その1 - 近代化改修
「それをウチでやるんですか? それも全部ぅ」
「ああ、最優先で頼む。大型船用のドックが空き次第にな。それに完成したばかりの浮きドックの試験にも丁度いいじゃないか。これだけ面倒くさい事ができると分かれば浮きドックの価値だって高まるだろうし」
「それはそうでしょうけど…」
艦政本部からの無茶振りに難色を示す柊造船社長である柊華香。別に技術的に難しい事ではない。柊造船の能力をもってすれば大手造船業者に負けない自信はある。ただその仕事を引き受ける事がはなはだ疑問だった訳で。
そんな華香に対し今回の計画を発案した艦本の造船課長の1人野原大佐が諭すように説得する。
「別に水雷艇や戦標艦、そして御社肝入りの豪華客船の建造を取り止めてドックを空けろと言っている訳ではないんだ。ただ戦標船用のドックをいくつか使わせてくれと頼んでいる訳でな」
「しかしその仕事に意味があるんですか? 日露戦争の頃の艦の近代化改装なんて」
そう、艦本からの指示とは『現存する日露戦争時代の生き残りである戦艦や装甲巡洋艦を改装して、起こる事が現実味を帯びてきた日米戦争で使えるようにする』というものである。『富士』や『敷島』達10隻は海防艦として余生を送っており、他にも何隻かが同様の処遇で存在していたのだが、事故や標的艦としてその生涯を閉じていたのだった。彼女達があの面倒くさい【ワシントン/ロンドン海軍軍縮条約】を生き延びたのは、その後に建造された戦艦との性能があまりにもかけ離れていたためだろう。排水量はもちろんの事(現役で一番軽い『金剛』型でさえ、今回改装案が持ち上がっている中で一番重い『朝日』の倍くらいある)、攻撃力、速力など到底ケンカできるレベルではない。防御力だけは単純に装甲の厚さでいえば新戦艦より厚かったが、鋼材の違いや傾斜装甲という新しい取り付け方により、やっぱり新型艦の方に軍配が上がるだろう。もっとも旧式戦艦達は主砲も装甲も条約により取り外してあったので、そのままでは戦いようもなかったのだけど。
などの状況からこれらの艦の再戦力化を考えるくらいなら新造艦を作った方がマシである。どうせ条約は失効して再び建造競争の時代に入ったのだから、ガタのきた艦に新しい砲塔や装甲・機関を取り付けるよりも同程度の戦闘力を有する新造艦の方がはるかに有益だ。それで増えるコストは微々たるものである。新しい砲塔や機関を取り付けるために一度スクラップにするくらいの大工事となるし、100㎜程度とはいえ新たな装甲板だって用意しなければならない。これらの理由から華香にしてみれば艦本の決定が理解できなかった。それを上手く説明してくれたのが艦本の野原造船大佐である。
「確かに貴女の疑問はもっともだが、船団護衛用の艦と聞くとどこの大手メーカも難色を示してなぁ。さりとて主砲の取り付けなどもあるから実績のない会社には頼みたくない。その点柊造船は艦艇どころか軍艦の独自建造にまで手を伸ばしていると聞いているし、技術力・ドックの数共に申し分ない造船能力を持つ。そのため今回のお願いとなった訳だから1つ頼まれてくれないか?」
そこまで言うと野原大佐は大袈裟に頭を下げた。思わずテーブルが悲鳴を上げる程に。まあ華香としても断るつもりはないのだが疑問点、何故それが必要なのか分からなかったからツッコミを入れたのである。でもその疑問の半分くらいは片付いた。結局大手が引き受けないから自分のところにお鉢が回ってきたというだけの事。これはいつもの事だから取り立てて文句を言うつもりはないけれど、まだ腑に落ちない事があったので、そちらは再度尋ねてみる。
「でも船団護衛は小回りの利く小艦艇で行うのではないのですか? 1万tを超える艦で船団護衛なんて効果が薄いでしょう、空母を除けば」
「それも貴女の言う通りだが、敵の妨害が激しいと思われる場所にはそれなりの護衛が必要だろうという意見が出てきてな。だからといって新造艦を容易く敵の餌食にさせるのももったいない。ならば超老朽艦に再び戦う力を施し、最後に一花咲かせてやろうという事になった訳だ。今回改装をお願いする艦達は、何とか動いているもののいつ漏水事故で沈没するかも知れないし、標的艦として沈められるかも知れん。同世代の他艦がそうだったようにな。しかし今回の改装が実施されれば彼女達に戦場という死に場所を与えてやれるかも知れん。特に戦艦として生まれた艦にとってはこれ以上ない幸せではないのかな?」
「あんまり沈むための艦を作りたくはないんですけどねぇ……」
大佐の言葉、いや気持ちを理解した華香はボヤきながらも今回の仕事をやり遂げようと決意する。艦艇、特に海の王者たる戦艦が戦いの中で没するというのは海軍軍人のロマンチシズムにはピッタリくるのであろう。それも一方的にやられるという理不尽なものではなく、武勲を上げ華々しく散るというなら尚更だ。いくら艦艇も作っているとはいえ、船作りを生業としている者からすればできるだけ長く洋上にあって天寿を全うして欲しい、と考えるのが普通だと思っているのだが、人間がそうであるように船にだってそれぞれに生き様というものがある。戦闘艦艇ならば戦いの中で海に還るというのも1つの生き様なのだろう。であるならせめて最後に咲かせる花が大輪であるように仕上げてやるのが船作りとしての務めだろう。と急に使命感に燃える華香なのであった。
「分かりました。その仕事我が社が引き受けさせていただきます。だけどこちらからもお願いがあるのですけどぉ…」
「何だ? 私の一存でも決められる事なら、この場で許可を出せるがどんな願いなんだ」
こんな面倒くさくて実りも小さい仕事を華香=柊造船が引き受けてくれた事に一安心していた大佐は、そもそも何らかの申し出があった場合、できる限り彼女の要望に応えるつもりだった。「工期を延ばせ」とか「費用をつり上げる」といった一大佐の身分では変更できない事以外なら。とは言っても野原大佐はそれなりの権限を有しており、単なる大佐よりはできる事は多かったのだが。
「えっとですねぇ、この艦達がもっと活躍できるように設計を少し手直ししても良いでしょうか? もちろん我が社が勝手にやる事ですから代金を余計に頂戴したりはいたしません。ただこの設計図と違う部分があっても目を瞑っていただきたいだけで…」
「何か設計に欠陥でも見つかったのか? ならちゃんと明細を提示してくれれば支払いについては考えるぞ。だが設計部としても費用を抑えつつも作戦に支障が出ないよう腐心したつもりなのだがなぁ」
「だからもっとと言ったはずです。確かにコストは若干増えるかも知れませんが、それは我が社の手落ちという事で。こちらのミスなら追加の代金は請求できませんよ。ただその改設計を気に入ってもらえたら、我が社への発注を増やしていただければそれで充分です」
艦本の設計部としてはできる限りの事はした、と思っていただけに何かアラが見つかったのかと焦る大佐。先程から華香の横で改装前後の設計図を見比べながら1人ブツブツ言っていた篠野設計部長の姿も大佐の不安を煽っていたし。そんな大佐に華香は軽く微笑みながら、
「圧縮された予算の中では充分な仕事だと思いますよ。ただ私達ならあと1割予算が膨れ上がってももう少し船体に手を加えるでしょうし、もっと予算があればもっと使い勝手の良い艦にできると思っただけです。ね、篠野さんっ」
「そうですねぇお嬢…じゃなくて社長。さほど追加の費用を掛けなくても速度と凌波性を向上できると思います。衡角を利用してバルバス・バウに変更し、艦首にシアを付けながら延長すればいいだけですから。それらはハリボテみたいなもので済ませますから、最小限のコストで最大限の見返りが期待できるでしょうな」
流石に軍のお偉いさんの前なので一応丁寧な口調を心掛ける篠野部長。だが慣れてないものだから、ところどころに素が出てしまう。
「それより大佐。機関は水雷艇と同じものでいいんですかい? 新『睦月』型と同じ3万hp級の機関にすれば、艦首形状の変更と合わせて25ktも可能だと思いますが。20ktでは高速の輸送船と同じですから、護衛としては少々力不足だと思いますけど」
篠野から目から鱗な提案を聞いて驚きのあまり気付いていないのか、それとも単に度量が大きいためなのか、大佐は篠野の多少不躾な言葉遣いを気にしてない様子。故に少し考えた後、導き出した答えを素直に言った。
「確かに検討段階では様々な案が示されたさ。そちらが言うように新『睦月』型用の3万hpだけでなく、水雷艇用の機関2組を積んだ3.8万hp、大型駆逐艦と同じ5万hpや戦標船のようにディーゼルとするものもな。だが我々は今回お願いする旧式艦にそこまで期待はしていない。いや正確には期待をしては申し訳ないと思っているのだよ。金をかけて性能を高めれば自然と活躍してくれるだろうと思ってしまう。今回の計画は老武者に真新しい具足を与えて戦場でもう一働きしてもらおうとしているようなものだ。そこに駿馬まで与えたら若き頃のように暴れまくってくれるだろうと期待してしまうだろ? それはあまりに酷というもの。お家の一大事だからと老骨に鞭打ち合戦に参加してもらうのに恥ずかしくないよう具足だけでも見栄えのするものをと思っただけなのに、同輩の家老が『この者はかつての武芸達者だから』と往年の働きをもう一度と言っているようなものだ。ここまで言えば部長も分かってくれるだろ? 機関の換装はボロの草鞋では力を発揮できないから新しいものと交換したに過ぎないって事は」
大佐の丁寧な説明にすっかり恐縮してしまった篠野部長。だがこの旧式艦達を存分に戦えるようにしてやろうという気持ちは一緒だと分かり、ならばわずかなりとも戦闘能力を高めてやろうと発奮するのであった。
「それでは改めてこのお仕事は我が社でお引き受けしましょう。設計部長である篠野も張り切っているようですから。ただあと1つお願いが。これら10隻は一括でお預かりし、全て完成した段階でお返ししたいのですが如何でしょう。その間海軍の方にはお見せできませんけど」
「なんだその『鶴の恩返し』的なお願いは?」
華香の申し出に困惑する大佐。別に問題はないのだが敢えて確認されると不自然さを覚えてしまう。そのため理由を尋ねようとしたのだが、先手を打って華香が語り出してしまったのである。
「大佐は老武者に例えましたが、私はこの仕事を嫁入り前の化粧だと考えました。ならば新郎たる海軍さんにお披露目するのは全ての準備が終わった後ではないでしょうか。もちろん1隻1隻完成次第引き渡す事もできますけど、それでは驚きや感動が薄れてしまうでしょ? そちらの設計をベースに私達が更に施した工夫が1隻引き渡すごとに分かってしまい、最後の艦の時には『またか』と思うでしょうから」
「まあ途中で確認できないのは不安材料であるが、そちらの事は信頼しているからな。納期さえ守ってくれればそれで問題ないだろう」
華香の説明に全て納得した訳ではないが、仕事さえちゃんとしてくれれば大した問題ではない。それに艦本の精鋭達が捻り出した設計を柊造船がどれだけ超えてくるかも少し楽しみだったりする。だが続く華香の言葉には驚かずにはいられなかった。
「その点は問題ないどころか早めにお納めできると思いますよ。弊社の君津ドックだけなら突貫工事でも納期ギリギリになってしまうでしょうが、対馬や台湾のドックも使おうと思ってますので、作業効率はいいはずです」
大佐、というより海軍の見積もりでは君津ドックで1年工期の改装を3隻同時に行ってくれたら3年で完成できるだろうというものであり、余所のドックを使う事で全体の工期を短縮する発想はなかった。まあ全部で10隻なので1隻分間に合わない計算だが、浮きドックの活用次第で充分この会社なら3年で全てやり遂げる。そんな妙な期待があったのも事実だが、そんな無茶をこなしてきたのが柊造船。それも柊華香という人間の柔軟さであり、社員達の能力及び忠誠心の高さなのだろう。それらには素直に感心した大佐だったが、1つだけ注文を付けてきた。
「全体の工期が短縮されるのはありがたいが、兵装…つまり主砲等の取り付けだけは本土でやってもらいたい。9割方大丈夫だとは思うが、万が一中国軍や最悪米軍の臨検でも受けて性能を知られるのが怖い。最近アメリカは中国側に重きを置いているようだから、輸送船団に護衛が付いていた場合、とっ捕まる可能性もゼロではないからな。あれだけ我が国がかの国の経済回復に寄与したにも関わらず…」
大佐の表情は「苦笑」だったが内心では「苦悩」だったかも知れない。現在中国とは事実上の戦争である地域紛争の休戦中である。『戦争』と呼んでないのは双方中立国であるアメリカからの輸入を止められたくないからだ。アメリカとしても武器や屑鉄などを購入してくれる上客を失いたくなかったし。
だが昨年の『陸軍暴走』により状況は一変する。
関東軍参謀を中心とした戦線拡大派の画策により日本軍はその支配領域を一気に拡大。その快進撃は国民を熱狂させた。このまま一気に勝ちきってしまえば戦力を他に回せると。例えばソ連国境であり、フィリピンや東南アジアである。しかしそれをよしとしない『良識派』と呼ばれた一派が事態の沈静化を図る。中でも天皇自ら介入してきた事は拡大派からしたら「寝耳に水」どころか消防のホースから吐き出された水をまともに顔面に受けたようなものだった。そうして良識派の思惑通り中国大陸での戦線は暴走前にまで戻り、拡大派はその多くが何らかの処分をされ、かつ国民党とは和平まで結ぶ事ができたのである。そして陸軍の規模はおかしな真似ができない程度まで減らされる事になる。
日本国内はそれで良かったが中国の方は収まりが付かない。共産党は『陸軍暴走』前と同様日本軍と小規模の戦闘を繰り返し、国民党内の一部勢力は『抗日戦線』と名乗り分裂。共産党と手を結んでまで日本と国民党を攻撃するのであった。そして元々国民党に肩入れしていたアメリカは『抗日戦線』の支援を開始する。おかげで元々あった日本への政治的不満と合わさり、日米の関係は急速に悪化しつつあるのである。幸い人的交流や貿易などはまだ継続しているが休戦が修復できない程に破綻したり、日本が新たなアクションを起こせば通商や外交の停止、更には武力行使すら検討段階に入った。それを察知した日本軍としてもアメリカとの戦争は不可避と考え、そのための準備に余念はない。故にスパイやリークは完全には防げないにしても直接情報を与える訳にはいかなかったのだ。
その辺は華香も分かっており、
「そうですねぇ、流石にブツを持ってかれて分析されるのは避けないといけませんよね。ので最終工程は君津でやるつもりでしたよ。その分工期は伸びるかも知れませんけど」
としれっと言ってのけたのであった。なら最初からそれも加味した工期を言ってくれ、と大佐は思ったが、それでも海軍が予定していたよりも半年は短く済むようなので文句を口にする事はなかったけど。
「それではよろしく頼む。そちらの独自改造で性能が確実に向上するようなら支払額の増額も検討できるから」
大佐はそう言って華香達を退室させた。彼だってこの件ばかりに関わっている訳ではない。新型の中型護衛駆逐艦の最終案の調整が控えていたものだから。
一方華香達は艦政本部の横須賀分室を出ると寄り道もせず自家用船に乗り本社への帰路についた。彼女達だって仕事はあるし、第一この新たな仕事について皆に報告しなければならないからだ。
「で篠野さん、どれくらい元の図面からいじくるの?」
桟橋から離れるとすぐに華香は篠野に尋ねた。事前に「予算の事は気にしなくていい」と伝えてあるので篠野としては存分に腕を振るう事ができる。そのため華香と大佐が話している間、艦本から渡された改装設計図に穴が開く程じっくりと睨め回し、粗や可能性を探っていたのだった。
「まあ、バルバスバウの採用は海軍さんも問題ねぇみてぇですからその方向でいくとして、そこからどう艦首を立ち上げるかが最初の悩みどころでしょうか。他の艦みてぇに曲線的に仕上げるのも1つでしょうが、戦時量産を見据えて直線で構成するのもいいでしょう。何せ余程の下手な設計でなければ直線を多用しても水の抵抗はそんなに増えねぇみてぇですから」
「そうよねぇ…ムダに見映えを良くしようとすると手間もお金もかかるしねぇ…その辺は篠野さんに任せるわ。デザインを凝らなくても抵抗については拘るでしょう? 艦ごとに適切なものを見定めて頂戴」
「分かりやした。でお嬢、本当に機関とか増やさなくていいんですかねぇ。今積んでるレシプロ機関と石炭庫を現行の水雷艇用機関に載せ換えられたら、あの艦らがらんどうになっちまいますぜ。『輸送用スペース』などと書いてありますが、かつての戦艦を半分輸送艦扱いってのはもったいねぇ話ですし、何より重心の上昇が気になります」
「その辺は増設を考慮しつつ、とりあえずはそのままにしておいて。私の方でもう少し情報を集めてから指示するから。あの艦達の使い道とかのね。それより篠野さん、副砲代わりの高角砲って増やせない? 元々の姿より火力が減りすぎるのも問題だと思うから」
「もちろんスペース的にはできるでしょう。連装砲架片舷1基ずつ増やすのは訳ない事です。排水量的にはもっと武装強化、機銃や爆雷投射器の追加も可能でしょう。ただトップヘビーが心配ですがね。何らかの重りを艦の喫水下にでも入れないと」
華香の質問に篠野はわざと嫌味っぽく答えた。彼はどうしても機関を強化したいらしい。もちろん彼だって目的にあった性能があれば充分である事は承知している。だが同時に自分の設計士としての技量を試してみたいのも事実だ。それにもう少し速力があれば船団だけでなく低速艦隊の護衛だってできるようになる。篠野は華香と野原大佐が話し合っている内にそこまで考えを膨らませていたのだった。
そんな部下の情熱にほだされ、華香は空所の一部に巡航用ディーゼル機関を搭載する事を提案した。
「1万hp級の大型ディーゼル機関はまだまだ改良の余地があるわ。最新型は現行のものに比べ安定性が増しているとはいえね。そのための試験用としてならば追加装備しても問題ないでしょう。その代わり当面は元戦艦の3隻のみね。そしてディーゼルのみで20ktが出せる事が条件。分かった?」
「分かりやした。必ずやモノにしてみせますから。大船に乗ったつもりで見ててください…って船会社の人間同士でいう事ではないですな」
篠野は妙なところに言葉のこだわりを持っているのか、自分の言葉に自嘲して笑う。華香などはむしろ積極的に使ってもいいんじゃないの? と思うのだが、そんな会社の利益にならない事で言い争うつもりはない。論戦するならもっと有意義な場面で行いたいものだから。
そこで一旦2人の会話は途切れ、エンジン音と潮騒だけが音の領域を支配する。この引き受けた仕事を如何に効率よく、かつ素晴らしい出来に仕上げるために、それぞれが頭の中で模索し始めたためであった。
あの日から2年半ちょい後の40年末。
柊造船君津ドックを出た10隻の生まれ変わった旧式戦艦達は対岸の横須賀沖に現れた。
最新鋭の艦艇からすれば小さいし端々に古めかしい構造が見られるが、その堂々と単縦陣で左舷側を見せつける様は、とても建造から数十年経った艦とは思えないような偉容を誇っていたのである。
それだけではない。木更津空の司令が独自の判断で陸攻数機を出してエスコートさせていた。そこに横須賀空からもほぼ同数の戦闘機が加わり旧式艦達の上空を旋回していたものだから、もはや観艦式の様相である。この仕事をやり遂げた華香をはじめとする柊造船の面々や旧式戦艦達にとってはこれ以上晴れがましい事はなかった。
「…しかしこれらが本当に3年前貴女に押し付けた旧式艦達なのか? 面影がほとんど残ってないというか全くの新造艦のようにも見えるぞ、私の目には」
「それはそうでしょう。我が社の技術を総動員していますから。カワイくなったでしょう? あの艦達」
「貴女は可愛いと評するが、私には彼女達が精悍になって戻ってきたと言うしかない。そう、純粋な戦艦や装甲巡洋艦と呼ばれていた頃よりな……」
双眼鏡を手に1隻1隻舐め回すように見遣っていた野原大佐は半ば言葉をなくし、かろうじて今の言葉を捻り出したのだった。最初の取り決めで全て完成するまで非公開となっていたので彼がこれらの艦を目の当たりにしたのは38年初夏の引き渡しの時以来である。そして現在、彼女達を目にして静かな興奮が抑えられずにいた。もちろん彼女達の姿が大佐と艦本設計陣が設計した通りに完成していたのなら、これ程の感動はなかっただろう。平面の設計図から立体の姿を思い浮かべるのは彼の得意技、いや設計に携わる者なら誰しもが身に付けている技術である。だが篠野により再設計された姿は彼の想像が及ばない程美しく、そして精強なものだったのだ。
「確かに、私でもここまで大胆なアレンジはできなかったな」
「そもそも他人の設計にここまで手を加える事自体できんのではないかな。相手の設計に欠陥があると言っているに等しい行為だし、何より予算の関係もあるから下手な事はできない。それをやった設計士も許可した会社もエラい事をしたもんだ。まああの柊造船ならさもありなんと言ったところか」
本日旧式戦艦達の引き渡しに立ち会ったのは原案を出した野原大佐だけではなかった。伯美少将ら造艦部門の責任者の多くが集まっていたのである。柊造船が野原班の設計通りに改装を行わず、独自の設計を加えてより強力な艦に仕上げるという情報が漏れ伝わっていたからだ。
その柊造船は引き渡しの時皆を驚かせようと仕様変更の詳細を外部には伝えず、出来得る限り艦の姿を隠しながら改装工事を行ってきた。今丁度海軍が行っている新戦艦建造のようにドックに覆いなど作ったりして。
だがその覆いに全く開口部がない訳ではないので、入れ換え時などには自ずと衆目に晒される訳である。そこで見聞きした事が断片的に艦本にも伝わり、かえって興味を惹いてしまったのであった。40年末には柊造船の独自性が溢れながらも堅実な仕事ぶりが広まっていたので、今回はどのような趣向が凝らされているのか殊更に造艦関係者の興味を掻き立ててきたのである。
「ホント貴女はエラい事をやってくれましたねぇ…あんな仕事をされては私の立つ瀬がなくなってしまいます」
「何を仰います。大佐の基本設計がなければ私達だってこんなムチャはしてませんよ。それより中もスゴいんですから実際に乗り込んでみる前にコレ見て確かめてください」
野原大佐が弱り顔で感心しているところに華香は更に追い打ちをかける。手にした封筒から比較用の設計図を取り出し、大佐にそれを手渡した。同じ物を篠野部長や久保井専務が他の同席者にも配っている。流石に全員分はないが10隻1組を数組用意してあったので、回し見すれば充分数は足りたはずだ。
「巡航用ディーゼル? そんなものは予算に組み込んでないはずだが、貴社がまた自腹を切ったのか? それに高角砲の数が原案より多い艦もあるようで…どこから調達したんです? 流石に兵装は普通のルートじゃ入手できないでしょう」
「ハハ、それは輸送船用のものを勝手に流用しましたぁ。でもおかげでタービンと併用すれば25ktを発揮できますし、巡航時の燃費は格段に良くなるはずです。高角砲も同様ですね。艦幅の大きい旧戦艦には2基4門ずつ増設して、対空だけでなく対艦…魚雷艇のような小艦艇には充分有効だと思いますよ。元々はより大口径の副砲をより多く積んでいたのですから、もう少し増やす事もできますよ? ただスペースの関係で断念しましたが」
「それもそうだが、バルバスバウの取り付けに留まらず艦首をスプーンバウにしたのはどうしてかな」
「それはですね、凌波性を高めるだけでなく舳…艦首スペースを広げる事で作業スペースの確保という意味もあります。新たな艦首の大部分はハリボテみたいなものですから強度的には不安なんですけどね、でもコストを考えるとそこまでしかできませんでした」
「なるほどなぁ…」
流石に造艦に携わる者達だけあって目の付け所が違う、と言いたいところだが、そんなものは実物や図面を見れば分かる。敢えて華香に尋ねて答えさせる。許可なく勝手な仕様変更をした彼女らに対し、ちょっとした嫌がらせを行っただけだ。いくら性能が向上したとはいえ独断専行は許さない、組織としてのケジメである。それはある程度覚悟していたので華香もそれを甘んじて受ける。調子に乗ってない事を示すために謙りながら。海軍のメンツを潰すためにやった訳ではない事を理解させればいいだけだし。まあ大佐としても本気で嫌がらせなど考えておらず、むしろ華香達を救う意味で取った嫌がらせだった。
その後一同は数隻の内火艇に乗り、一列に並ぶ旧式艦達をぐるりと一回りして、彼女達の姿を間近で確認する。普段より大型の艦を見慣れているはずなのにこうして見ると一段と大きく、そして力強く映った。一同その姿に感動して打ち震え、今後起こる事を避けきれない日米戦争での活躍を思い浮かべずにはいられなかったのである。
そして華香達はこの艦隊で一番大きな元戦艦『敷島』に乗り込んだ。排水量なら同『朝日』の方が大きかったのだが、全長全幅では『敷島』の方がわずかながら大きかったため、彼女達を基幹戦力とする護衛艦隊の旗艦と内定しており、それ故『敷島』に乗り込んだのである。いざ乗り込んでみると200m級の重巡やそれより大きい戦艦・空母に比べたら物足りなさを覚えたりもするが、その艦容から輸送船団の護衛とは思えず、彼女らを初めて見る事になる敵はこの「太った駆逐艦」ないし「チビの重巡」のような姿にどう対応すべきが途惑うだろうと確信するのであった。
「ようこそ艦本のお歴々。どうです? 我が『敷島』は。中々のモンでしょう。でも中はもっと凄いのですよ。到底日露戦争の頃に建造された艦とは思えないくらいに。ささっ、ご案内しますのでじっくり見てやってください」
『敷島』の初代艦長である池田大佐は上機嫌で一同を出迎えた。自分より階級が上の者がいるにも関わらずフランクに接してきたのは彼のパーソナリティでもあるが、それ以上にこの『敷島』のお披露目で気分が高揚しているためであった。
そもそも改定された艦種分類の基準において海防艦の艦長を大佐が任される事はあり得ないのだが、元々戦艦である『敷島』に敬意を払ったのと、年明けにも発足するという新護衛艦隊の司令を任される事が内定しているため池田大佐がその任に就いたのである。なお司令になるのと同時に彼は准将に昇格する事が決まっていた。准将という階級も2年前空軍が発足するのに合わせて海軍でも導入されたものだ。艦隊司令ともなると少将以上が任命されるのが日本海軍では一般的だったが、新設の護衛艦隊という事で1ランク下の准将が充てられたらしい。准将とか准尉というと中途半端な気がして嫌がる士官が多い中、池田大佐は「いきなり少将になるより試験などが楽で助かった」と言っているようだが。
池田大佐の案内で艦橋・機関室・兵員室を見て回った一同は、一部の艦を除き近代的にまとめ上げられた艦内に感嘆の息を漏らす。『古い器に新しい酒』とはこういう事を指すのだろう。しかしじっくり艦内を見て回りたかった艦本スタッフを余所に、池田大佐は話し好きなのか見学先での説明は長く大袈裟だったのである。
「艦橋は小さめですが最初からレーダー画面を設置してあるので導線に無理はありません。この西根電機製航行用レーダーは優秀ですよぉ。距離と方角が一画面で分かりますから…」
「機関は小型のものですからその分補機類が充実してましてね。おかげで新型戦艦並みに空調が効いております。おまけに巡航用ディーゼルまで積んでいるものですから燃費が良くって…って機関は元々艦本製でしたね。失礼しました……」
「兵員室は従来のカイコ棚から狭いながらも個人用寝台となって、兵達は皆喜んでおります。隣の者に蹴飛ばされる心配がありませんからな…とこれも強襲揚陸艦で既に採用されているものでしたか。不勉強で申し訳ありません………」
話す相手が艦本の造艦責任者達だという事を忘れて、自分の任された艦の自慢をしては赤っ恥をかいている大佐。まあそれだけ『敷島』の事を気に入ってくれたのだろうと大幅な設計変更してまで作った華香達としては嬉しかった。確かに既出のアイディアばかりだが、野原大佐達の設計では工事の簡略化のため採用されていなかったものばかりだ。長期任務になる事もあるだろうからと華香が篠野に設計変更を頼み込んだものもあるので、一般の兵からも喜ばれている事に自然と自分まで喜びが湧き上がるのであった。
「さてさて、この艦達は今後どんな運命を辿るのかしらね。みんなまとめて新設の護衛艦隊に配属されるみたいだけど、小艦艇ではない、護衛艦としては大火力を持つこの艦達が必要な場所なんてあるのかしら」
帰りの内火艇に乗り移ってから再び元『敷島』の艦橋辺りに目を遣りながら呟く華香。小回りよりも火力が重要という事は魚雷艇や潜水艦より、それなりの水上艦艇との交戦が予想される海域なのだろうか。であるならいざ開戦となった場合、彼女達はあまり長生きできないだろう。ただでさえ老朽艦なのだからいくら大改装したとはいえ、ベースの部分の劣化までは直せず色々とガタがきているのだから、その改装に携わった者としては複雑な心境の華香なのである。すると同じ内火艇に乗り込んでいた伯美少将が話しかけてきたのだ。
「まだ本決まりという訳ではないのですが…この度新設される第13護衛艦隊は南東方面、トラックより先を担当するようですよ、ってこれは内密にお願いしますね」
涼やかな顔に茶目っ気を浮かべながらかなり思い切った情報を教えてくれた少将に驚きの視線を向ける華香。いくら柊家が華族に名を連ねているからといって話していい情報ではないだろう、というのが半分。残りの半分はトラック諸島より先に日本の統治権はなかったはず。そこに護衛が必要という事はいずれその先にあるソロモン諸島あたりが戦場になる事を意味する。あのあたりはイギリスかオーストラリア、ニュージーランドなどが統治している。そこに我が国の護衛艦艇を出すという事は如何なる事なんだろう…いくつか考えは浮かんでくるが、そのどれもが愉快なものではない事は確かだ。日本の負担と犠牲が増える訳だし。もっと詳しく知りたい。そんな思いが顔に出てしまっていたのだろうか、少将は華香の視線を受け流そうと目を細めて語った。
「これ以上は私も怒られてしまうので話す事はできないのですが、万全を期する必要が出てきたという事です。その必要がなければトラック周辺の警護で余生を送れるはずだったのですがね。もしくは北方方面で」
少将の口調は優しかったが「これ以上は本当に話せない」という意思が多分に含まれていた。それを察した華香は目を逸らして呟く。
「本当は戦争なんてなければいいんですけどね。たとえ戦うために生まれた艦とはいえ、船作りとしては天寿を全うさせてあげたいという気持ちが強いですから」
「と言いつつ柊造船の提案する戦闘艦艇は我々本職も黙るようなものではないですか。小耳に挟みましたよ。海外…アジア向けの中型戦艦を独自に建造しているって事を。流石にまだ買い手はないようですがね。なんといっても国家主導でない軍艦を輸入する訳にはいきませんから…そして戦争をなくすためには3つの案しか浮かびませんよ。1つは全ての外交が上手くいく事。1つは武力にしろ話し合いにしろ世界が1つにまとまる事。そして最後の1つは人類が1人残らずいなくなる事です」
「最後の1つは絶対に避けたいなぁ…世界が人間を必要としなくなる日までは」
極端な戦争論を語る少将と華香に他の軍人達は苦笑したり苦虫を噛み潰したりして。華香のお供である久保井専務と篠野部長は頭を抱えていた。軍人からその仕事を奪うような事を言うだけでなく、ごく一部の関係者にだけ伝えていた独自戦艦の事が少し広まってしまった事に。まあ戦艦についてはいずれバレる事だからさしたる問題ではなかったし、こういう問題に一番食い付いてきそうな亀田造艦顧問は別の内火艇の乗っていて聞こえないようだったので大騒ぎにならずに済んだけど。
「それでは岸壁に戻ります。動き出しますので一応何かに掴まるか座ってください」
内火艇の艇長はそう言うとエンジンを始動させる。そして乗船者達が着座なりをしたのを確認して艇を静かに動かしたのであった。
陸上に戻った後の式典で『敷島』をはじめとする10隻の元戦艦・装甲巡洋艦達は『第○号大型砲艦』と名称が変更された。先程までの『敷島』が旗艦という事もあり『第1号大型砲艦』、一番小柄な元装甲巡洋艦の『春日』が『第10号大型砲艦』である。名称の変更は【海防艦】という呼称が「小型で対空対潜に特化した護衛艦艇」に用いる事が決定したため使えなくなったため。もっとも【砲艦】も比較的小さな艦艇の呼称なので「大型」と分かりやすく区別できるようにしたのである。能力的には「外洋航行できるモニター艦」と考えるのが自然だったため、英語での表記は【gunship】ではなく【monitor】とされた。まあ純粋なモニター艦とも異なるが一番しっくりする感じである。
彼女達から外された艦名はすぐにでも新造艦に使えるとされた。命名法が変更され敵の攻撃や事故などで失われた艦名も積極的に使っていこうとなった事もあるが、『敷島』達は失われた訳でもないので新造艦に名前を譲った形である。もっとも戦艦なら旧国名、巡洋艦なら山や川の名前という決まりがより厳密になったため、かえって使えなくなってしまった艦名もあるみたいだが。
式典も終わり華香達が君津にある柊造船本社に戻ろうとすると、元『敷島』達10隻の大型砲艦は定められた停泊場所に移動を始めるところだった。そして補給等が済み次第とりあえずトラックに向かいつつ訓練を行うらしい。そのため彼女達の勇姿はしばらく見られなくなると華香が名残惜しそうに眺めていると、元『敷島』達から別れの挨拶とばかりに一斉に汽笛が鳴り響いたのである。当然池田大佐の計らいなのだろうが、華香には彼女達が自分の意思で「さよなら」と言っているように聞こえたのである。だから華香も応えるように、
「みんなーっ、元気でねーっ! もし万が一ケガとかしたらウチで治してあげるから絶対帰ってくるんだよーっ!」
と一番離れていた艦にも聞こえるように叫んで大きく手を振ったのである。
すると再び汽笛が鳴り響く。(人の手を介しながらも)華香の言葉が伝わったのだろう。それに感極まってしまった華香は自家用船が沖合いに出るまでずっと手を振り続けたのであった。
次話へ続く
久しぶりの投稿です。
柊造船(華香)絡みなので「柊華香の挑戦」の続きのようですが一応別物です。
この作品は旧式戦艦達の意外な活躍を描くお話なのです。
次回の投稿がいつできるか分かりませんが、次回以降は戦争に突入し、護衛艦として活躍してくれると思いますので、お待ちいただけたら幸いです。