図案
キィキィと開け放たれた扉が風に鳴いている。
ムートン領に隣接するフィーゴ子爵家領地の林に建てられたばかりの小屋があった、
住人が数日暮らした痕跡はあったが既に姿はない。
窓は破られ屋内には家具と酒瓶が散乱し、床には腹を裂かれて血の海に沈んでいる男が転がっていた。
男はギルド所属の冒険者で、この小屋へは仕事で訪れていた。
割のいい仕事だと思っていた、この丘からムートン領を監視するだけの仕事。
よほどフィーゴ子爵は臆病なのだ、森の魔獣なぞ大方、少し大きい狼か熊だ、滅多に森からは出てくる奴らじゃない。
日がな一日、酒と共に昼寝をしながら過ごした、これで金を貰えるなど魔獣様々だ。
三日目の夜、事件は起こった。
酒瓶を枕にした男の小屋を何かが襲った、窓を突き破り侵入した何かは真っ先にベッドの男に大剣を打ち下ろして惨殺すると小刀で腹を裂いた。
室内を荒らして何も取らずに立ち去ったのだ。
翌日フィーゴ子爵家にギルドから被害報告が届けられると、子爵家はギルドに対して討伐依頼を出した、領地内での人的被害を盾にムートン領での魔獣討伐を勝手に始めようとしていた。
「ムートン領との境目の丘に陣地を建てよ、魔獣に備えるのだ!」
丘には数十のテントが築かれ武装した兵士と冒険者たちが集まっている、中央の一際大きく派手なテントの中に、細かな装飾と飾りのついたテーブルが山台の上に乗せられ、足の長い椅子にチビで小太りのフィーゴ子爵が座しているが、その足は宙ぶらりんだ。
嵩上げしてやっと黒衣の男ムトゥと目線が同じになった。
「クソ忌々しい小娘め、このまま攻め入って高慢ちきな鼻を叩き折ってやる!」
「さすがにそれは不味い、今回はあくまで魔獣狩りの体で岩人の村までの道を造るのが目的だ、勘違いするな」
ムトゥは茹蛸のチビに釘を刺しておく、こいつは予想以上に馬鹿だ、本当にやりかねない、大義名分なく略奪すれば内戦の引き金になる、硝酸を手に入れるまで本格的な戦いを仕掛けるのは早い、このチビの責任を取らされるのは御免だ、いざとなれば殺す。
それにあの令嬢で楽しむのは俺だ、誰にも渡さない。
「そんなことは分かっているわい、だがな、ああまでコケにされて引き下がっては示しがつかんのだよ、示しが!」
「ならどうするというのだ?」
「攫う!」
「攫う?拉致するということか」
「そうだ、密かに拉致して我が館の地下にある超絶拷問調教部屋に幽閉して考えられる限りの恥辱を味合わせてやるのだ!!」
この子爵もサディストの変態だ、鼻を鳴らした頭の中の妄想は見たくもない。
ムトゥが女の肌に刻むのは芸術、赤い血で描く至高の絵画。
下種な欲望とはレベルが違う・・・しかし。
「攫うのはいいが手筈はあるのか?」
「フッフッフッフ、手筈ならもう始まっているではありませんか、この討伐劇の混乱に乗じて一人になったところで拉致します、むしろ魔獣こそがフローラ嬢を誘き出すための餌なのです」
「なるほど、お前の目的は最初からあの女か」
「長年機会を待っておったのじゃ、この好機を逃しはせぬぞ、グッフフフフ」
こいつの欲望は都合がよいかも知れない、濡れ手に粟で二兎を得られるかもしれない。
「分かった、協力しよう」
「協力などいらん、ここでじっとしていろ、公爵様への手土産も一緒に用意してやる」
「ならばお手並み拝見しよう」
ニヤリとムトゥは笑う。
「ふっふっふ、まずは小屋に転がした死体を見せて魔獣を放置している責任を追及してやる、ムートン領に入る口実を作るのだ、惨い死体を見れば動揺して泣いてしまうかもしれんな、楽しみだ、くくくく」
ムトゥが見たフローラなら恐らく眉一つ動かさない、何故そんな見立てになるのか見識を疑うばかりだが先日見た一回とは違う面をフローラは持っているのかもしれない。
「そこで拉致するのか?」
「いや、まだ駄目だ、取り巻きがいる、その後ダミーの魔獣として狼を放つ、それを追い込む過程でやつを孤立させるのだ」
「拉致班を準備させている、奴が此方の討伐に怒って出てきてくれれば囲んで拉致できるチャンスは必ずある」
眉毛までも薄い顔に線を引いただけの細い目が更に細くなり、薄い唇が吊り上がる。
その細い隙間から覘く赤い舌がムトゥでさえ嫌悪感を募らせる。
「ギルド長!フローラ・ムートンに伝文を出せ、我が領内に魔獣の被害が出た、直ぐに確認に参れとな!さもなくば独自にムートンの森で魔獣討伐を開始する!」
「畏まりました、フィーゴ様」
ギルド長が頭を垂れると忙しくテントを出ていく、良く手懐けられている。
まあまあな策略だ、まったくの馬鹿ではないのかもしれない。
獲物がまな板に乗るまで包丁を研いで待つとしよう、ムトゥは紙と木炭を取り出すと湧き出す図案を本番に向けて書き留める。
傑作の予感に期待が止まらない、描いた図案を眺めながら飲む酒はさぞかし美味だろう、ムトゥは任務を忘れて夢の世界に没頭した。




