パンの刺繍
エブストー、ビアンコ、マルテルが揃って城へやって来た。
おみくじパンである鯨宴パンが人気で忙しいはずなのに、どうした事か?
「鯨宴の英雄が揃ったぞぉ酒だ、酒だ」
にわかに活気付く城だったが……
「すまねぇパン工房にも、すぐ戻らにゃなんねぇ話をしに来たんじゃ」
「話?」
「アーモン、ラッカ、カシュー、僕さラパに残りたいんだ」
「俺からも頼む、親父の工房をマルテルが継いでくれりゃ安心して海へ出れる」
マルテルがエブストーのパン工房を継ぎたい。
それをビアンコもエブストーも望んでいる。
そう言う話だった。
マルテルがパンを焼くのが夢だったのはラマー二修道院にいる頃から知っていた。
反対する訳がない……なのに。
「何でよ、勝手過ぎるわ!」
ラッカが反対した。
俺は転生者だから日本で卒業とか色々と別れってのを経験してる。
また、いつか会えるさ……そんな感覚だから、そうか頑張れよ的に思った。
でも、車もネットもないこの世界では二度と会えないかも? そう言う感覚なのだろう。
特に親や村に捨てられた魔眼修道士であれば、なおさらだ。
「何でアーモンは何も言わないのよ」
「そりゃ寂しいよ、でもマルテルの夢だったんだ応援するよ」
「何でよ! もう会えないかも知れないのよ」
「だったら、ラッカも残ってもいいんだぞ、着いて来れば危険しかない、それこそ二度と会えない目に合うかも知れないんだ」
思ってもない言葉が出た。
いや思ってなくない。
修道院から、ずっと思っていたんだ。
関係ないラッカやマルテルを巻き込んでしまった事を後悔していた。
その思いが今回の事を、きっかけに溢れ出してしまった。
「何で、そうなるのよ……」
泣きながら出て行ってしまった。
「今更、言うなら何で連れて来たんだ?」
イドリーが怒っていた。
そりゃそうだ、着いて来る事を最初から認めなかったのは、そう言う事を心配していたからだろう。
甘かった。
ただ離れたくなかった。
誰も知らない世界へ転生して新しい親さえ直ぐに離れて身近に感じるのはラッカくらいだった。
今更、離れてもいいぞなんて卑怯だった。
「すみません……」
イドリーは思っていた。
しまったと……
特殊な魔眼を使うテーベの小箱から隠されていた少年。
戦闘に参加すれば、まあまあ戦える。
それどころかウロボロスは種族スキルを何種類も重ねて押さえ込む。
スカルフェイスは、この少年が居なければ倒せなかった。
まだ子供なんだと言う事を忘れていた。
「いや、わたくしが修道院を出る時に、もっと説明すべきでした」
「いえ、自分が卑怯でした……」
「あらあら、では追いかけるんですよアーモン、マルテルもね」
「んぁ、憧れるなの」
カシューだけ何か違ってる気がするがラッカを追いかけた。
ラパ湾を見渡せる城のバルコニーにラッカは、いた。
六角天気塔も見える。
長針も中針も、どこを向いていようが、どうでもよかった。
「ラッカ……」
「ラッカ!」
「……」
返事をしない。
下を向いて顔も見えない。
「ごめん、俺……卑怯だった、急に心配になって……ごめん」
「僕もゴメン、でも残りたいんだ」
「もう、男の子はズルいわ」
そう言うとラッカは泣きながら笑っていた。
マルテルはラパに残る。
夢だったパン職人になる。
その夜メルカはマルテルの魔眼帯にパンの刺繍を遅くまでかかって縫ったそうだ。
お気に入りだったマルテルと別れるのが一番辛かったのはメルカだったのかも知れない。
俺の為にテーベの小箱のメルカとして着いて来るから……
その事に気づいたのはメルカの目の下の隈を見た時だった。
強くならなければいけない。
誰にも頼らずに助けられなくても生きていける男にならなればいけない。
改めて、そう思った。
「やっと王船が来たぜ」
その日の夕方に何だか嬉しそうなピスタから、そう聞いた。
鯨宴を見に毎年訪れる他国の王族が乗る船だと。
そして……
「母ちゃんが来るぜ」
どゆ事?




