恋の早瀬
高さ二十メーターを超える石造りの橋の上からエドワードたちは川を見下ろした。
「首都の川と似ているな」
「暗くて深さが分かりませんが、私は飛び込めません」
「自分も無理です、だいたい泳げません」
エドワードの脳裏には躊躇することなく首都の大橋から飛び込むフローラの姿が焼き付いている。
ちょうど一年前、フローラは王家が主催する宮廷舞踏会に参加するために首都を訪れていた、毎月開催される儀式に地方貴族は持参金を持って最低年三回は参加しなければならない。
今でいう政治家の資金パーティーのようなものだ、このような催し物が王家だけではなく公爵やら伯爵やら有力者たちが開催する度に上納金を持って参加しなければならない地方貴族は付き合いだけでも大変な負担だった。
年頃になった貴族の男女は家系の付き合いの中で将来が決まっていく、一夫一婦制のこの国では婦人の立場は重要であり家系を結びつける最大の手段、自由恋愛で結ばれることは稀だ。
その日の舞踏会には国外の令嬢たちも招かれて盛大なものとなる予定だった、市内の道路は来賓と荷を運ぶ馬車でごったがえしている。
首都の道路は石造りで整備されていたが戦争時の防御陣形も考慮されて意図的に狭く、そして曲がりくねって、坂道も多い。
そんな中である外国貴族の令嬢が乗った馬車と軍の馬車が坂道で鉢合わせして驚いた外国貴族の馬車馬が暴れ出してしまった、建物にぶつかりながら暴走した馬車は牽引金具を引きちぎり荷台だけが坂道を転がり落ちていった。
ガガガガガッ 石を激しく削りながら速度を増した荷台は川沿いの道路を横切り、バッシャァアアンッ そのまま川にダイブした。
たまたまエドワード通りの手前でその光景を馬車の中から見ていた。
「馬車が落ちたぞ!何事だ!!」
身を乗り出して確認すると、落ちた馬車は見ている間に沈み始め、折からの雨で増水した急流に流されていく。
「たっ、たすけくれー!!」 馬車の扉が開き老人がまだ幼い令嬢を抱えていた。
「人がいるぞ!!」
「紋章官、どこの家の馬車だ!?」
沈み流されていく馬車を見ながら誰も助には入らない、いや手段がない。
「外国の賓客です、この国の者ではありません!」
「誰か船を回してこい、急げ」
街の警備や軍関係者は鎧を着ていて水には入れない、誰も溺れるのを恐れて川に飛び込もうとする者は現れない。
「ええい、何をしている!?沈んでしまうぞ!」
業を煮やして馬車の扉を開けたところに後ろから舞踏会の参加者なのか着飾った娘が走り込んできた。
「ねえ、ちょっとあなた!」
「!?」慌てているのか王家の紋章が目に入っていないらしい。
「小刀持ってない?」
「なんだって?」
「小刀よ!持ってるなら早く貸して!」
意味も解らず腰にさしていた短刀を渡した。
「サンキュー」
取るが早いか娘は自分のドレスに刃を入れるとミニスカートに変えてしまった、おまけに両腕も肩から取ってしまうと装飾品の類と短刀をその場に投げ捨てる。
「娘、なにをするつもりだ!?」
言い終わる前に娘は川沿いの道を走り出していく、人混みをミニスカートが疾走する。
「飛び込むつもりか?」
無理だ、もう随分沖へ流されてしまった、岸から泳いでも届かない、自分も流されるだけだ、諦めろとエドワードも後を追った。
「殿下!?駄目です、出ないでください」
従者が慌てて後を追う。
娘は川に向かうと思いきや流される馬車を追い越して走る、その向こうに関門大橋が見える。
「嘘だろ!?飛び込むつもりか!!」
娘の意図が見えた、流される馬車の近くに飛び込むつもりだ、しかし高さは十メートル以上ある、貴族の娘に出来ることとは思えない。
「なんて足が速い、全然追いつかん!」追いつかないどころか離されている。
馬車が橋を通過する、爺と幼い娘は最早顔が水面にでているだけだ、馬車は完全に没した。
娘は狙い定めた位置で欄干を跨ぐ、深呼吸を一つ。
「待て!!無茶だ!」
叫んだ声が届いたかは分からない、娘は身体を水面に向かって踏み切っていた。
「ああっ!!」見ていた全員が声を上げた。
両手を胸の前で組み足を揃えてズボッ、以外な程小さな水飛を上げて飛び込んでしまった、姿が水中に消えて一秒、二秒、三秒・・・浮いてこない、最悪の事態を思った時、ザバァッ 娘の頭が爺と姫の前に突然浮かび上がった。
「おおーっ!!」歓声が沸いた。
娘は幼い娘を抱えて横泳ぎで岸に向かって泳ぎ出す、爺に向かってなにか言っている。
「エンビを脱いで、諦めちゃだめ、あなたも一緒に助かる、泳いで!」
励ましている!なんという性根の強さか、エドワードは岸に向かって走った。
流されながらも岸まで泳ぎ着いた娘は幼い娘を岸に上げると爺にも手を貸して上がらせる。
拍手と歓声に迎えられて最後に岸に這い上がった娘はさすがに立てずに両肩で荒い息をしている。
岸に降り立ったエドワードは娘に声をかけようと近づいた。
濡れた服が肌の色を透かしている、一瞬ためらった隙に横から黒いメイド服がコートを持って走り込んできた。
「お嬢様!!一体なにをしているのですかーーーっ!!?」
従者がいた、やはり舞踏会に参加する貴族の娘に違いない。
メイドに向けた顔が目に入った、濡れたブロンズの髪が太陽の光を受けて金色に輝き、深緑の瞳に慈母の優しさが見えた。
「天使だ・・・」
初夏の河原でエドワードは恋の早瀬に落ちたていた。