した天使は公爵夫人を復讐の女神フューリィズへと変貌させた。
ラングルトンの女主人、ミストレス・ブラックパールは誕生した。
「蒸気船はいいとして小道具の強化が遅れているわね、弾丸の火薬・・・とりあえずムートンの森を押さえなければいけないわ」
「バクラリさん、いらっしゃるかしら」
隣の部屋に続く扉に向けて声をかけた。
「御用でしょうか、マイ・ミストレス」バクラリが即座に扉を開けて現れる、待機していたようだ。
「バクラリさん、ムートン領の奪取はどうなっていますか?」
「申し訳ございません、まだ完了しておりません」
「男爵の始末は付いたのでしょう、隣領のフィーゴ子爵が無能な事は知っていますが小娘一人に随分と手間取っている様子、ムトゥさんにもそろそろ汗をかいてもらわなければ困ります」
「どうやら王家側が感づいているようです、ムートン領に援軍が入りました」
「援軍?親衛隊を動かしたというの」
「いえ、王都の冒険者だそうです」
「なるほど、傭兵なら直接対決にはならないわね、その者たちの実力は?」
「ムトゥが手傷を負わされています」
「手練れですわね、どうします?」
「我らからマンバとシファの二名、さらに禁軍を一隊五十名送ります、お許しくださいミストレス」
「さすがバクラリさん、決断が速いですね、よろしい、二週間で結果を出してください、最優先事項です」
「承知いたしました」
言葉は柔らかいがブラックパールの切れ長の目が細くなり瞳に苛立ちが映る。
「ムトゥめ、また悪い癖を出しおって・・・」
目的と自分の欲望とを混同しやすいのがムトゥだ、ムートンの令嬢はなかなかの美形だと聞いて怪しいとは思っていたが最悪の結果だ。
しかし、死んだ男爵ならともかく令嬢にムトゥの隠匿が見破られるとは妙な話だ、心得の無いものが出来る事ではない、バロネス・フローラに対する基本情報に誤りがあるのかもしれない。
フィーゴ子爵と地元ギルドからの情報はもう信用できない、独自に再検証する必要がある。
マンバとシファがマスケット銃で武装した騎馬隊五十人を引き連れて出立した、フィーゴ子爵とギルドの冒険者を合わせたよりも遥かに強力な軍隊だ、ムートンの自警団など相手にはならないはずだ。
しかし、バクラリには市松の不安があった、隠密裏に奪取するはずのムートンの森が遠く感じる。
どこかで小さな歯車が狂った、精密に描いた絵図ほど間違いを許容する隙間を持たない。
バクラリは不安を写したように見上げる空は灰色に曇っていた。




