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沈まぬ蛍  作者: サク
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#07

 あからさまに目を反らして茶をすする男を眺めながら、彼女も茶器を口に運んだ。確かに悪くない味だった。子供が気に入るかはよくわからなかったが。

「当てはあるのかえ。離宮が気に入らないなら、どこぞに別の屋敷を用意させよう。すぐにとはいかぬから、しばらくこちらへ滞在してもらうことになるが」

「いや、気にするな。心配には及ばん。もぐりこめそうな住処なら心当たりがある」

「あまり私の臣民に迷惑をかけてくれるなよ」

 やれやれと呟いた言葉はバルコニーから入ってきた風に溶けた。


 大人二人はそれからしばらく世間話に興じた。時折、女王の説教が飛びつつも、旧帝国の情勢がどうだとか、大陸の反対側の国々との講和条約の進展具合だとか、固めの話題を織り交ぜながら、互いの情報を少しずつ聞き出し合う過程を楽しんでいるかのようだ。

 ゼオンは一人、バルコニーから海を見続けた。女王の私室があるこの宮は断崖にせり出すように建てられており、バルコニーの下、寄せた波が岩にあたって白く砕ける様がまるで怪物から伸びた触手のようにも思われて、目を離せなかった。

 あの水は塩辛いのだと聞いたことがあるが、どれほどだろうか?故郷でよく食べた塩蔵の魚ほどだろうか。

「海がそんなに気に入ったのか?そりゃ、よかったな。今日から暮らす場所も海が見えるぞ」

 振り返ると既に荷物袋を背負ったシグレが立っていた。相変わらず気配の読めない男だ。

「話は終わったのか」

「ああ、待たせたな。お前の戸籍をヒノエが気前よくくれるってよ。王様が友達だと、こういう時は便利だな。んじゃ、用も済んだことだし、今晩の飯と寝床を確保しに行くとするか」

 男が差し出した手をゼオンは素直に握った。男の手を初めて握ったことに、気づかぬまま。

「じゃあな、元気でいろよ」

 満足げににやりと笑った男が捨て台詞一つ残して出て行った。

「まったく、ほほえましいことだね。子供が子育てとは」

 男と子供が出ていった扉を見やり、女王は優雅に脚を組み替えると独り言ちた。



 馬を連れて王城を後にすると、今度は手綱を引いて下町の方まで下っていった。

道の両脇には果物、野菜、香辛料といった食料品のほか、衣類や古本などの出店が所狭しと立ち並んで、呼び込みの声があちらこちらで飛び交っている。男はゼオンを案内するようにあちこちで足を止め、寄り道を重ねては子供用の服やら靴をそろえているようだった。

 港の近い一角まで来ると、男は海務局と思しき立派な門構えの屋敷に入った。またしても番兵の一人に手綱を渡して、荷物袋を背に子供の手を引きつつ、すれ違う職員に軽く挨拶をしながら迷いなく進んでいく。

 赤い絨毯が敷き詰められた階段を三階まで一気に登り、王宮などと違って近衛兵もないことを良いことに、正面の扉を開け放った。のらり、と緩慢な動作で入っていく。

 扉の上に取り付けられた札には「提督室」とある。子供の少ない知識ですら、それがこの役所の最高幹部であることは理解できた。先ほどまでいた場所と比べれば、庶民的とさえ言えるが。

「おーい、馬鹿弟子。いるかー。ちょいと頼みごとがあんだけど」

 窓を背にして磨き上げられた紫檀の机に腰かけた男が、睨みつけていた書類から瞬間的に顔を上げたかと思うと、きれいな垂直の姿勢で素早く立ち上がった。男は金の肩章が付いた紺の詰襟をきっちりと身に着けている。

「師匠!これはめずらしい」

 五十がらみのつり眉に垂れ目の男は人の良さそうな顔に笑みを浮かべて、いそいそとこちらまで近寄って来た。シグレも長身な部類だが、それを上回る大柄な男でゼオンの視界は彼の腰にも届かない。

「あんたの頼みとあらば何なりとも」

「うん、じゃあ、こいつとお前ん家に住まわして。海の見える部屋がいいな」

 子供の頭に手をおいて屈託なく笑うシグレを見下ろして、提督は何やら安心したかのように一つ息を吐いた。

「喜んで、師匠。この上の階を適当に使ってください。子供らの部屋だったが、誰も彼も独立して今はもう使う人もない。オレと妻は一階から続く離れに住まいを変えたのでね。そうだ、今日の夕食は離れにおいでください。お好きな酒を用意してお待ちしてますよ」

 他人が子連れで家に転がり込もうと言うのに、全く意に介した様子もなく提督は二人を夕飯に誘った。

 本当に大丈夫なのだろうかと、顔をあげて提督を見ると、ニカリとした笑みが返された。

「えーと。お前、挨拶とか自己紹介とかなんかしてみたら?」

 今までの己の言動を振り返って、とても言えた義理じゃないとは思いつつも、遅ればせながら男が子供を促した。「言い方!」と馬鹿弟子が頭の上で笑いをかみ殺している。

「こんにちは。はじめまして、提督。ボクはゼオンです」

 子供は予想以上にしっかりと挨拶をした。自ら話さない、口数の少ない子供なのだと決めかかっていたが、もしかすると男のあまりの傍若無人ぶりに自分がしっかりせねばと気を回したのかもしれない。

(聡い子だ)

 提督は膝を折って子供と視線を合わせると、人好きのする優しい顔を向けた。

「はじめまして。オレはテイユウ。そこの御人の弟子にあたる。キミは師の友達かな?」

 そう聞かれると途端に目を泳がせて、答えを探すようにシグレを見る。

「いや。なんていうか。俺の息子。ってことになった。今しがた王城で」

 子供の代わりに答えた男の言い方から、女王とどんなやり取りがあったかを正確に推測して、テイユウは衝動的に頭を押さえたくなった。

「あんたは本当に無理を通す人だな。あんまり権力に頼りすぎるといらぬ反感を買いますよ」

「ヒノエだけじゃなく、馬鹿弟子まで説教臭くなりやがって。権力に頼るなとか言ったら、お前にだって頼れないだろ。お前ちょっと廊下に出て、この部屋の札を確認して来い。記憶違いじゃなきゃ、提督って書いてあるぞ」

「オレはいいんですよ、あんたの弟子なんだから」

「どういう理屈だ、そりゃ」

 しゃがんだままのテイユウは、やれやれと肩をすくめて、ゼオンを手招きする。

 そっと耳打ちして言った。

「面白いことを教えてやろうか。あの人は拗ねると口調が命令形になる」


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