惜春
男の死体は村の者たちによって現場に残されていた。
まだ若い男は身体も大きく腕脚も太い、街に出れば騎士候補にでもなれたかもしれない。
エミーたちが現場についたとき、領内の自警団も残って周囲の警戒と捜索が続けられていた、マナーハウス外で長時間フローラを見知った人たちと接触して身バレしないか未知数だが顔を出さない訳にはいかない。
「お嬢!こんなところにお呼びしてしまって申訳ねぇ」
一番に声を掛けてきたのは自警団のマックスだ、フローラとは幼馴染だと聞いていた、主要な人物の特徴はハリーとアンヌから聞いていたが、その中でも要注意人物の一人だ。
「いいえ、マックスこそご苦労様、彼はどこ」
「あそこだ、むしろを掛けてある、無理に見なくてもいいぞ」
「私には責任があるわ、でもまず・・・」
躯の前に膝をついて十字を切った、両手を組んで頭を垂れる。
無信教のエミーなら取らない行動、フローラならこうするというシュミレーションをしてきていた、全ては嘘で演技だ。
フローラの到着を見て自警団が集まってくる、普段は農民や森の仕事、弓を持った狩人、川の漁民、様々だが身体の効く若い男たちばかりだ、戦争となれば兜を被る予備役も担っている。
それぞれ自分の仕事と土地に誇りを持っている、地域の団結は強い。
「お嬢、これはやっぱり魔獣だ、躯の内臓だけ喰われちまってる、人の仕業じゃないぜ」
むしろを捲ったそこにいたのは虚空に白くなった眼を向けた男、胸から腹の中身がそっくり無くなっている、白い骨に纏わりついた血が乾いていた。
見知った顔の惨殺体、屈強な男でも平常心ではいられない。
「うっ・・・」口を覆い強く目を閉じる、これも演技だ。
「だから無理すんなって・・・」
屈みこんだフローラの背中をごつい手が挿すった。
「ごめん、このひとの家族は?」
「母親と兄弟が二人、嫁はまだだった」
「恋人はいたの?」
「どうかな、いなかったと思うが」
「そう、直ぐに見舞金を持っていくわ」
「助かる、兄弟二人はまだ幼い、この羊の面倒みるのは無理だ」
「ハリー、出来るだけの工面をしてあげて」
「心得てございます、お嬢様」
死体の状況がエミーの興味を引いた、足首に圧迫痕があった。
躊躇なく遺体に近づくと足首を捲った。
「!?」
「どうした、何かあったのか」覗き込んだマックスの目に映ったのは途轍もない大きさの手の跡、そして何キロの握力で握られたらそうなるのか、足首は砕けていた。
「前から怪我をしていたわけじゃなさそうね」
「こりゃあ・・・いったいどうして?」
男の足首を優に一周以上掴んだ指は肉と骨にめり込んだ跡がある。
人間の骨の荷重最大値は五百キロ前後、衝撃ではなく握りつぶすためにはそれに近い握力が必要になる。
更に遺体の腹部、残った皮膚を元へ戻すと、食い千切られた訳ではないことが分かる。
刃物で裂かれたのだ、皮膚の断片が落ちていないことにエミーは気づいていたのだ。
「裂いたのは牙じゃない、刃物だわ」
スッ エミーは立ち上がると踏まれた草を辿って視線を動かしてゆく。
フローラの指が自分の首元へ当てられる、平常心を確認するエミーの癖。
草原に着いた足跡を踏み荒らされた中から規則的にのびる一本を探し出す、被害者の足跡、約百メートルを走り追いつかれた。
犯人は・・・黙ったままエミーは視線を落とす遺体の近くにあった足跡。
「ねえマックス、誰か遺体の周りを裸足で歩いた?」
「裸足?いやそんな奴はいなかったはずだが」
「この足跡、狼とも熊とも違うわ」
「言われてみればホントだ、人の足に見える、二十センチ後半かな」
「ということはやっぱり犯人は人なのか」
「被害者を追いかけた時の足跡、ここと、あそこにもあるわ、どういうことかわかる?」
「わからん、何が言いたいのだお嬢」
「よく見て、こっちが前足、そして後足、どっちも二つ・・・つまり」
「!?四足歩行だ!」
「そのとおり、そして足跡は森へ伸びている、ここからの距離は約三百メートルというところかしら」
「よく見えるな」
「被害者はあの岩から逃げてきて、ここで追いつかれた、被害者が百メートルを二十秒で走って逃げたと仮定すると犯人は百メートルを七秒以上の速さで走ったことになるわ」
「この草原で七秒だと!?熊には無理だ、狼なら可能かもしれないが、もちろん人間には不可能だ」
「そうね、時速六十キロで走り、人の骨を握り潰す手を持ち、刃物も扱うことが出来る」
「そんな馬鹿な・・・それじゃ単なる獣でも魔獣でもねえ、魔人じゃないか」
そんな答えを凄惨な遺体一つから冷静に導き出したフローラにマックスは驚愕した。
この土地が男爵領になって以来の顔見知り、幼い時は良く遊んだ仲だ。
男勝りでお転婆な娘だった、夏は川で高飛び込みの高さを競い合った、明るく聡明で優しい、非の打ちどころがない娘だ、唯一の欠点とは言えないが情に脆すぎる、他人の不幸にも声を上げてすぐ泣く。
そんな彼女を好きだった、しかし相手は男爵の娘、貴族の娘は政略結婚の糧だ。
自分の立場と領分は弁えている、せめて彼女がこの地にいるうちは傍で役に立ちたい、そんな気持ちで自警団に入った。
男爵様亡きあとバロネス(仮男爵令嬢)の役目に奮闘するフローラの苦労は見ていて辛かったが人としての根幹は変わらないと思っていた、あの河原で遊んだ眩しい笑顔のままだと。
しかし、目の前のフローラは違う、冴え冴えと大人びて沈着冷静に状況を捉えている。
かわいいだけの妹が急に世の中を知り尽くした年上の女に見えた。
「神様も悪魔もいない、実在していれば見ることが出来るし、生きていれば殺せるわ」
「お嬢・・・」
平然と言ってのけるフローラに畏怖さえ感じていた。
父の死で変わってしまったのだ、強くならなければならなかったフローラに何もしてやれなかった自分が悔しかった。
この日、マックスは心地よい青い春が確実に過ぎ去った事を知った。