切り替え
ムートン家マナーハウスの広くない応接室は、皇太子一行五人が着座するとギュウギュウといった感じになった。
テーブルには薬草や蜂蜜をブレンドして温めたホットワインが出され、冷えた身体に熱い甘さが沁みる、アンヌの気配りだ。
肌が透けるほどに濡れてしまった偽フローラは着替えているため着座が遅くなっている、その間にアンヌとハリーが夕食メニューのための聞取りを行う、皇太子にアレルギーがあっては大変だ。
一行にフローラが向き合うためにソファーを避けてスペースを作っておく。
マナーハウスに向かえ入れた以上、皇太子と同列の席にバロネス(男爵令嬢)が座るわけにはいかない、膝を付き傅くための場所だ。
「侍従の方、私は隠密で伺いました、フローラ様が傅くことなど無用です、ソファーはそのままに願いたい」
エドワードがハリーに声をかけた。
「私どもは王家に忠誠を誓う家臣の一人、不幸にも当主が他界したため、令嬢であるフローラ様が仮の当主を務めております、ここで皇太子様のお言葉に甘えては先代当主に顔向けできません、どうか儀礼的ではございますがご容赦ください」
優雅に一礼した初老の侍従に先手を打たれた、皇太子と男爵令嬢の距離感を保たれてしまった。
仕方なく頷いたところに簡易的なドレスを纏ったフローラが現れた。
「お待たせして申し訳ございません、皇太子殿下」
スカートの端を摘まみ一礼する、髪はまだ濡れたままだ、薄く口紅を引いただけの化粧でも先ほどと随分印象が違う。
「皇太子様、先ほどまでのご無礼、大変失礼いたしました、何卒ご容赦くださいますよう」
スカートを花びらのように広げて傅く姿も様になっている。
伏せた瞳が一瞬だけ上目遣いに開いたのを見てガイゼルは戦慄を覚えた。
「!?」 ビクッと身体が反応してしまう、左右の僚友を目の端にとらえると同じように感じているのが分かる。
只者じゃない、今の一瞬で俺たちは測られた、この距離は彼女の間合いの中だ。
フローラが再び目を伏せると可憐な少女が傅いていた、達人の気配は一瞬で消えた。
華奢な身体から武術の匂いは消えている、勘違いだったのかもしれない。
「・・・」ガイゼルとメンバーたちは顔を見合わせた、なにも感じていないのは聖女と皇太子だけだろう。
「フローラ様、謝るのは私の方だ、私の貴方に対する求婚の文書がムートン家に多大な迷惑をかけたことを謝罪する、許してほしい・・・このとおりだ」
エドワード皇太子はフローラに向けて跪いて謝意を示した。
「皇太子様、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、なんでも聞いてほしい」
「何故私なのでしょうか、貴族とは言え当家は下級男爵、到底王家とは釣り合いません」
「私の一存で決めた、私にはどうしても貴方が必要だ」
エドワードの真っすぐな目はその心根も映している、正直な青年だ。
その瞳に映るフローラの瞳もまた、真っすぐにエドワードを映した。
「白状します、舞踏会の日の川での救出劇は確かに私です、ですが無鉄砲なだけの馬鹿な行動です、父に知られると叱られるので黙っていました」
「やはり、間違いなかった、そうだ、あの日私は君を知ったのだ」
「皇太子様、お気持ちは大変に嬉しく光栄の至りです、しかし、やはり私では器量不足、とても将来の国母など勤まるとは思えません」
「今すぐ答えが欲しいとは言いません、我々も今回は男爵殿の弔意に参ったのが一番の目的、ただ私の気持ちを直接伝えることが出来たのは至上の喜びです」
「!」
弔意といった跡の笑顔は不謹慎と言われればその通りだが、それだけにフローラへの思いが伝わる、この青年の口から嫌味な声が発せられるのを想像できない。
若い女性なら頬を染めてもおかしくないが、高揚感がないエミーには不可能な演技だ、少し胸に手を当てて恥ずかし気に俯いてみる。
「もったいないお言葉です」
「皆様、お食事の準備が整いました、ダイニングへお越し下さい」
アンヌが知らせにやってきてくれた、第一段階は乗り切った。
最初に挨拶をした一瞬、周りの騎士たちに気取られた、いつもの癖で前に並んだ人間たちの人代や予想される攻撃パターンを測っていた、当然対処法も考えた、端にいた体格の小さい男がこの場所ではやっかいだ、初撃で片づける・・・必要のないシュミュレーション。
フローラの代役を務めて五日、演技は様になってきたがエミー本来の性質を変えられるわけではない、腕力なきエミーが暴力の渦巻く荒野で生き残るため身に着けてきた天性の術はなかなか隠すことは出来ない。
皇太子のテーブルに並べるには質素な皿が並ぶ、元々当主だったムートン男爵は食事に贅沢することを嫌っていた、野菜は自家農園、肉や魚はジビエ、食器やグラスは良い物だが古いアンティークなものばかりだ。
そんな中でお酒だけには金をかけた。
主を亡くした石造りセラーの住人はワインからウイスキーまでが整然と並び眠っている。
初老の執事バトラー・ハリーは皇太子一向のグラスに注ぐワインを選んでいた。
セラーの奥には特に大切にされていたヴィンテージが顔を揃えている、その中の一本に目が留まる、木箱に一本だけ収められた赤ワインはフローラが生まれた年の物、男爵が嬉しそうに手に取って眺めていた姿を思い出す、いつか一緒にグラスを傾ける日を楽しみにしていたのだろう、その光景を見てみたかったがその時は永遠にやってこない。
「旦那様・・・」
遠く離れていった穏やかな未来が瞼の裏に浮かぶ。
「どうかお嬢様をお守りください」
もう開栓されることはないだろう赤い琥珀の向こうの笑顔に祈った




