マナー
「何故こんなにスプーンとフォークが必要なの?」
心底意味が分からないと呆れ顔で問い返されたが呆れたのはこっちだと言いたかった。
エミーはテーブルマナーさえ知らなかった、異国人が主催する孤児院では箸なる棒を使って食事をしていたという、大衆食堂やキャンプばかりで正式な食事を囲んだことなどなかったのだ、マナーギャップはとんでもなく激しかった。
「非効率だわ、箸一組あれば全て食べることができるのに、なぜ無駄に汚さなければならないの?」
「それがマナーです」
「片付ける人の仕事や手間は考えないの」
「片付ける人の仕事を奪うことになります」
「屁理屈よ」
「良いか悪いかではありません、公式な場では絶対必要なことなのです、覚えてください」
不毛な議論は終結した。
「討伐隊を組織します、エミーさんにはフローラ様として隊長を演じて頂きたいのです」
「それが本来の仕事よ、けど獣相手は初めてね」
「冒険者といっても様々だけれどエミーさんの本来の仕事とは?」
「護衛や警護が多いわね、それらしくは見えないことが役に立つことも多いわ」
「なるほど・・・腕に覚えありというわけですか」
「自慢できることじゃない、要は人殺しが少し上手いだけよ」
アンヌは森での戦いぶりを思い出して背筋が寒くなった、抵抗できなくなった相手に一瞥もくれず刃を打ち込む冷たい瞳、その刃には怒りも悲しみも欲望も希望もない、人の命を奪うハードルが低い、必要ならなんの葛藤もなく殺すことが出来る。
無垢の心、良心に縛られない人殺しは恐ろしい。
アンヌの表情からその心の内をエミーは読み取る。
「自分が普通ではないことは理解しているつもり、でも善悪の区別がつかないわけじゃないの、安心して」
「そういうことではないのです、ただ少し・・・フローラ様の顔で鬼神のごとき剣を振るわれる姿に、私の心が拒否感を覚えてしまうのです」
「どういうこと?」
「いいえ、これは私の問題なのだと思います、エミーさんを否定するわけではありません」
「鬼神といったけれど、それは過大評価よ、私の剣には大剣と打ち合ったり、厚い鎧を打ち抜いたりする力はないわ、それでも相手の攻撃を封じる初撃の速度で圧倒して生き残ってきたの、腕力勝負や乱戦になったら勝機はなくなる」
「魔獣相手でも圧倒できますか?」
「相対すれば実力の程はだいたい分かるものよ、目の動き、立ち方、気迫、測るヒントは色々あるものなの、人ならね」
「直接討伐するのはエミーさんだけではないでしょう、全員で協力すれば例えヒグマであっても斃せるのではありませんか」
「そうね、でも戦いの中でフローラに近い人が私より先に殺されるのを見送るべき?例えば自警団のマックスさん、彼の窮地に私が剣を使えばフローラじゃないことはバレてしまうでしょう、そうなったとき私はどちらを選択すべき?」
「考えるまでもないわ、人の命より大切なものなんてない、彼を助けてあげて」
「本来の目的を達成することが困難になるけど、いいの?」
「いいも悪いもないぞ、アンヌが言ったように命より大切なものはない、あとの事はそのあと考えればいい、生きていればこそ考えられる、それは貴方も同じだぞ」
考え込むようにエミーは目を伏せた、自分が思っていた答えとは違っていたようだ。
「フローラならそうするのね」
二人は頷いた。
「それと報酬の事なんだけど、貴方の望みを聞いておきたい」
「報酬?」
心底キョトンとした顔になった、考えてもいなかったという顔だ。
「あんまりお金がないのは知っていると思うけど出来るだけの準備はするわ」
「いらないわ」
「冒険者が報酬をいらないというの!?」
「だめかしら?」
「タダで契約は結べない」
「分かったわ、じゃ、全て上手くいったなら養父の孤児院に寄付してあげて、値段は任せるわ」
「あなた個人にはいらないの?」
「生憎困っていないの、今まで大勢殺してきたから」
両手を広げて笑って見せる、その笑顔はフローラからは遠く離れた別人。
「贖罪のつもり?」
「さあ、自分でも分からない、おおよそ自分らしくないとは思う、でも自分と同じ顔が泥水の中に沈んでいくのを黙って見ていられるほど人で無しでもなかったって事ね」
「信じていいの」アンヌの目は真剣だ。
「魔獣討伐の方は引き受けるわ、でも皇太子対策の方は指示が欲しい、正直どう対処していいか見当もつかないの」
「ああ、難問だらけでどうしたら良いのやら・・・」
毎夜三人のミーティングは続いた、お互いに知らないことが多すぎる。