お蚕様
岩人の谷の上流部にロイヤルシルクを生産する洞窟がある、背丈ぐらいの高さの洞窟には腰高の台とすのこが組まれ、白い蚕が餌となる青桑と呼ばれるこの地方独特の葉を食んでいる。
昼夜問わずシャクシャクと蚕の咀嚼音が洞窟内には響いていた。
もう少しすると糸を吐いた蚕が繭化する、湯につけた繭を紡ぐとロイヤルシルクとなる。
成虫となった蛾は純白の特大種で大きな羽根と細い胴体は蛾というより蝶といったほうがイメージしやすい、一般的な蛾のように胴体が太くないためバタバタと羽搏かずヒラヒラと舞うが正解だ。
森の貴婦人と形容されるに相応しい美しい蛾だった。
その幼虫の蚕が食べる青桑は、この山以外では自生していない希少種、ロイヤルシルクの美しさも強靭さにも両方が必要だった。
大量の蚕は繭化するまでにこれまた大量の糞をする、糞はすのこから落ちて蓄積していく、更に繭の中にいた死んだ幼虫をその上に撒いて洞窟内の砂をかけて埋葬する。
御蚕様供養のためその洞窟は一年閉じられる。
偶然だった、蚕の糞と死骸、洞窟の土が良質な硝酸に変化していた。
数百年積み重ねられた硝酸は莫大な埋蔵量がある、戦争するには十分すぎる量だ。
最初に見つけたのは岩人の中で外に出稼ぎにでて帰ってきた者だった、火薬の製法を学んで帰ったその男は蚕洞窟の床に硝酸が埋まっていることに気づいた。
次の出稼ぎに一袋の床土を鑑定に出した、高値で買われた男は有頂天で宝の在処を風潮し、その声が王家より早くランドルトン公爵家に伝わってしまった。
争いの火種が山深い蚕の楽園に産まれた。
「今年の御蚕様の様子はどうだい?」
長年面倒をみているサヤ婆が新任養蚕長のドルンに声を掛けた。
「サヤ婆、もう少しですね、糸を吐き始めた個体がいくつかいます」
「天候に恵まれて青桑の育ちも良かった、たんと食べて大きく育ったの」
「紡ぎ方の皆さんも待ちかねているでしょう」
「ああ、みんな糸車の整備に夢中だよ、好きなんだよね」
「紡がれてシルクとなった生地の美しさときたら誰でも夢中になりましょう、我々は贅沢にも普段着はおろか作業着にまでシルクを使える」
「まったくじゃ、美しいうえに丈夫じゃ、儂の服なぞもう十年も来とるのに擦り切れもせんわい」
「それからトーヤの工房には街の貴族から大量に釣り糸の発注が来ておるそうじゃ、一人じゃ間に合わんちゅうて弟子なんぞをとりおったぞい」
「そんなに需要が有るものなのですか」
「なんでも依った糸にワセリンをすり込むと水に浮くそうな、それで毛ばりを投げて魚を釣るのだそうじゃ」
「へぇー、それで釣れるものですかねぇ」
「あんま釣れんらしいぞ、おまけに貴族共は釣った魚は殺さず川に戻してしまうんだと」
「ええっ!?じゃあ何のために釣りをするんだい?」
「そんなこちゃ儂が知るわけなかろうが!貴族様のやることは儂らにゃ理解不能じゃ」
「理解不能といえば蚕洞窟の床土、あれを欲しがるのも意味が分からない」
「なんでも鉄砲の弾を飛ばす火薬になるんだと」
「信じられないなぁ、あの土が爆発するなんて」
「儂ゃ鉄砲は嫌いじゃ、うるさいし、なにより肉がまずくなる、弓の方がええ」
「そうだよね、なにより神聖な御蚕様を人殺しの道具にするなんて・・・出来ればやめてほしいよな」
岩人にとって蚕は天が与えてくれた恩寵、恵を与えてくれた御蚕様は山の神にお返ししなければならない、御蚕様供養は自然と共に暮らす岩人にとって大切な意味がある。
ゴーンッ ゴーンッ ゴーンッ 正午の鐘がなった。
「俺たちも昼飯にするか」
ドルンは桑の葉を積む手を休めて教会のある下流方向を見下ろした。
協会の裏に墓地がある、サイゾウが行方不明だったリンノウを遺体を見つけて持ち帰ってきた、羊飼いの男同様に内蔵は丸ごとなかった。
「ムートンの森の高い木の枝にぶら下がっていたよ」
震える手で顎鬚を摩る、遺体を見つけた時の衝撃が目に焼き付いている、きっと山を歩けば幻を暫く見ることになるだろう。
「ぶら下がる?なぜそんなところに」
神父も青ざめている、遺体は誰も見せることは出来ないほど損傷が激しかった。
「ロープを使った跡もない、担いで持ち上げて枝に引っ掛けるなんて人の力じゃ無理だ」
「馬鹿な、本当にヤーヴル(森の悪魔)だというのか」
「でも殺したのは人間だ」
「どういうことだ?」
「肩口に刀傷がある、恐らくこれが致命傷だ」
「本当だ、細い剣だな、レイピアか?」
「殺した奴とぶら下げた奴は別にいる、そいつらがツルんでいるのかは分からん」
「それと・・・」
ジャラッ サイゾウは懐から金貨を取り出した。
「遺体の下に落ちていた、零れ落ちたのだろう」
「これは!?ランドルトン公爵家発行の金貨じゃないか!」
「死人を悪く言いたくはないが・・・」
「まさか男爵様を襲ったのはリンノウたちなのか」
「分からんが、残り三人も生きてはいないだろうな」
「確かにリンノウたちは公爵様よりの意見だったが、まさか男爵様暗殺に手を貸したとあればムートン家に申し開きできない」
「族長に相談しなければならないな、あと少人数で山に入るのは禁止だ、必ず護衛をつけさせろ」
護衛とはいってもリンノウは武術に長けていた、ナイフを使った拳闘と足技を組み合わせた格闘術にはサイゾウでも模擬戦の勝率は五分、リンノウを屠った相手に護衛が役に立つとも思えなかった。
「アオギリ・・・」
見慣れた森が急に遠く感じた。