16 そしていつもの
「落ち着いたか」
「はい、申し訳ございません」
「……気にするな」
また運ばれてしまった、お屋敷の執務室。
ソファーから執務机を間に挟んで、アルス様と会話する。
なんという醜態を晒してしまったものか。
不意に姉と出会ってしまったことも併せて、私の心はもはや底についてしまっていた。
「あれが姉というのは、本当なのか」
「……はい」
「お前の家ではあれが、普通だったのか?」
「…………はい」
相変わらずストレートに言葉を投げるアルス様に、私は心の底の方からなんとか言葉を拾って返す。
「そうか……」
私の反応を見たアルス様は、言葉を切って思慮を始めた。
(一体何を、考えておられるのだろう)
あんな程度で仕事が手につかなくなる使用人など、必要ないと思われてはいないだろうか。
(もしそう思われてしまっても、私にはどうすることもできない)
「よし、そうだ」
アルス様の中で何かが結論づいたらしい。
私は全ての沙汰を任せ、その成り行きを見守ることにした。
アルス様の手の中に握られているのは、普段襟元につけられているバッジ。
それをどうするのかと見ていると、その手は私の襟元へと伸ばされて。
「ちょ、ちょっと待ってください」
成り行きを見守ろう、と思ってばかりではあったが。
あまりに突拍子もないアルス様の行動に、思わず声を出してしまった。
「どうした急に」
止められた張本人はなぜ止められたのか理解できない、といった様相で。
相変わらず言動も行動も全く読めないお方だ。
「なぜそれを私につけようとされているのですか」
「これをつけていれば、厄介事に巻き込まれにくくなるのではないか?」
確かにそれはそうかもしれない。
少なくともこのバッジの意味を知っているものであれば、安易に手を出したりはしないだろうし何か困っていれば逆にすぐ手を差し伸べてくるだろう。
「しかしそれは、アルス様が王より賜ったものなのですから」
「その通りだ。だから貰ったものをどう使うかは私の自由だろう」
「それは……」
普通の贈り物であればそういう考えでもよいのかもしれないが、王からの贈呈品ともなると話が別なのではないだろうか。
アルス様の常識を聞かされていると、なんだか自分のほうが間違っているような感覚に陥ってしまう。
「……それに、きっとお姉様にはそんな事関係ないと思います」
私がアルス様に仕えていると分かった後でも、私のほうへ向けられていた憎悪の視線。
あれは多少のことで揺らぐようなものとはとても思えなかった。
「ふむ……ならば今後、お前が外出するときは私が必ず付き添おう」
「えぇっ!?」
更に突拍子もないアルス様の申し出に、思わず声も大きくなる。
「何もそこまでしていただかなくても……」
「今回の件は私にも責任があるからな。監督不行き届きだ」
気づけば底まで落ちていた心は持ち直し、いつものような問答が始まっていた。
「私の家の事情ですから、アルス様に責任などは微塵も」
「……迷惑か?私のようなものがついてくると」
ぐいぐい来られるのも困るが、急にしおらしくなられるのも逆に困る。
「迷惑などではないです、絶対に」
そう、迷惑だから断っているわけではなく。
そこまでさせてしまう自分の情けなさと、そこまでしてもらう価値のない自分が申し訳なくて。
「もしかして同情して、くださっているのですか?」
言うつもりのなかった感情が、不意を突いて溢れ出す。
「アルス様はお優しいですから、気に病んでくださったのかもしれませんが」
こんな性格だから、誰からも愛されなかったのかもしれない。
今になって思っても、詮無いことだが。