鯨宴のフィナーレ
エブストーのパン工房へ行った。
「そうじゃねぇ何度言ったら分かるんだ」
「すいません、もう一度お願いします」
厳しいエブストーの指導にも凹む事なく頑張るマルテルの姿に正直驚いた。
残念ドワーフなんて言っていた頃が嘘のようだ。
邪魔しちゃいけない気がして帰ろうとした時にエブストーの奥さんに呼び止められた。
「おんや、あんた達もうすぐ休憩だよパンとジャム食べていきなよ」
「あらあら、ありがとうございます」
虐められてるんじゃないかと心配したが休憩に入るとエブストーも奥さんもマルテルと和やかな雰囲気だった。
「あんたは厳し過ぎんだよ」
「バカやろうマルテルはな逸材だぞ指導に力が入るなぁ当然だ」
「それでねパンがさ……」
来てから、ずっとマルテルはパンの話に夢中だ。
家族に捨てられた魔眼の子供に新しい家族が出来た。
離れるのは寂しいけど安心して離れられる。
なにより幸せそうなマルテルを見て良かったと思う気持ちの方が強かった。
メルカが刺繍をした魔眼帯を渡すと。
マルテルは泣き出してメルカに抱きついた。
初めて女性に抱きつく事までマルテルに先を越されてしまったが、まあ良しとしよう。
今夜は満月。
明日の早朝は満潮。
きっと、その時が鯨宴のフィナーレだ。
一緒に見る約束をして城へと戻った。
少し冷んやりした朝靄の空気の中みんなで路地を歩く。
「あらあら、マルテル眠そうね」
「王船が寄港すると鯨宴パンが必要だからって徹夜で焼いたんだ。 ふあぁ」
「ビアンコが城にいたのは届けに来てたんだぜ」
街の人々にも出会う。
小さな子供を、お婆さんが連れている事が多かった。
ドワーフの男達は老いも若きも酔いつぶれているからだ。
港まで来ると見学の人で溢れていた。
それでも朝特有の静けさを壊さない暗黙の了解でもあるかのように人々は静かに話していた。
いつでも賑やかなラパが嘘のようだ。
「絶対に離れないで下さいねカシュー」
「んぁ」
「リザードキャメルの店には変化はなかったんでしょ?」
「そうですが念には念です」
イドリーの姿勢は変わらない。
メルカもだ、いつの間にか、さり気なく俺のそばにいる。
満潮で港の水位が高い。
大型船がより大きく見え、ゆっくりと揺れていた。
それだけでも何だか気持ちがソワソワして来る。
やがて丘の方から朝日が差し込み始めた。
丁度、沖の王船の辺りから日が当たり始めると……
色々な色の虹鯨達はお互い向き合うように空を泳いだ。
そして頭を中央に放射状に並ぶと今度は頭を上へ向けはじめた。
ゆっくり、ゆっくりと……
全部の鯨が縦になったところで遂に鳴き声が響き渡った。
クォー
クォーン
クォ
クォ
クォー
それは空気を揺らすような音ではなく、とても優しい鳴き声だった。
まるで子守歌でも歌うように囁くようにラパ湾を包んでゆく。
その鳴き声に合わせるかのように朝日が照らしてゆく。
丁度朝日が鯨達を照らした。
その時!
クルリと鯨達が一斉に外へと回転した。
そして鯨達の輪の中へ一頭の赤ちゃん鯨が誕生した。
誕生の瞬間キラキラとそれぞれの鯨の色に合わせた何かが空へと飛び散った。
それはまるで前の世界の花火のようだった。
違うのは音もなく静かに開く花火だ。
「綺麗……」
「あぁ」
押し黙って見ていた港の人々は堰を切ったように感嘆の声を上げ始め……
港まで朝日が包む頃には大歓声となった。
「白鯨だぁ」
「豊かな年になるわ」
いつの間にか男達も起き出して窓や路地から歓声を上げていた。
「繁栄の年じゃあ」
「酒じゃあ」
チラホラと帰り始める人も見えた頃。
「何か、おかしいぜ」
港がザワザワとなった。
鯨が、もう一周しているのだ……
「これは珍しい事なの?」
「ああ、聞いた事ないぜ」
そしてもう一頭の赤ちゃん鯨が誕生した。
今度は花火は開かなかった。
鳴き声もなかった。
代わりに人々の落胆の声が響き渡った。
斑模様の鯨だったのだ。
「不吉の象徴だぜ……」




