6 普通の事
「よし、着いたぞ」
そのまま運ばれることしばらく。
街の外れにひっそりと建つアルス様のお屋敷が見えてきた。
一般貴族と比べれば十分だが、同列と思われるレイド様の屋敷と比べると一回りか二回り小さいその屋敷。
しかし荒れ放題の庭や埃まみれの調度品類を見るに、単にアルス様がそういった外観を気にしていないだけのようにも感じる。
「あの、ご主人様。そろそろ本当に降ろしていただけると……」
「ああ、分かっている。そう急かすな」
分かっている、という言葉の通り執務室のような部屋へ運ばれた私は、すぐにソファーの上へと降ろされた。
それからテキパキと靴を脱がされ、薬を塗られ、包帯が巻かれる。
これではどちらが使用人かわかったものではないが、そこに何か言おうものならさらにややこしいことになるのは目に見えているのでとりあえず黙っておく。
「あの、ご主人様。なぜここまでしてくださるのですか」
アルス様の手が止まるのを見計らって、私はやっと質問をすることができた。
「あの状況ならこうするのが普通だろう。自分の使用人になるものならば尚更だ」
「……そう、ですか」
普通だろう、とアルス様はおっしゃられたが。
それが普通ではないことは、あの状況の真っただ中にいた私が一番よく分かる。
「あと、私の事はご主人様などと呼ばなくていい」
襟元のバッジを雑に外し、乱暴に執務机の上に投げながらアルス様が言葉を続けた。
「……まさか、名前が分からなかったりするか」
「あ、いえ……アルス様、ですよね」
「うむ、よろしい。それでは今日はゆっくりと足を休めるように。部屋は空いている場所を自由に使ってくれていい」
早口で言葉を終えたアルス様は執務机に座ると、伝えることは全て伝えたと言わんばかりに作業を始めてしまった。
今まで許容量限界の仕事を押し付けられることは多かったが、一日ゆっくり休めと指示を出された経験などなく。
足の方がここまで丁重に扱われたおかげもあって、軽作業ぐらいは問題なくこなせそうなほどに回復しているのだが。
(勝手にそんなことしていたら、今度はベッドまで運ばれてしまいそう)
今は人目こそないが、あれはそういう問題のものではないのだ。
「屋敷を見て回ってもよいですか?」
なので後で勘違いされぬよう、先にお伺いを立てておくことにする。
「……」
私の言葉に反応して書類を捌く手が一旦止まり、視線だけがちらりとこちらを向いた。
アルス様の瞳は相変わらず冷たい。
その視線と感情が必ずしも一致しているわけではないと私は知っているが、それでも自然と体に力が入ってしまう。
「それくらいなら、好きにしろ」
短く言葉を返すと、再び作業へと戻るアルス様。
この所作の数々が何も知らない人たちに、冷たく映ってしまうのだろうか。
(なんて、私も何を知っているんだという話だけれど)
この短い期間で分かったことは一つだけ。
アルス様がとても変わっている人だ、ということ。
「……」
執務室の扉を背に屈みこみ、自分の足にまかれた包帯に触れる。
あの方にとっては普通の事なのかもしれないが、こんな風に優しくされたのは私にとっては初めての事で。
誰かの為に何かをしたいという感情が湧いたのも、初めての事だった。