ver.3 猫が見る足元と、世界の記憶
それを表現するならば、ずんぐりむっくりで二足歩行の三毛猫。という感じだった。毛むくじゃらの身体に短パンとベストというシンプルな格好。瞳の見えない糸目。身長は小学校中学年程もあり、近づくと可愛いマスコットキャラとはちょっと言い難いくらいに存在感があった。
「なにしてるにゃ。大丈夫にゃ?」
そいつはトコトコとあたしがしゃがみ込む袋小路に入ってきた。割とあざとい口調。
「いや、うん、大丈夫」
「そうか。ずっとそうしてるの見てたにゃ。お腹でも痛いのかにゃ」
「ううん。ちょっと、疲れちゃっただけ」
頭上に名前は表示されていない。おそらくNPC。というかキャラメイクで獣人は選択できなかったから、間違いなくそうだろう。まさか、心配してきてくれたのだろうか。
「ワタシ見習い……じゃなくて大商人のキキタにゃ。カモを探し……じゃなくて、その、心配、そう! アナタを心配してきたにゃ」
違ったらしい。言っちゃいけない心の声が漏れているタイプのキャラだった。
「アナタ名前は?」
「えっと、ナイン」
「そうか。よろしくにゃ。ここで会ったのもなにかの縁にゃ。骨董品には興味ないかにゃ?」
挨拶もそこそこに、早速なにか売りつけてくるらしい。
「アナタは運がいいにゃ。今日はすごいガラクタ……じゃなくて、すごいオタカラを持ってきてるにゃ」
もはや意図的とも言える言い間違いをしながら取り出したのは、石だった。キキタは両手で掲げるようにして差し出してくるが、あたしでならなんとか片手で掴める大きさの石。なにかの原石、のようにも見えるが、詳しくない私にとっては青と橙が混じって見えるただの石ころ止まりだ。
「これはそのー、すごくいい石なのにゃ。なにか、その、とっても高価な宝石の原石で……じゃなくて、魔法が込められていて、いや、あのー」
とんでもないセールストーク。しどろもどろにも程があった。おまけに価値も効果も見えないそのアイテム。現実だったら絶対に買わないが、しかしここはゲームの中だ。NPCが自分から関わってくるのはきっとなにかのイベントに違いない。このキャラか、アイテムか、どちらかがなにかのフラグのはず。
「いいよ。買うよ」
率直に答えると、
「…………え?」
なぜか、フリーズしたように固まるキキタ。
「え、買うにゃ? 石、ただの石、いや、良い石にゃけど、え、本当に買うにゃ?」
どんだけ予想外だったんだ。もう、石には意味がないことは確定かな。じゃあ、この子から物を買う行為がフラグなのかも。
「うん。買う。いくら?」
「え、あ、えーと、その、あ、あ、有り金全部にゃ!」
随分と物騒な値段設定だった。有り金全部を山賊以外の口から聞くとは思わなかったんだが。というか、今決めたでしょ、絶対。
「有り金全部って言っても、これで全部なんだけど」
取り出しコマンドを実行し、手の中に具現化された全財産である10枚の銅貨を差し出す。キキタはそれをまじまじと見つめてポツリと、
「……これっぽちかにゃ」
わるかったな。初期値だから、これ。サービス開始から2時間近く経っているから、もう少し持っているとでも思ったのかな。
「ちょ、ちょっと待つにゃ。前言撤回にゃ。さすがにそんな貧乏だとは思ってなかったにゃ。もっとないかにゃ。本当は持ってるにゃ」
「ちょ、ちょっと、こら」
持ち物を強引に漁ろうとしてくるキキタをなんとか制す。体格に勝る私には勝てないことを悟って、むむー、と唸って思案して、
「そうにゃ。じゃあ、今着てるもの全部も付けるにゃ。それ以上はまかんないにゃ。駄目なら他の人に声かけるにゃ」
今度は身ぐるみ全部剥ぎにきたか。本当は新手の強盗かなんかじゃないのか、この子。
うーん。さすがに初期装備なしの素寒貧、はキツいよなぁ。このイベントがどれだけレアなのかどうかもわからないし。というより、始めてからただ蹲ってただけなのに、どんなイベント発生条件を満たしたんだろう、あたし。
「さ、さぁ、どうするにゃ。は、早くしないと、い、行っちゃう、にゃ」
強気に出ているが内心ドキドキしているのが見え見えな感じで煽ってくるキキタ。不確定なことが多すぎる偶然起こしたイベントだ。次や別の機会があるともわからない。その対価が、いずれ必ず充実するハズで替えのきく装備であれば、言わずもがな。だな。
「わかった。いいよ。全財産と全装備で手を打とう」
「ば」
「ば……?」
「ば、バカにゃ! アナタすっごくバカにゃ! えーい、持ってけドロボーにゃ!」
えらく取り乱しながら、すごい失礼。なにかあたしよりも苦渋の決断をしたみたいな感じを出すキキタとアイテムの交換をしながら、
「あ、ただ、この盾だけは勘弁してほしいんだけど」
メールでもらった継続特典とも言える大事なオルフェウスの盾を見せる。キキタはそれを一瞥すると、
「そんな傷だらけの盾いらないにゃ」
……こいつ。あまりに興味のない態度に逆に憎悪が湧いてくる。そもそも取引不可表示のある特別なアイテムだったから、盾だけにはプロテクトがかかってると踏んだのだけれど、この言い様はちょっと傷つく。
ともかくこうして私から剥ぎ取った全身装備を両手に抱えるキキタと、謎の石と盾だけ手にしたあたしがそれぞれ出来上がった。念の為言っておくが、あたしのアバターは全裸になったわけではない。コンプライアンス的にも脱いだ限界は肌着までだ。
「ありがとうにゃアナタ良い買い物したにゃそれじゃあまたにゃ」
急に早口でまくし立て、装備品をガチャガチャと言わせながら逃げるように去っていくキキタだった。なんだか、ある程度わかって応じたわけだけど、やっぱりちょっと騙された感はあるなぁ。このイベントで立てたフラグをどこかで回収する為の先行投資だと思うけれど。ひとまず現状唯一の戦利品である謎の石を見る。と、
〘◆忘れられた時系物『碧の黄昏』
嘗てこの地に存在し、闇に餐まれた世界の記憶。貴方が辿り手繰ることで蘇る栄華は、闇から世界を取り戻す楔になる。
鍾乳洞『碧の黄昏』が闇に餐まれ記憶の結晶となった姿。在りし日の場所に還すことで、闇からその姿を取り戻すことができる。
#売却、譲渡、取引、破棄不可〙
…………先行投資? 等価交換? ひょっとしなくてもこれ、破格だったのでは?
困惑する私に追い打ちをかけるようにウインドウがポップアップし重なる。
〘Aランク世界分岐『猫の誘い、熊への旅路 ルートA』の開始条件を満たしました。すぐに物語を開始しますか?〙
◆◆ NOW LOADING…… ◆◆
遡ること1時間ほど前。『PN:Nine Re:birth』が旧版Shadow Rebellionスタッフからのメールを開封して涙に溺れている頃。RECAPTURE HEROSからの新規勢である『PN:Canary』がログインした。
久しぶりのMMORPG、しかも最新で最先端。現実と勘違いするほどのリアルな世界に内心浮かれていた。
「不思議。世界観。全てが本物みたいで、全てが偽物みたい」
現実と言われて遜色ないクオリティのグラフィック。その全てに触れられ、使用できる緻密なオブジェクト。NPCはPCとの区別がつかないほど自然な動きと会話をこなしている。しかし、建物や植物は見るからにファンタジーだ。現実では有り得ないような形、素材のわからない建物。現実を踏襲し、現実離れしている。さながらアニメーションをモチーフとしたテーマパークのようで、その独創的なデザインのひとつひとつにCanaryはため息をついた。
「はぁ……。好き。こういうの。ただ遊ぶだけならスクショ撮ってまわりたい。仕事なのが、辛いとこ」
街歩きもそこそこにフィールドへと出てみると、広大な大地にそれを蝕む闇。闊歩するモンスターたちはユニークだった。リアル、デフォルメ様々だが、そのほとんどは動物となにかが掛け合わされた駄洒落のようなデザインだ。
「かわいい。初期設定からファッションやメイクも充実してたし。良き世界だわ」
探索と言うよりも下見、という気持ちだったが、せっかくだからと手近にいたモンスターと戦闘を開始する。
サウザンドの街から伸びる大きな街道。それを行きながら、道すがらのモンスターとの戦闘を繰り返す。RPGではよくあるその行動を重ねながらCanaryは疑問を感じ始めた。
「なんていうか……ずいぶん淡白。結構歩いたけど、街も、ダンジョンも。なにも無い……?」
フィールドは真っ平らと言っても良いくらいに起伏がなく、見渡す限りに地平線だ。プレイヤーとモンスターは各所で戦闘をしているが、それ以外は大地と闇のみである。結局辿った街道も闇に餐まれて遮られ、行き止まり。引き返すことになった。
「闇に侵食されてる世界とはいえ、いくらなんでもスカスカ。イベントは街で起こせってことかしら」
そう予想をつけてサウザンドの城下町へと戻ってみる。同じように考えているのか、見えないフラグを立てようとNPCに話しかけてみているプレイヤーは多い。それを横目に見ながら歩いていると、いつの間にか城門へと辿り着いた。堀に囲まれた雄大な城。跳ね橋を背に屈強な門兵が屹立している。城こそイベント有りだろうと近づけば、
「止まれ。ここから先はサウザンド城内である。冒険者風情が気軽に立ち寄っていいところではない。用がないなら立ち去るがいい」
(こういうの、ゲームじゃよくあるセリフ。だけれど面と向かって言われると、イラッとするわ。)
門兵の勤勉な態度と横柄な物言いに反抗するように、問う。
「……王様に会えるようになるには、どうしたらいいのかしら?」
「ふん。国主に謁見したいなどと。世界の危機を食い物にする冒険者には無理な話だ。せめて国を救うくらいのことはしてもらわねばな」
「そう。どうも」
(嫌われてるのね。貴族主義でもある国なのかしら。)
つまり、名声を上げてこい。そう受け取り、城門を離れて城下町へと戻る。現状できそうなことから考えれば、大型モンスターでも探して倒すかな。そう考えて歩いていると、
「こんにちは、可愛いおねぇさん。ボクと一緒にランチをしながらおヒゲの数でも数え合わないかニャ?」
と、子供のような声がする。ハッキリと聞こえはしたが、自分に向けられたものとは思わずそのまま進むと、
「あー、ちょっと。そこの背が高くて綺麗ニャ色白肌の、輝くような金髪のおねぇさん!」
同じ声に今度は自分の見た目の特徴を言われて立ち止まる。しかし、声はすれども姿は見えず。
「もう。こっちこっち。下見てニャ、下」
言われるままに視線を下におろしてみると、そこには緑のまんまるの瞳を輝かせてCanaryを見上げている、猫が。
「あら。可愛いお客さん」
「アハハ。ありがとニャ。ボクはジバニだニャ」
名乗ったのは、子供くらいの大きさの二足歩行の黒猫だった。
「今、猫探しをしているんニャけど、そんなことよりキミと話がしたいなと思ってニャ」
なんだか複雑な状況だ。しかし、普段では有り得ない可愛らしい軟派者に満更でもなかった。
「いいわ。どうしたらいいの」
「そうこなくちゃニャ。じゃあ、あそこのお店でゆっくりと、ニャ」
誘われるまま歩き出すと、遮るようにポップアップウインドウが目の前に現れた。
〘Aランク世界分岐『猫の誘い、熊への旅路 ルートB』の開始条件を満たしました。すぐに物語を開始しますか?〙
満たした条件は不明。これからどうなるかもわからない。しかしこのイベント発生は渡りに船だと、彼女は『はい』をタップするのだった。
◆◆ NOW LOADING…… ◆◆
「うーん……」
未だ目の前に張り付き、右を見ても左を見ても視界のど真ん中を占領しているイベント開始を促すウインドウ。『はい』と『いいえ』どちらにも触れぬまま放置しているそれと睨み合う。『はい』と答えてこの格好のまま強制的にどこかへ連れて行かれたりしたら困るし、かといって『いいえ』と答えてイベントが消滅したりしたら困るし。で、そのまま。
「でも、選択の余地はないよなぁ」
仮に『いいえ』を選択したとして、装備なし状態が解消されるわけでもない。この格好のままお店に駆け込んだとしても所持金はゼロだし。ましてや肌着のステゴロでモンスターを狩るなんてのはもってのほかだ。一瞬で有名人になっちゃう。
それに比べれば、このままイベントを始める方がずっとマシに思える。そもそも装備を差し出すことが前提条件のイベントなのであれば、代替品なりなんなりの補填があるはず。そうに違いない。……多分。
未知の中の決断をすることはあたしにとってはかなり苦手なことだ。すぐに萎れる気持ちを鼓舞しながら、意を決して『はい』に触れる。
ぴこん、と選択肢を選んだことを告げるSE。続けて新しいポップアップウインドウ。そこには雰囲気のある字体で、
〘忘れられた時系物に内包された記憶が、貴方へと流れ込んでくる……〙
まるでト書きやナレーションのよう。
〘それは僅か数ヶ月前の出来事……〙
身体の中心が淡く発光し始め、
〘国の平和を誰より願う国主の一人と、それを慕う従者の話である……〙
それに包まれるように視界が薄れていく。
〘貴方はそれを辿り、手繰るもの……〙
〘失われた世界の記憶を渡る、冒険者である……〙
仮想の身体が溶けていく怖さよりも、神秘性が勝った。全身が末端から光の粒子に変化し、風に運ばれるように薄れていく。それは厳かで、神聖なことのようにすら感じた。
なにかに誘われ、空間に吸い込まれるように。
あたしは消えていった。
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≫≫≫≫≫ Save and continue……
【tips(語られぬ予定の設定たち)】
●オルフェウスの手紙
Shadow Rebellionでの人気キャラ、オルフェウスが遺した手紙。物語終盤の大きな戦いで命を落とすことになった彼が、その戦いに向かう覚悟や万が一の時に仲間に当てた言葉などが綴ってある。彼の自室で読むことができ、それまでの彼との関係性によって、読むプレイヤー毎に少しずつ内容が違う。
またそれが置かれた彼の部屋は最初ただの一室だったが、ストーリー展開に対する抗議などがあった後で公式がストーリーを変更することはできないことを謝罪。せめてもの代わりにと彼を慕っていたプレイヤーに向けて何度もアップデートを重ねて出来上がったもの。ほとんど全てのオブジェクトに触れることができ、仕舞われた衣服のたたみ方、洗いかけの食器、部屋の隅の埃に至るまで『彼らしさ』にこだわって作られている特別な空間となった。