可愛くて清楚な女の子と、とことん冴えない俺
彼女なんて出来たことない。
こんな俺がモテるわけがない。俺は今年で大学生になる男。顔も悪いし背も低い。ついでに目も悪い。子どもの頃から運動が苦手で、体育のバスケやサッカーではいつも皆に迷惑をかけていた。当然中学では運動部になんか入れない。緩そうな文化部を探して、科学部に入ってはみたけど、そこまで興味があるわけでもなかったし自然と幽霊部員になっていた。それから先は家に帰ってインターネットで2ちゃん見て「Welcome to Underground」の日々。パソコンの授業では周りよりも速い自分のタイピングをこれでもかと見せつけていた。見られていたかどうかは別として。
そんなこんなで高校も似たような生活。帰宅部ですぐに家に帰る日々。このままじゃダメだと思って色々なことに手を伸ばしてみたりはしたのだけれど。ボカロ曲作ってみようと思っても結構な初期投資が必要と思って萎えた。音楽の知識もないし。ゆっくり動画とか音MADとか作ってみようとかも思ったけどそれらも自分が簡単に出来るような代物ではなかった。全てを投げだして怠惰にニコ生を見る毎日。画面の向こうには自分よりも終わっている人たち。人間というのは自分より下を見て安心する生き物なんだよなぁと思った。
時間があったからといって勉強していたわけでもなかった。勉強が得意なわけではないし、授業中も上の空で昨日見た音MADやボカロ曲を脳内再生していた。成績も半分より下で、先生に家で何やってるのか訊かれたこともあったけど、まとめサイト巡回してることなんて言わない方がいいというのは流石に俺でも分かっていたので、「よく寝てます」の一点張り。自己紹介のときも言うことなんて無いから「趣味は寝ることです、寝ることが好きです」と言って済ました。俺はネットミームを摂取するばかりでオタク趣味も特になかった。俺にはインターネット以外何もないように思えた。
こんな俺にも性欲はある。
あるものは仕方がない。俺は彼女が欲しい。俺の全てを受け止めてくれる彼女がいれば、俺をいっそのこと養ってくれるような可愛い女の子がいれば、それ以外何もいらない。彼女がいれば色々な今自分が抱えている諸問題が全て解決しそうな気がした。高校は正直詰んでる。でも大学に入れば、大学に入ればきっと何か新しい出会いがあるはずだ。俺も頑張らないと。このままじゃダメだ。もっと外向的な人間になるぞ。俺は大学で彼女を作るんだ――。
現実はそう甘くはなかった。いざ周りを見てみると見るからに大学デビューしたイケイケの男と、化粧してキラキラした女。自分がここにいることが場違いのように思えてくる。男はセンター分けでピアス開けてるようなやつばっかり。でも逆にこれは自分にとってチャンスかもしれない。自分は彼らに比べたら「自然派」といえるし、「草食系」でもある。あんな獣のような男が嫌いな女の子もいるはずだ。そんな子が自分に声をかけてくれるかもしれない。チャンスは広がる。「草食系」とは名乗りつつも、夜は意外と肉食な「ロールキャベツ系男子」なので、ギャップ萌えの可能性もある。意外にも事は有利に運んでいるかもしれない。
クラスでの自己紹介が始まった。これに向けて何もネタを考えてこなかった自分を呪ったが、逆に自然な感じが丁度いいとも思ったので、いつもの通り「趣味は睡眠です」と言って自己紹介をさっさと済ませた。これ以上のことを言ったら引かれるかもしれないし、睡眠が好きな男子ということで小動物系男子のポジションを狙えるかもしれない。オラオラ系では彼らに敵うわけないのだから、これも一種の生存戦略だ。自分のことはさておき、クラスの女子で自分に合うような子がいるかを自己紹介から判断しなければならない。かわいい子はたくさんいる。だが、自分に合うとなるとそうそういない。セフレとしては良いかな、という子はいても彼女とか結婚相手とかになるとなかなか難しいところがある。悩ましい。恋愛とは妥協なのか。自分は割と気難しい性格をしている自覚はあるし、イケイケのアウトドア系の女の子とは話が合う気がしない。
これは勇気の撤退かもしれない。そういうことを考えているうちに自己紹介は終わっていた。このあとどっか食べに行くとか話が盛り上がっているのを尻目に俺は1人教室を出て駅に向かった。春の空を見上げて、人生って上手くいかないもんだなぁと嘆いた。駅のホームにはまだ人がまばら。
そんな中、「それ」はあった。一目惚れだった。
ホームのベンチに座って本を読む、ロングヘアの女の子。白く透き通った肌、大学のどろどろした汚さとは無縁のような清純な女の子。何より可愛い。俺の胸は見事に彼女に射抜かれた。もうほとんど葉桜になった木から、一枚の花びらが春風に舞って俺のところまで飛んできた。俺の春はここから始まる。
これは俺の運命の人だ。だからこそ慎重にいかなければならない。当然その出会った日にすぐに告白することは出来なかった。非常識だし、引かれてしまうだろう。これは戦略を練らねばならない。彼女はうちの大学の学生であることはほぼ間違いないし、あの日は1年生以外は登校日ではないので1年生と見てしまっていいだろう。同級生ということは授業で一緒になることもあるだろうか。何かのサークルに入ったりするのだろうか。分からない。しかし同じキャンパスにいるのだ。いずれ会うことになるだろう。
意外なことに、しばらく彼女を見ることは無かった。ここの学生だというのは俺の見当外れで、本当は違うのかもしれないと思うようになった頃、また彼女を見る機会があった。4限が終わって一人で家に帰ろうとしたとき、友達と話しながらキャンパスの中を歩くその子を見た。彼女は今日も白く透き通っていて、ひと際輝いていた。そんな彼女を俺は追跡することにした。やっていることがキモイ自覚はあるが、彼女は俺の運命の人なんだろうと思うとここで尻込むわけにもいかない。
彼女は友達に手を振って別れを告げ、大学の建物の中に入っていた。そこは各教室でサークル活動が行われる場所。尾行していると、彼女はとある教室に入った。そこに掲げられている看板を見ると「文学サークル」とある。やはり彼女は文学少女だ。ますます心惹かれる。他の男の手垢がついていない、純粋な彼女で俺は満たされたい。
俺は文学サークルに入ろうと思った。しかしここで問題となるのが、文学に1ミリたりとも興味がないということである。活字の本を読むと頭が痛くなる。でも背に腹は代えられないのだ。ここでこのサークルに入らないという選択肢はない。ない。ないのだが、今日いきなり入部というのはやめておこうと思う。俺は弱気な男だ。ここで一歩踏み出す勇気が出ない。嫌われたらどうしよう、という考えが頭にこびりついて離れない。でもこれは正しい判断かもしれない。今は冷静な判断が出来ない状態にあるから、一回家に帰って落ち着いてからまた来た方がいい。彼女に会う方法は分かったのだから、それだけでも今日は収穫があった。
そうこうしているうちに5月になった。授業を受けるときにも、特定の男女が横並びに座って仲良く談笑している姿が目に付くようになってきた。クラスでも様々な恋愛が繰り広げられているのかもしれないが、そういう情報は自分の所には入ってこなかった。自分はどうかというと、未だ文学サークルに入れていない状況が続いた。一歩踏み出す勇気が出せずにいたが、ある日の帰り、駅のホームでチューしてる男女を見て、ついに文学サークルに入ることを決心した。
「文学サークル」の看板が掲げられた教室の前に5分ほど立ち尽くし、やっと覚悟を決めてドアをノックした。部員と思わしき人物がドアを開けた。
「新入生?」
眼鏡をかけた柔和そうな男が話しかけてきた。
「はい、新入生です」
「入部希望?」
「はい」
「そっかー、今ってもう新歓の時期終わっちゃって活動ほとんどしてないんだよね。毎月定例会みたいなことをやってるんだけど、今月の例会は一昨日終わっちゃって、6月3日にまたあるんだけど」
「6月3日ですか?」
「そう。夕方6時くらいからここでやるから。あ、今も自由にこの部室にある本借りてって読んでいいよ」
「大丈夫です。6月3日、また来ます」
「あ、そう」
6月3日。その日が待ち遠しくてたまらなかった。
何も特筆すべき事柄がないまま日々は過ぎていき、6月3日に至った。今日は文学サークル定例会の日。彼女に会える日でもある。待ちきれないので1時間前から部室で待機しようと思ったが、鍵が閉まっていたので建物の周りを何周も歩いていた。するとこの前会った部員がやってきた。
「あ、この前来た新入生?」
「そ、そうです」
「あー部室開いてないよねごめんごめん、部長の俺が遅れてどうするんだ、って」
部員だと思っていた彼は部長だった。彼は部室を開け、
「じゃあこの中で待ってて。俺ちょっと別の用があるから」
と言ってまたどこかに行ってしまった。部室の本棚には、当たり前だが本がびっしり並んでいる。文学に興味がない俺はこのサークルでやっていけるのか不安になった。
Twitterを見て暇を潰すこと30分、少しずつ部員がやってきた。
「新入生の方ですか?」「初めまして」と様々な声をかけられ、それぞれに返事になってないような返事をした。どんどん部員がやってくる。そしてついに彼女が来た。今日も相変わらず可愛いし、清楚で、本当に愛おしい。彼女は俺の存在にはまだ気づいていないようだ。その後ろから部長がやってきた。
「全員揃ったかな? じゃあ定例会を始めます。実は今日から新入部員が入ってきたので自己紹介をしてもらいましょう」
急展開だ。何も心の準備が出来ていないまま自己紹介? 俺は戸惑った。
「じゃあ名前と学年と、好きな作家や好きな本、教えてくれる?」
好きな作家や好きな本? そんなの無いよ。今までろくに本読んだことないのに。どうしよう、どうしようどうしようどうしよう。
「急でごめんね、ゆっくりでいいよ」
「あ、はい、あ、すみません」
何か切り抜ける方法は無いか、何も本読まないのに文学サークルに入るとか意味わからないじゃんどうしよう何で何も考えてこなかったんだ俺のばかばかばか、どうしようどうしよう、
「あ、あのー、俺の名前は、――で、一年生で、で、あの、好きな作家とか、あの、本とか、別に、ないっていうかその、あの、そうだ、これから知っていきたいな、というか、今まで全然そういうのに触れてこなかったんですけど、何かオススメとか教えてくれたら読もうかな、とか思ってます、よろしくお願いします」
俺の自己紹介が終わった後、部員の皆、彼女も含めて拍手してくれた。この瞬間、俺は彼女と目が合った。透き通った目が綺麗で眩しくて、この一瞬が永遠のように感じられた。
「そうだな、じゃあ僕らも何か軽く自己紹介しようか」
これで彼女の素性を知ることが出来る。まだ俺は彼女の名前も知らないのだ。
「じゃあまずは僕から。部長の高橋です。三年生です。オススメの本は――」
拍手が起こる。当の本人である俺は上の空で全く聞いていなかった。
「じゃあここからどういう順番で発表してく?」
部長が訊くと、とある女の子がこう言った。
「部長サンの彼女からがいいと思うよ」
「え」
部長は困惑した表情を見せた。同じサークル内に彼女がいるのか。不穏な空気が流れる。
「部長もひどいよネ、入ったばかりの新入生に一目惚れしてそのまま付き合っちゃうなんて」
「こら、やめろ、みんながいる前で」
え、ちょっと待て。そんなことはないよな?
「田中ちゃんも言ってやりなよ、こんな男イヤだって」
不敵な女が「田中ちゃん」に問いかけた。すると白く透き通っていたはずの彼女が曖昧な笑みを浮かべながら、
「いや、まあ、あはは……」
と誤魔化した。どういうことだ、何が起こっているんだ?
「やめろよ、困ってるじゃないか」
「だってサ、あたしだって好きだったんだよ高橋のこと。振っておいてこの女にはベタ惚れですか、私の何がダメだったっていうのサ」
「やめろ!」
部長は声を荒げた。だが俺はそれどころじゃない。この高橋とかいうゴミクズクソ男に俺の運命の人は奪われているという事実を前にして、怒りで震えていた。
「やめなよ、こういうことは、はしたない……」
デブ男がこの状況を収めようとするも、そうは俺の問屋が卸さない。
「後で話すから。新入部員もいるんだし」
高橋は話を逸らそうとした。
「で、あなたは田中さんと付き合っているんですか?」
考えるより前に声が出た。
「え?」
高橋は驚いたような表情でこっちを見た。
「付き合ってんだかどうだかって聞いてんだよ!」
そう怒鳴りながら机を叩いた。手が痛い。
「え、どうした、やめてやめて」
「そうだよ、付き合ってんのサ、二人は。見たよこの前の夜、近くの公園でチューしてたよね」
「ど、どうしてそれを」
「又聞きだけどね。あんまり人目のつくところはやめておいた方がいいヨ」
「うああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
俺は半狂乱になりながら机を何度も叩いた。
「ちょ、やめろ!落ち着け!何があったんだ!」
「お前を殺す!呪ってやる!死ね!」
「落ち着け!」
俺は泣きながら手近にあった本を手あたり次第高橋に向かって投げた。
「こんなもの!こんなもの!文学なんて!」
「本を投げるのはやめろ!」
デブ男に取り押さえられて俺は身動きが取れなくなった。泣き喚いている俺を見て、高橋も彼女も、不敵な女すらも唖然としていた。
「どうしたんだよお前……」
「も、もしかしてこの子田中ちゃんのこと好きだったンじゃないの?」
「いえ、私この人のこと全く知らないんですけど……」
「ええ、そうなの?」
不敵な女、お前が正解だよ。俺は田中ちゃんのことが好きだった。名前なんて今知ったけどな。本当に好きだった。運命の人だとも思った。しかしこの三年の高橋とかいうやつはうぶな彼女に手を出したんだ。
「高橋、お前」
また考えるより先に声が出た。
「なんだよ」
「お前彼女の処女膜破ったんだろ?」
「はあ?」
「破ったんだろう?」
「そういう言葉は慎めって」
「破ったんだな!!! お前はこの透き通って純粋だった彼女の処女膜を破ったんだな!!!」
「まだそこまで行ってないって」
「てめーはてめーの汚い手で彼女をべたべたと触って手垢まみれにしやがって、挙句の果てに処女膜を破ったんだな!!! 死ね!!!」
「こいつをこの部屋からつまみ出せ」
デブな男が俺を強引に部屋から出そうとする。俺は抵抗して、今ではドブ色に淀んだ彼女に向かってこう言い放った。
「田中!! お前もお前だよ!! いつまでも処女みたいな雰囲気出しやがってよぉ!!」
「お前さぁ。お前は田中の何なんだよ」
高橋の質問に俺はこう答えた。
「運命の人です」
「は?」
「いや、運命の人でした」
「意味が分からん……」
デブな男に連れられるまま、俺は教室の外に放り出されて鍵を閉められた。
ああ、俺の恋は、大学の魑魅魍魎の渦の中に飲み込まれて消えてしまったのだ。
あれから20年経つ。俺はフリーターとして自由気ままに働いている。稼げる金は少ないが、一人で生きるのにそれほど大金はいらない。ネット料金が払えれば俺の生活はほとんど満たされるのだ。少しだけ満たされない部分は、金では買えないものだ。彼女だ。俺は未だに彼女が出来たことがない。基本的に毎日が寂しい。でも年を重ねるごとに少しずつ諦めがついていくものだ。今さら新しく恋愛を始めるのも面倒に思う。もう恋愛とは無縁な自分になっていくのを感じる。
だけど、6月3日になると20年前のあの日を思い出す。僕と君が初めて目を合わせた記念日。それだけでいい。刹那の恋を俺は生涯噛みしめていく。