閑話1~ その後の首都にて ~
次の国へ行く前の、ちょっとした息抜きです。
首都の片隅にあるグィードの住処はいつも静かだ。
薄暗い室内では錬金術の道具が所狭しと並び、奇妙な影を重ね合わせている。赤やら黄色やら紫やらの怪しげな光を放つ球体が転がっていたり、コポコポと泡立つフラスコから何やら白い蒸気が流れ出していたりと、近寄るのに勇気を必要とする光景がそこここに在った。
その空間を四角い影がよぎる。滑るように動くそれはここの主だが、今日はその他にも人が居た。大柄ながっしりとした体形で、鍛えられた筋肉が服を着ていても良く判る。食事台にも読書台にもなるテーブルに向かって座り、太い腕を胸の前で組んだまま目を閉じている。その左頬に白く残る傷跡が、歴戦の勇士であることを如実に語っていた。
その大男の前に影が動き、テーブルにコトリ、とカップを置く。わずかな音に反応して男が目を開ける。薄暗い部屋に慣れた男のグレーの瞳がカップに移動した。
「これは一体、何の冗談だ?」
困惑の滲む声に内心にやりとするグィード。
「ダンディリオンで作った飲み物じゃ。こぉひぃ、だったかの」
「薬草にもならんアレか? 毒と言われた方がしっくりくる」
「苦いことは苦いな。じゃが、慣れると癖になっての」
一口すすって顔をしかめた相手に蜂蜜のポットを滑らせる。甘味を入れてかき回し、やっと口にあったのだろう、半分ほど飲み干したところで頃合いかと声をかける。
「それで冒険者ギルドのギルドマスターが、何用かの?」
一瞬口ごもり、それでもと話し始める。
「……先日、首都警邏隊の小隊長マードスが訪ねてきた。ギルドに所属しているピート、ニック、ドイル、ボリスの4人について処罰が下った事の報告と、そこに至った説明をしていったんだが、正直オレにはよく意味が分からなかった」
声に困惑の色が濃い。
「その発端となった冒険者に心当たりがない、と?」
グィードの問いかけに当惑した顔が頷く。
「その冒険者はケイン、と言う男で、ギルドの所属だと言っていたそうだ。調べたら確かに所属はしていた。だが、誰に聞いても首を振るし、ほとんど顔を出していなかったようだ。それでも受付の人間が知らない筈はないんだがな」
「本当に誰も知らなかったのかぇ?」
「あ、いや、ヘンドリーが『あいつだな』と言っていたか。その男、欠陥スキル持ちらしいが、草原でかなり長い間ホーンラビットを狩って暮らしていたと聞いた。あいつが狩れるなら普通の冒険者だと思うんだが」
首をひねるギルマスの前でグィードは沈黙を守る。
「マードスが言うには、そのケインが狩っていたホーンラビットをピートたち4人で毎日奪い取って自分たちの食い扶持にしていた、と白状したようだ。総数は良く判らんが、およそ7000から8000体、もしくはそれ以上の個体数らしい。数が数だけに信じられん話だが」
「で? それに何か異議でもあるのかの?」
上目遣いに顔を見られたギルマスはなぜか背中に悪寒が奔った。声も表情も変わらないのに、グィードが怒っているように思えたからだ。
「い、いや、警邏隊の取調べに文句を言うつもりはない。彼らがそう判断するだけの情報があったんだろう。問題はオレの方にある。それだけの働きをする人間をギルドが見逃していた事実、これがオレにはどうしても飲み込めない」
「……マードスは他にも何か言わんかったかの?」
「受付のキャシーは配置を変えるべきだ、とは言っていたな。あそこに置いておくのは良くない、とも。理由は言わなかったが」
「それはそうじゃろう。警邏隊はギルドの人事に口出しできんからの。じゃが、それでもお前さんに伝えた。そのことは重要だぞい」
「それはどういう意味だ?」
答えず、グィードはまた一口含む。これは独特の苦みがあるが、こういった駆け引きの時には心を落ち着かせてくれる。なかなかいいものだ、などと、心の隅で考える。
「グィード…」
「それはさておき。ピートたちはどうなったかの?」
「……あいつらの仕出かしたことは重大だ。そのため、ギルドの所属は破棄、鉱山奴隷として送られることになった。使い込んだ分の金はギルドを通じてケインの口座へ月々振り込まれていくことで話はついたんだが、肝心のケインはここを出て行ったようだ。振り込まれる金の事も伝えなきゃならんのだが、どこに行ったのか皆目わからん……そもそも、何故ギルドに頼らなかったんだそいつは」
そうすりゃこんなことにならなかったのに、ともごもごつぶやくギルマス。その独り言に、グィードの堪忍袋が静かに切れた。
「本来ならギルドの中で決着しておったことさね。そうならなかった原因が受付じゃ、と言ったらわかるかの?」
「受付? さっきの話だとそれはキャシーのことを指すのか? どういうことだ、それは」
「お前さん、キャシーをどう見ておる?」
「あ、ああ、明るくていい子だと思う。多少居丈高な点はあるが、言葉遣いは丁寧だし、仕事は早いし、受付は合ってると思うが。どうして誰もがキャシーを目の敵にするのかオレは理解できん」
「それはお前さんの前だけじゃよ。他の職員、例えば同じ受付嬢や内部の職員には不評じゃろ。一度隠れてのぞいてみることじゃな。面白い人物像が見られるぞい」
「そんなことがあるか。グィード、あんたは尊敬できる人だが、その人物評価は酷すぎる。人に多少の裏表があることくらいオレだって知っているさ。それをキャシーに当てはめないでくれ!」
声に怒気が混ざってきたのを感じ、グィードは内心ため息をついた。この男、良い奴なのだが、人の心の機微に少々、いや、だいぶんと疎い。サブマスターのヘンドリーがカバーしているためギルド内部は平穏だが、その取りこぼしが時にこのような事態を引き起こす。グィードの見たところ、キャシーはギルマスの妻の座を狙っているようだ。そりゃ愛想も良くなるわな、と呆れも入ってくる。
今までは目をつむっていたが、ケインのことで許すことは出来なくなった。
そう、グィードは怒り狂っているのだ。
「では訊くがの。そもそもピートたちが何故ケインを狙ったと思う?」
その問いかけに怒気を逸らされ、拍子抜けの顔をするギルマス。
「何故、って、欠陥スキル持ちだからだろう?」
「そのスキル異常が分かったのはどうしてじゃ?」
「どうしてって、そりゃ、ギルドで聞いたと……え?」
「ギルドでピートたちはスキル異常を聞いた。それがどういう意味なのか、どんな状況だったのか、お前さんは知っておるのかの?」
「い、いや、知らない……っ! まさか、受付で?」
愕然とするギルマス。今、その可能性に思い当たったのだろう。
「そうじゃ。ギルド所属なら初めての場所に来た時、最初に顔を出す。そして身分を確認して活動を認定してもらう。その場でケインは欠陥スキルと言いふらされたんじゃ」
『何これ、ひどぉい! ひどすぎるぅ! 低い数値に読めないスキルなんて、使いようがないじゃない!
おまけに何よこれ、てんてんてん、の後にレア、ですって! これ壊れてるわよスキルが! アハハハ!』
その当時、窓口で大きく叫ばれたケインはいたたまれなかった、と苦笑いしていた。自分でもわかっていたし呆れてもいたから怒りもしなかった。だが。
「一体、いつから冒険者ギルドは個人情報を声高に言いふらしても構わない、なんて規則に変わったのかのう……?
答えてもらおうか、首都のギルドマスター、アレクス殿?」
今まで抑えていた怒りがグィードの外に漏れだしてきた。錬金術師らしく、高い魔力を持っているグィードが怒りを顕わにすることは珍しい。いつも心を平静に保つことが錬金術には求められるからだ。
その圧力をまともに受けたギルマスの顔から血の気が引いた。グィードの本気の怒りを見た事もさりながら、冒険者ギルドの重大な失点にようやく気付いたためでもあった。
「い、いや、そのような改正は、無い。変わっていないはずだ……」
「ならば! ケインが受けたのは重大な規則違反じゃ。それに対し、ギルドが何の対応もしとらんとはどういう了見か! 返答によっては儂にも考えがあると思ってもらおう」
普段温厚なグィードにここまで言われ、ギルマスの顔はすでに青から白くなっていた。
「わ、分かった。ギルド職員に規則違反があった事、それによって過大な損失を受けた者がいたことを認める。キャシーには相応の処分を下そう。併せてギルドから補償金を出す」
「他人の欠点を言い募るおなごには他からも相当の苦情が寄せられておるはずじゃ。今までは違反とも言えぬからどこかで止まっておったかもしれんがの。ヘンドリーなら知っておる、な」
「そ、うか……」
大きく息を吐きだしたギルマス。自らの犯した罪に気落ちしたのかもしれない。
だが、グィードはさらに追い打ちをかける。
「あのおなごのしたことはそれだけにとどまらん。そのおかげでケインは延々とピートたちに搾取され、毎日暴力を受けながら稼ぎを奪われ続けていたんじゃからの」
「暴力だと!? 本当か、それは!」
ギルマスの顔が厳しくなる。
「本当じゃよ。何せ、ケインは儂と暮らしておったんじゃし」
「何ィ!? あんたの所に居たってのか!!」
特大の爆弾を食らったかのようにギルマスがのけぞる。
「首都にやってきた初日にの、ピートたちに散々甚振られておったケインを偶然見つけたんじゃ。あまりのボロボロさに気の毒になってのう、つい拾って帰ったんじゃが、何が気に入ったかここに居着きおったわ、あやつ」
「そ、それじゃ、ケインはここに戻ってくるのかっ?」
一縷の希望を目にしてギルマスが迫る、が。
「いや? あやつは出ていったぞ、あの日にな」
「ど、どこへっ!?」
「さて、どこかのう。儂も知らん」
「そ、そんな~~……」
期待した分、反動が大きすぎて脱力し、机に突っ伏したギルマスをよそに、グィードは残りのコーヒーを飲み干した。いくらか留飲は下がったものの、甚振られ続けていたケインを見ていただけに、当分許すつもりはない。
そして、彼が召喚された人間だという事も、告げたくはなかった。
(あやつのことだ。どこかで頭角を現すじゃろう。十分な基盤を築いてからでも遅くはないわい)
心の中で独り呟き、グィードはへこんでいるギルマスに喝を入れるべく動き出した。
ベイレスト共和国のお話はこの閑話で終了します。
次は新しい国へ、かな?