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沈まぬ蛍  作者: サク
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プロローグ

 一昨日から降り続いた雨は明け方近くに止んだようだ。

 棚引く雲の合間から久方振りの陽光が注ぎ、村を囲む森の緑を一層鮮やかに照らし出していた。地面が乾く昼下がりまで待って、セラは村はずれの祖母の家に向かった。

 祖母といっても、正確には母を産むとすぐに亡くなった祖母の姉にあたる人で、既に70を超えていたが、品のある佇まいが今もって美しい女性だった。婆さんと呼ぶにはどうにも抵抗がある容姿に、セラだけでなく村の誰もが未だ彼女を名前で呼んだ。

 器用な手先を生かして王都の仕立屋から縫製の仕事を請け負って生計を立ており、農業中心の村の中で生活は安定している部類に入る。歳を重ねても職人技は衰えず、細く長い指先でつまんだ針をよどみなく動かし、一枚の布からドレスが仕上げていく様子は、まるで魔法を見ているかのようだ。

 今も日の差し込む窓辺に置いた籐椅子に腰かけ、手元の針の方向に目を伏せた姿は、若かりし頃と変わらぬ静謐な美しさがあった。

「こんにちは」

 数年前から手の空いたときに家事手伝い兼裁縫師見習いとして師事するようになったセラは、呼び鈴も鳴らさずに家に上がると奥の仕事部屋の祖母に声をかけた。

「ああ、セラ。せっかくだけど今日は客が来ていてね。手伝いはいいよ。悪いね」

(あのひとが来てるんだ)

 昔から祖母を知る人は、若かりし頃の美貌と相まって独り身でいることに首をひねったものだが、セラにはその理由がわかる気がした。

 何の規則性もなしにふらりと会いに来る若い男の存在。何度か見かけたことがあるが、若い姿にも関わらず妙に老成した眼が印象的な男で、村にいる若い衆とは全く違った雰囲気を纏っていた。

 彼について祖母は、たまに来る迷惑な客とだけ説明した。祖母と同い年である村長のエルトンはどうやら彼の素性を正確に把握しているらしかったが、興味本位で村人が尋ねても一切口を割らなかった。

 男の方でも他の村人との関わりを避けるかのように、ふらりとやって来てはいつの間にか居なくなるのが常だったが、セラがもう少し小さい時分には王都で流行っているという甘いお菓子を分けてくれたこともある。

 怪しい男からモノを貰うんじゃないよ、と後から祖母に釘を刺されてしまったが。

何気なく見た窓の外で、裏庭に生えた雑草を刈る男の背中が見えた。普段は農具を手にしたりはしないのだろう。長身の背を屈めて、ぎこちなく鎌を振るう様子が可愛らしく思えた。

「うん。また、明日来るね。」

「ありがとう。よろしく頼むよ」

 素直に頷いて祖母の家を後にしてから、せっかく持ってきた籐籠の中身、朝のうちに摘んでおいた果物を渡さずに来てしまったことに気づいた。帰路の道を進みながら、来客の邪魔をするのもどうかと逡巡した挙句、結局、そっと台所に置いてくればいいと結論付け祖母の家に戻ることにした。


 再度、辿り着いたときには日も傾き始めていた。勝手口から入ろうと家の裏手に回ると、裏庭のポーチに出した長椅子に腰かけた二人が目に入った。屋根の軒から落ちる影の中で、祖母は細い姿態を男に預けて眠っているようだった。肩には男物の上着が掛けられていた。

 孫ほども歳の差があるように見える若い男はじっと身じろぎもせず庭の草木を眺めていたが、不意に彼の膝に投げ出されていた祖母の右手を左手ですくい取るとただ静かに口づけた。  

 まだ少女といって差し支えのないセラの心臓はドキリと跳ね上がるようであったが、それは長年の連れ合いのように自然な動作だった。

 その時、眠っているように見えた祖母が目を閉じたまま言った。

「もう、ここに来てはいけないよ」

 突然の別れの言葉にセラは息を飲んだが、男は平静に受け止めたようだ。

全て女の望むがままに、と男は既に腹をくくっていた。

「長いこと世話になったな」

「私こそ、ずっとお前を縛って悪かった」

 思わず男が苦笑する。縛っていたのは、果たしてどちらの方だったろうか。

(最後の瞬間にお前の手を握っていてやりたかったんだがな、俺は)

「お前はいつも俺に厳しい」

「ただ優しいだけの女に惚れるお前じゃないだろう?」

「もう惚れちゃいねえよ、クソババア」

 口ではそう言いながら、二人はつないだ手を離すことはなかった。

 祖母は青年の隣で、目を伏せたまま見たこともない優しい表情をして微笑んでいた。

 セラはそっと後ずさりをして祖母の家から離れた。歩き始めるとなぜだか涙が溢れて止まらなかった。籠の中の果物は明日渡すことにしよう。早起きしたら畑仕事をさっさと済ませて、今日よりももっと早い時間に祖母を訪ねるのだ。強がりな彼女は何も言わないだろうが、心の寂しさを紛らわすように朝の早くから服を縫うのだろうから。

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