失礼な男達――宇宙人との第一次接近遭遇
由緒正しき風格漂う老舗料亭旅館。さらには数寄屋造りの個室などと言うものの中に揃う面子なんて、恐らくこれまで一度もお目にかかった事がないほど上流階級の方々で。さらにはこれから先一生お目にかかりたくないと思うような、一般庶民の常識が通じない宇宙人に違いない。その宇宙人の中の一人の背中を見ながら、わたしはそんな事を考えていた。完全な偏見による思い込みだが、きっとそれは当たらずしも遠からずだと言う自信があった。これぞ庶民の持つ、野生の勘と言うものだ。
保健医の背中越しに見える宇宙人の数は、男性タイプが3名と女性タイプが1名。男性はいずれも壮年。女性はわたしとさほど変わらないと見える。
値踏みするような舐め回すような、それでいて軽い侮蔑を含むと言う何とも器用な視線を操るとは、さすがは宇宙人のなせる業だ。そんな馬鹿な事を考えていなければ、とてもではないが耐えられそうになかった。
いつものわたしならば、相手が誰であれその不躾さを遠まわしに非難し、さらには人間関係を円滑にするために心掛けなければならない最低限のマナーと言うものを、こんこんと説いて聞かせているところである。もしくは今のようにそれができない相手の場合、満面の営業スマイルで、丁寧にこの場を辞しているだろう。
「ほう。これはまた華麗な女性を連れているものだな」
白髪交じりのロマンスグレーと言えない事もない男性が吐いた言葉に、思わず耳を疑った。
華麗だか加齢だか鰈だかは知らないが、どうやらそれがわたしを指しているらしいと気付く。だがしかし気持ちが全く込められていない社交辞令にもならないような薄っぺらい言葉に、思いがけずこめかみが痙攣しそうになるのを必死に堪えると言う苦行を強いられる事になってしまった。
「そちらが、政高君の意中の人と言うわけだね」
髪は黒いが薄くなった頭のてっぺんがいい感じにてかっている中年男性が、文字通り体中を嘗め回すような目でわたしを見ている。これはあれだ。爬虫類系の目だ。しかし少なからず脂ぎった感を否めないところから、ガマ蛙に近いかもしれない。と言う事は、鏡を見せればたらーりたらりと油汗をかくのだろうか。けれど想像してみても、あまり気持ちが良いものではない。それに蛙は爬虫類ではなく両生類だし。
この二人の宇宙人に対する保健医は、あくまでも穏やかそうに見える笑顔を貼り付けたままである。
「こちらは、庄司穂之香さんです。穂之香さん、そちらは衆議院議員の笹川先生と、ご令嬢の京香さんです」
紹介されて頭を下げるが、あちらの三人は軽く頷く程度。宇宙人には、地球式の挨拶ができないものと見た。
ガマ蛙の衆議院議員の笹川と言う名は、申し訳ないけれど記憶にない。選挙区が違うのか、それとも比例代表の中にしか名がないのか。恐らく後者だろう。そのご令嬢だと言う京香さんとやらは、楚々とした美人。この父からこの娘が生まれたとは信じ難いほどの手弱女だ。
「そちらが僕の父の道広。その隣が父の弟の道高です」
白髪混じりの男が保健医の父らしいが、顔は全く似ていない。線が細くて綺麗な顔立ちの保健医に比べ、父親は少しえらが張った縦長長方形の顔だ。腹に余分な脂肪が少し溜まっているようだが、年齢の割には引き締まっている感がある。その隣の良く似た顔が、その弟。つまり保健医にとっては叔父にあたるのだろう。白髪が全くないところを見ると、どうやら髪を染めているようだ。顔は似ているが、体つきが小太りの中年体型なのでその分顔の形が正方形に近く、全体的に見るとサイコロのようである。
そしてふと気付いたのだが、二人とも保健医とは違い、眼の色は日本人特有のもの。と言う事は、保健医のこの髪と眼の色は、母方の血と言う事なのだろうか。
さすがにガマ蛙とは違い、他の二人が軽く会釈程度に頭を下げたので、わたしも改めてお辞儀をした。
「娘との縁談を断ると言うのは、この女性が原因と言う事ですかな」
いきなり核心を突いて来たガマ蛙の口元がひくりと引きつり、さらに歪んだ。目つきが若干きつくなり、まさに蛙そのものの顔つきになった。
どうでも良いが、まだわたしも保健医も座を勧められておらず、去り際におかみが閉めてくれた襖を背に、部屋の入り口に正座したままである。当然ながら座布団などはなく、畳に直に座っている状態。とても初対面の挨拶とも思えないような挨拶をしてすぐに自分の用件を切り出すとは、いくら気に食わない相手を前にしているとは言え、政治家それも代議士とも思えないお粗末さではなかろうか。襟で燦然と輝いている金バッチが泣くと言うものだ。
よほど焦っているのか、それともこれが常の事なのか。もしかすると両方なのかもしれないが、このガマ蛙はとてもではないが、日本の明日を背負うような器には見えない。有権者の一人として、非常に嘆かわしく遺憾に思う。
「はい」
そして保健医は微笑を浮かべたまま、いたって簡潔な返答をした。良いのかそれで。と思うくらいに、愛想もへったくれも感じられない口調である。そしてその言葉に、宇宙人達の様子が変わった。特に顕著なのはロマンスグレーと呼ぶのが勿体ないからごま塩に改定した親父で、眉間には深い皺が入り、眦を吊り上げて憤怒の表情を浮かべている。
保健医からの予備情報では、父親が外科専門医で病院の経営者兼病院長、叔父が内科部長らしい。つまりこの場には「先生」と呼ばれる人種が、ガマ蛙を含めて四人いる事になる。なかなかに錚々たるメンバーだが、残念ながらわたしにとってはどちらも縁のない世界だ。凄い事なのだろうと思いはするものの、それ以上の感慨を覚える事はない。
「一生に一人きりの伴侶くらいは自分で選んで決めたいと思いますし、結婚が不本意なものになれば、笹川先生のお嬢様に対して愛情を抱くのが困難になります。そうなっては、お嬢様に対しても失礼ではありませんか」
おお。さすがは口八丁手八丁。一応まともな意見に聞こえるあたり、伊達に仮面を被ってはいないのだと変に感心させられた。
「滝本君から聞いた時には、俄かに信じる事ができなかったが。それは、本気なのか」
ちなみに滝本と言うのは、妹の主治医の事だ。先日の保健医との話しぶりではごま塩と知り合いっぽかったから、あの後わたしの存在をごま塩に知らせていたのだろう。これは充分予想できた事だから、大した問題ではない。
「滝本先生からどうお聞きになったかは知りませんが、僕がいくら言葉で説明しても、頭から信じていただけなかったでしょう。何よりも、本気でなければこんな所にまで彼女を連れて来たりはしません」
「それほど気に入っているのなら、何も別れろとまでは言わん。だが結婚は、京香さんとしてもらう」
「どう言う事ですか」
保健医がさすがに、笑顔の仮面を外したかのような表情を見せる。綺麗に整った眉間に皺が寄って、顔つきが明らかに険しくなり、片方の眉尻を器用に上げている。これが演技だと知っているわたしでもうっかり騙されそうなほど完璧なその変化に、ごま塩親父もガマ蛙もついでにサイコロまでもが暫時色を失った。
そして。
「愛人としてなら、認めてやっても良いと言っているんだ」
まるで今日の天気の話をしているかのような平然としたその口調に、すぐにはその内容を呑み込む事ができない。数瞬後ようやく理解した時、わたしの全身の肌が怒りで粟立った。
愛人だと? 何を寝ぼけた事をほざいているのだ、この宇宙人。たとえ偽者の恋人役であろうとも、このごま塩がわたしの女性としての人権を限りなく軽視している事には変わりがない。こんな侮辱を受けたのは、当然ながら生まれて初めてだ。
わたしの怒りの気配を察した保健医が、振り向きざまにわたしの体を引き寄せた。わたしは固く握りしめ小刻みに震える両手の拳もそのままに、動く事も声を出す事もできない。
「冗談じゃありません」
保健医のあまりにも冷ややかな響きに、背筋がぞくりとした。
「もちろん、冗談などではない」
「正気ですか」
「至って正気だ」
どこの世界に、自分の息子に愛のない結婚を強要しあまつさえ愛人を作れと言う父親がいると言うのか。それはわたしに対する侮辱はもとより、保健医の人権を甚だしく冒涜しているに他ならない。さらには顔面蒼白になっているガマ蛙のお嬢さんに対しても、これ以上の失礼はないのではないだろうか。
女を、息子を、何だと思っているのだ、この野郎。
固く歯を食いしばるわたしを抱き寄せていた保健医の腕の力が、俄に強くなる。それがわたしを宥めるためなのか止めるためなのか、それとも彼自身の怒りを鎮めるためなのかは分からない。
「お父様も同じお考えなのですか。お母様も、納得していらっしゃるの?」
その声にはっとした。ガマ蛙令嬢の京香嬢が、色のない顔で父親を見つめている。そのあまりに真摯な眼に、ガマの脂がたらーりたらりと額に浮かんだ。どうやらこのガマは、鏡に映った己の姿よりも愛娘に弱いらしい。
「い、いや、まさか。愛人など、わたしもたった今、初めて聞いたんだぞ」
その慌てぶりから、ガマ蛙が娘を目に入れても痛くないくらいに可愛いがって来たのだろうと察する。政略結婚の道具にしようとも、その結果が娘の幸せに結びつくのだと信じて疑っていないのだ。たとえそれが身勝手な思い込みであろうとも、一方的なお仕着せであろうとも。
わたしは今初めて、京香嬢に同情した。こんな父の娘に生まれた事を。
と言うよりも、だ。体の中から次々に湧き上がって来る怒りに飲まれないように必死だったから、深く考える事もできなかったのだけれど。さっきからどうしてこうも見事に、わたしを無視して話を進めようとしているのだ、この宇宙人達は。これでもわたしは当事者なのに。たとえ頼まれて演じているだけの偽者であろうとも。
念のために言っておくが、さっきの同情で、わたしの中の京香嬢は地球人に格上げ済みだ。だから今わたしが宇宙人だと思っているのは、ごま塩親父とサイコロ叔父とガマ蛙代議士の三人のオヤジーズの事である。
「胡桃沢先生。娘が気分を害しているのでね。失礼だが、今回の話は当分の間保留にさせていただく」
おお。欲よりも娘への愛情が勝った瞬間だ。見かけはガマそっくりの宇宙人だが、人間らしい愛情を捨てていなかったと分かってほっとした。
「さ、笹川先生、お待ちください」
慌てて引き止めるごま塩宇宙人には頓着せず、ご令嬢を促してガマ蛙がさっさと部屋を後にした。これで残った宙人は、ごま塩とサイコロだけになった。
「この、ばか者が!」
しばらく放心していた宇宙人、ぎんっと横目で息子を睨みつけた。しかし息子である保健医はそんなものは痛くも痒くもないようで、冷ややかな視線はそのままである。
「大事な席に、こんな女を連れて来おって!」
「もとはと言えば、まったくその気もない僕に縁談を無理強いしようとしたあなたが発端なんですよ、お父さん」
「う。そ、それはそうだが、わたしにも都合と言うものがある」
都合ねえ。あるんでしょうね、とても大事な大人の都合が。
怒りのピークを超え、次第に頭が冷えて来た。そうなると、表面上は静かな保健医に対して、ごま塩親父の憤怒の表情が滑稽に見えて来る。あまり怒ると血圧が上がって体に悪いわよと、余計なお世話的な事を考え、先程までのわたしも人の事は言えなかった事に気付いて苦笑しそうになった。あまりにも場にそぐわないので、堪えたけれど。
「親の勝手な都合を子供に押し付けるのは、感心しませんねえ」
不意に背後から聞こえた新たな声に、思わず振り向きそうになり、保健医に抱きしめられたままだと言う事に気がついた。これでは自由に動けないではないか。いまだ保健医が腕の力を緩めようとしていないとか演技にしたって良い加減離せよこの野郎とか思うのだが、とりあえず今は目の前の状況を確認する方が先決だと判断した。その代わり後で思い切りとっちめてやろうとこっそりと心に決める。
自由にならない首を回して必死に背後を顧みたわたしは、そこにいる人の顔を確認して、唖然とせずにはいられなかった。
「り、理事長?」
ガマ蛙の笹川衆議院議員父子が立ち去った時に開け放たれたままだった、襖のむこう側。そこには、つい一週間ほど前に将星学園の校長室で会ったばかりの理事長が、穏やかな笑顔を浮かべた婦人を従えて、やはり笑顔で立っていた。