#12
正式名称を、帝国陸軍特殊先鋒部隊。一個中隊にも満たない人員ながら、周辺各国では「人狼部隊」の通称で呼よばれ、その名を知らぬものはない。戦争の表看板の裏で殺戮と破壊と強奪を繰り返し、敵国を蹂躙して回った狂気の集団。
敗戦後、国境にほど近いオルテクス渓谷まで追いつめられると、王国を含む周辺国が兵を出し合って組織した合同部隊の掃討作戦によって捕えられ、そのほとんどが処刑されたと聞く。
(なぜ、あんたが生きているんだ)
「驚いたぜ、まったくよう。あそっから外見てたら、下にちょうどおまえが逃げてくるとか、どんな偶然だあ、一体よ。おまえは走り方が特殊だからなあ、すぐわかったぜ」
ゆったりと喋る男は裏通りに面した安宿の2階を指差した。木窓が開け放たれ、黄ばんだカーテンが揺れている。つい今しがたまで窓辺に人がいた気配を漂わせていた。
膝に届く長い貫頭衣の上から腰に幅の狭い帯を締めた男は、服装だけを見れば商売道具の買い付けに来た外国の商人のようだが、その出で立ちとは裏腹にゼオンには男の残虐で軽薄な本性が透けて見えるようで、寒気しか起こらない。
名をバルバスという。故郷から連れて来られた基地で訓練を受けていたゼオンを人狼へ引き抜いた張本人であった。
「おれ以外に生き残りがいるとすれば、正直、おまえだろうと思ってたんだぜ、ゼオン」
眠そうにも笑っているようにも見える笑みを顔に張り付けて、さも嬉しそうに男は言った。
「おまえは本当に聡いガキだよなあ。あの渓谷で、おれは気づいていたぜ。おまえが他の大人を差し置いて、真っ先におれと真逆の方向へ逃げたのを。惚れ惚れするほどいい判断だったよ」
ゼオンはゆっくりと立ち上がって、氷のような表情をバルバスに向けた。無意識のうちに腰の小刀を探ったが、そこには何もありはしなかった。
「おいおい、警戒すんなよう。戦友じゃねえか」
戦場は人を変えるという。
自分もその一人であったが、人狼を率いたバルバスは違う。奴はきっと初めから狂っていた。戦争末期に徴兵された民間人の誰もが、国のために、故郷のために、家族のためにと何度も言い聞かせて、自分の手を汚す恐怖をどうにか仕舞い込んで戦場に立っていた。
そんな多くの兵士を上手に操って、殺戮を楽しむ己の嗜好を徐々に隊内に浸透させているように見えた。
今思えば至って簡単な心理誘導だ。嫌々何かをせねばならぬなら、これは楽しいことなんだと思い込んでしまった方がいい。楽しい方がよりはかどる。勉強しかり、殺人もしかり。
「おまえも王国にいるとはなあ。まあ、ここいらじゃ安定してる方だし、選択肢も他にないもんなあ。かく云うおれもここにいる」
男をかわして逃げるため、ゼオンはわずかに腰を落として態勢を低くとった。
「それにしたって、化けたもんだなあ、ゼオン。あの身のこなしを見なかったら、おまえだと分からずにいたろうさ。変装にしては統一感のない風体だが、おまえの趣味なのか?ああ、アレか、いいカモでも見つけたわけか。おまえは本当に大人に取り入るのがうまいなあ」
バルバスがすっと目を細める。
「なあ、秘訣を教えてくれよ、ゼオン」
左の腕をつかもうと伸ばされたバルバスの右手を紙一重で避けて、ゼオンは一気に距離を取った。
「なんだよう、冷てえなあ」
バルバスのぼやきを無視して、ゼオンは身をひるがえした。
バルバスが追って来ないことを幾度も確認しながら、裏通りを渡り歩いてゼオンは海務局の前まで帰ってきた。
港の活気とわずかに波の音がする。港町の日常がそこにあったことに、ゼオンは泣きそうなほどに安堵する。金貨も、日常も、失われるときは突然だ。大切なものや大事な人も、手を放してしまったら二度と手に入らない。
門番への挨拶もそこそこに、四階に駆け上ったゼオンは男の姿を探した。なぜか探りにくいシグレの気配を探して部屋をめぐり、居室にも居間にもいないと思ったら、台所に立って包丁を握っている。
気づけは昼食の時間帯になっていた。
(いた…)
料理を作るときのシグレは、なぜかいつもより少しだけ真面目な表情になる。今も真剣な顔をして野菜を刻みつつ、子供の気配を察してか、振り返らずに言った。
「おう。おかえり」
子供は男の後ろまでゆっくりと近づいてくると、ためらいがちな動作でそっと背にしがみつかた。刃物を手にしているときに何を、と咎められるのも覚悟の上だったが、男は驚きこそすれ何も言わなかった。
包丁を一旦おいて子供に向き直ることもできたが、自分の背中にギュッと掴む小さな手が細かく震えているのに気づいて、少し考えて、そのまま料理を続けることにした。
子供に向き直るには、この小さな手を一旦は振り解かなければならない。それは酷なことのように思われた。
「そんなに腹が減ってるのか。さすが、子供は食べ盛り」
今朝ほど足取りも軽く出て行った子供に何があっかは知る由もなかったが、子供ながらに嫌な目に遭ったのだろう。街の誰かに意地悪な一言でも浴びせられたのかもしれない。
「少し待ってな。すぐできる」
子供はますます男にしがみついて、嗚咽をこらえる気配がする。
すでに切るものは何も残ってなかったが、男は包丁を手にしたまま若い顔をゆがめて、その場に立ちつくした。




