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作者: 薄氷

『涙とは日常でよく起こりえてかつ非常に神秘的なものだ』

 そんなことを言う私はよく欠伸をするたびに涙が顔に流れます、私です。今日はそんなに身近に感じられるものなのに、感動を覚えてしまうこの涙という物を見ていこうと思います。


 まず“涙”とは具体的になんなのでしょうか。悲しいときに出るやつ?もしくは感動したときに?何らかの生理現象?目を守るため?と様々な考え方がでると思います。といっても大半は一番最初に書いている「悲しいとき」というイメージ、また「感動したとき」というイメージが強いのだろうと思います。しかし、ここでの疑問があります。

「どうして悲しいとき・嬉しいときに涙がこぼれるのだろう」


 強い感情を受けたときに強く脳の中の何かが揺さぶられて、涙が出る。そんな感じだったと適当に調べてみると出てきましたが、研究者ですらない一般人の私にはよくは分かりません。しかしながらこういう理由で涙が出るということはなんとなく理解できました。


 表現者の一人である私にとってこの涙というものを使用する時に心がけていることがあります。それは「涙」という表現の存在を軽く扱わないということです。


 この文章の前の方に少しまとめてある通り、喜怒哀楽という感情のどの場面でもこの涙というものは登場させることが可能な表現なのです。大きく感情が揺さぶられた時に出るということが分かった今では私も納得しましたが、極論どんな時にでも使うことができてしまうのです。だからこそ使うことを抑えることが大事なのです。キャラ付けで泣きがちなキャラという存在が意外と多いのはこの為だと思えました。しかし泣きがちなキャラというものは自由に泣かせることができる、どんな時にでも泣かせてもいいというオールラウンダーなキャラなのですね。しかも、どんな時にでも泣くやつが…………。という表現のメリハリをつけることだってできます。これは涙なんて見せたことない奴が泣いた、という例と逆ですね。夢がない話をしているかもしれませんが物語の世界はこういうことを度々考えてしまうものです。

 

 どう読んでもらえるか、どう感じ取ってもらえるか、受け取ってもらえるか、という事を考えながら表現の工夫やメリハリをつけていくというのはとても難しい事だと思います。私は曖昧な表現にしてしまうのが嫌いです。それは俗に言う「解釈違い」が起きてしまうことがあまり好ましく思っていないからですね。作者が書いたこと、思ったことそのまま伝わってほしいと思う人間なので、大体ストレートに書くことが多いです。

 

 しかし、なろうで書いていたり、日々書いている文章は自分が読ませたいという小説というよりは、自分の日記であったり、日々思ったことを文章に起こしているだけの「自分勝手な文章」なのでこうして自分が自由に思ったこと感じたことをそのまま書いています。


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