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いけ好かない奴――多分、第一印象は最悪だった

「ごめんなさい。ちょっと、訊ねたい事があるんだけど、いい?」

 わたしが声を掛けると、高校生らしき三人の女の子達は、にっこりと微笑んで頷いてくれる。今時の女子高生とは言え、メイクは濃くはないし、スカートも極端には短くない。まずまずの優等生ぶりが窺えるその外見に、なかなかの好印象を受けた。

「あなた達、将星学園って知っているかしら」

「知っていますよ。って言うか、わたし達将星に通っていますから」

 そりゃあそうだろう。実は制服を確認して声を掛けたのだから。

「じゃあ、数学の高橋恭平って名前の先生がいると思うんだけど」

「え。お姉さん、高橋先生とどういう関係なんですか?」

「まさか、彼女とかじゃないですよね?」

 高橋恭平の名前を出した途端、それと分かるくらいに女の子達の顔色が変わり、表情が固くなる。どうやら相変わらずもてているらしい事を知り、何となく複雑な気分になった。

「まさか。わたしの理想はもっと高いわよ」

 誰が好き好んで、あんな奴の彼女になどなるものか。顔が良くて成績が良くて、外面も完璧。そんないけ好かない厭味な奴なのに。もっともそれを知っているのは、ごく一部の人間だけに限られているが。

 ああ、でもわたしの可愛い可愛い妹の真奈美は、もうすぐ彼女どころか恭平の奥さんなんてものになってしまうのだ。嫌な事を思い出し、気分が悪くなる。そのわたしの顔を見て、少女達がほっとしたように緊張を緩めた。

「えー、でも高橋先生、かっこいいですよ」

「お姉さんくらい綺麗な人だと、理想が高くなっちゃうのかもしれませんけど、ね」

「独身の女の先生なんて、あからさまに若い先生狙いなんですよ。高橋先生もだけど、他にも何人かの若い男の先生達、結構迷惑してるっぽいし」

「でも先生達、全然相手にしていないから」

「うんうん。もういっそ気持ちいいくらいの笑顔でスルーしちゃってるよね」

 その時の光景を思い浮かべながら話しているのだろう。少女達はわたしが訊ねたい事を、勝手に話し出してくれている。しかもどうやら途中からは完全に彼女達の主観が入り混じり、口調も次第に砕けて来ていた。


 あいつが昔から、やたら滅多ら女にもてていた事を思い出す。にもかかわらず涼しい顔をしてそれら全てを跳ね除けていたものだから、たまたま隣に住んでいる幼馴染だからと言う理由でわたしと付き合っているのだと勘違いされたり、男色の気があるのではないかと言うとんでもなく馬鹿馬鹿しい噂まで立てられたほどだった。

 まあ、当時のあいつは既にわたしの妹にべた惚れで、他の女の子なんて眼中にあるわけもなかったのだけれど。

「先生としてはどうなの? 授業とか」

「授業は、まあまあ? それなりに分かりやすいよね」

「分からない所は、休み時間とか放課後聞きに行けば教えてくれるし」

「でも数学の教務室にいる事が多いから、あそこまでは押しかけて行きにくいかな」

 ふむふむ。教師としては、まずまずと言ったところか。

 わたしはいくつかの質問をし、彼女達はその都度三人で盛り上がりながらきちんと応えてくれた。いい子達だ。

「どうもありがとう。引き止めてごめんなさいね」

 にっこりと微笑むと、少女達はなぜか頬を赤らめて「いいえ」と笑顔を返してくれた。

 自慢じゃないけれど、わたしは美人の部類に入る。自分を磨く術も身に付けているし、自分を引き立てるための化粧の仕方など、日夜研究しているのだから当然だ。そんなわたしだから、微笑みの威力は異性相手に遺憾なく発揮されて来た。しかしまさかこんな少女達にまで通用してしまうとは思ってもおらず、正直新しい発見に驚いた。


 少女達の後ろ姿を見送りながら、わたしは大仰に溜息を吐く。

 実は少し前に、同じ将星学園に通っているであろう男子生徒にも声を掛けてみたのだ。同性から見ても、高橋恭平という男が教師としてそれなりに優秀で、生徒からも好かれているらしい事が伝わって来た。

 ある程度予想していた事とは言え、相変わらずの完璧っぷりに不満を隠せない。これではあいつの素行を理由に結婚に反対すると言う、当初の目的を果たせないどころか、恭平が優良物件である事を認めざるを得なくなってしまうではないか。

「あーあ」

 もう一度大きな溜息を吐いたわたしは、思わず天を仰いだ。

 本当は、最初から分かってはいたのだ。もう何年も前から、あいつの目には妹しか入っていない事など。少々強引な手を使ってまでも、妹を手に入れるべく外堀を固めていた事など。

 それでも認めたくなかったのは、あいつが高橋恭平だからこそなのだが。けれど悔しい事に、認めてしまっているわたしもいる。あいつにならば。あいつだからこそ、妹を任せてもいいのだと。

 ただ素直に認めるのが悔しいだけで、それは単なるわたしの感傷にすぎないのだと言う事も。全て分かっていたのだ。




「うちの生徒に声を掛けて回っている怪しい女、と言うのは貴方でしょうか?」

 突然背後から掛けられた声に、思わずびくりと肩が跳ねた。ゆっくりと振り返ると、そこにはなぜか、白衣を身に纏った長身の男が一人。ポケットに両手を突っ込んだまま、にこやかな笑顔で立っていた。

「学園にご用でしょうか。それとも職員か生徒に?」

 あくまでも、笑顔は崩さない。穏やかな口調の中に、不思議と威圧感を感じるのは気のせいだろうか。

「あなたは?」

「人の名を尋ねる時は、まず自分から名乗るべきだと思いますが」

 確かに一理ある。あるのだが、こんな胡散臭い奴に名乗っていいものかどうか逡巡する。

 そう。どうしてだか抵抗を感じるのは、胡散臭いからなのだ。もしかしたら科学教師か何かかもしれないが、一歩間違えばマッドサイエンティスト。そう言われても納得できる気がする。


「名乗る名など持ち合わせておりません」

 なんだか、時代劇の怪しい浪人と役人のようなやり取りになって来たような気がする。

「そうですか。それでは仕方がありませんね」

 男はそう言って徐に取り出した携帯電話で、どこかに電話を掛け始めた。

「どこにかけているのよ」

「当然、警察に」

 警察と聞いて、瞬時に両親の顔が頭に浮かんだ。警察沙汰になったりしたら、親に迷惑がかかってしまう。とっくに成人した大人が親不孝をするなど、わたしの常識ではとんでもない事だった。

 そしてはた、と気がついた。わたしは別に、警察に知られて困るような事をしていたわけではないのだ。近々義理の弟になる高橋恭平と言う名の幼馴染の勤務態度を、人を使わずに自分で聞いて回っていただけに過ぎないのだ。

 しかしここでわたしはまた気付いてしまった。恭平と妹の結婚は、世間ではあまり大っぴらに公言できるものではない事に。なにしろ妹は十五歳の現役高校生。対する恭平は現役高校教師。下手をすれば恭平は、淫行罪の疑いをかけられかねない。そうでなくとも教師と生徒。いわゆる禁断の愛ではないか。

 そこまで一気に考えたわたしの口から飛び出した言葉は。

「ここで働きたいなーと、思っているんだけど!」

 どう考えても恭平を探していた事への説明にはなりっこない事を口走り、自分の迂闊さを呪いたくなった。人目さえなければ、蹲って頭を抱えているところだ。


 案の定、目の前の白衣の男も、あからさまに怪訝そうな顔をしている。眼鏡越しの目がすっと細められ、なぜだか背筋がぞっとした。まあ、携帯電話ののボタンを押す手が止まったからよしとしよう。

「働く? 来年度の教職員の求人はとっくに締め切られていますよ」

「あ、そうよね。うん。いやあ、私公立図書館で司書をしているんだけど、そこら辺の地方自治体なんかよりもここの図書室の方が、よっぽど書架が充実しているって聞いたものだから! でも募集していないんだったら、仕方がないわよね。残念だわ」

 適当にはぐらかして逃げようと思い、咄嗟に口に出た言葉だったのだが。

「司書の資格を持っているんですか」

 予想外に、白衣の男が反応を示して来た。

「こう見えても、司書が天職だと自負しているのよ」

 そう。これでもわたしは、子供の頃から本が好きだったのだ。純文学は眠くなるからあまり読まなかったけれど、興味を持ったものは片っ端から読み漁ったものだった。短大では司書資格過程を選択して、卒業と同時に司書の資格を取り、さらには公務員試験にも合格したのだ。そうして狭き門といわれる念願の司書の職に就く事ができ、土日出勤もなんのその、毎日がとても充実しているのだ。

 地方公務員だから給料はたかが知れているのだけれど、ほとんどの週末が出勤だから遊び歩く機会もあまりなく、無駄遣いさえしなければ、ちゃんと貯金もできる。もちろん少ないながらも、家にもお金を入れてもいる。

 ちなみに将星学園の図書室の書架が充実していると言うのは事実で、その辺りはさすが私立の名門校。生徒が必要とすれば、海外からでも取り寄せをし、ライトノベルや雑誌や専門書に至るまで、かなりお金を掛けているらしい。毎年度予算が厳しくてなかなか思うような補充ができないでいる公立図書館などよりも、よほど恵まれていると言えよう。

「確か、司書の加島かじまさんが、急に結婚退職する事になっていたような」

 一瞬遠い目をして考え込むような仕草をした男の呟きを、わたしの耳は逃す事なく拾っていた。

「本当にっ?」

 思わず抱きつかんばかりの勢いで、男に詰め寄った。もし本当ならば、奇跡のような話だ。司書としてのわたしの欲求と姉としてのわたしの欲求が、一気に満たされるであろうその好条件、逃す手はないではないか。

「ええ。間違いはないと思います」

 そうと分かれば、グズグズしてはいられない。確か少し向こうにコンビニがあったはず。あそこで履歴書を買って来なくては。写真は幸い、先月パスポートの更新手続きの時に撮った残りが、財布に入ったままだったはず。


 思い立ったが吉日とばかりに回れ右をしたわたしは、けれど一歩を踏み出す事ができなかった。

「どさくさに紛れて逃げようなんて、甘い考えは困りますよ」

 まるで猫にするかのようにわたしの首根っこを掴みながら、あくまでも穏やかな笑顔を崩さない白衣の男。ああ、もう。鬱陶しい。

「逃げないわよ。履歴書を買いに行くだけ」

「そんな言葉を、信用できると思いますか」

「信用しないのはあなたの勝手。疑うのなら、そこのコンビニまで着いて来れば良いでしょう」

 恐らく通常業務は、夕方五時頃までだろう。それまでには履歴書を整えて提出しなければならない。

「では、そうしましょうか」

 首を掴まれていた手が離れ、ほっとしたのも束の間。今度は右の二の腕を掴まれる。意外に大きなその手は、軽く振ったところで外れそうにはない。

「履歴書を出した後、高橋先生の事を聞き回っていた事の説明をしていただきますから」

 それまでは逃がさないと言外に告げる男の目は、その穏やかな表情にもかかわらず、少しも笑ってなどいなかった。




 一歩間違えばマッドサイエンティストにも見えない事はないその男が、実は将星学園の保健医だと知ったのは、無事購入して来た履歴書を書くために医務室の机を借りたからだった。

 いわゆる保健室の先生なのだが、どうやらこの男は医師の国家資格を持った、本物の医者らしい。どこまでも剛毅と言うか太っ腹な学園なのだと、変な意味で感心してしまう。

「かなり遠くから来られたんですね」

 個人情報保護法なんて何のその。男はわたしが履歴書に書き込むのを、横からじっと覗き込んでいる。一応抗議してみたのだが、携帯電話をちらつかされ、渋々受け入れざるを得なかったのだ。

「今度知り合いがここに通う事になるから、その下見に来たのよ」

「来年度の新入生ですか」

「じゃなくて、もうすぐ編入試験を受ける事になってるの」

「ああ、確か、高橋真奈美さんでしたか」

 まだ編入が決まってもいないにもかかわらず、真奈美の名前がすらすらと口から出て来た事で、わたしは思わず履歴書から顔を上げた。

「脚に軽い障害があるとかで、連絡が来ているんです。ああ、それで高橋先生の事を嗅ぎ回っていたんですか」

「まあ、そう言う事です。って、え?」

 脚の事はともかくとして、どうして一介の保健医が、真奈美の編入に恭平が関わっている事まで知っているのだろう。

「人脈と言うものをご存知ですか」

 つまりは学園が緘口令を敷いてさらには一部の教職員にしか知らせていないはずの情報を、この男はどこからか仕入れられるようなルートを持っていると言う事らしい。それこそ保健医の職務と権限を逸脱した行為ではないのか。

 けれど男は相変わらずの微笑を浮かべ、そしてその目はまるでそれ以上首を突っ込むなと言わんばかりの剣呑さを含んでいた。


 この男、黙っていれば微笑が似合う優男なのに。もっともわたしは面食いではないと言うかむしろ顔のいい男は嫌いなので、この顔には何の感慨も受けはしないのだけれど。

「あなたって、本当に保健医なの?」

「本当ですよ。だからここに入れたんじゃありませんか」

 胡散臭さ全開の笑顔で言われたってなんの説得力もありはしないのだが、わたしの目の前で揺れている銀色の鍵は、先程この医務室の扉を開くために使われたばかりの物だった。

「それで」

 鍵を事務机の抽斗に戻し、軽く両腕を組みながら、男はわたしを見下ろして小首を傾げる。

「あなたは、高橋真奈美さんとどういう関係なんですか」

 そう。結婚式を来月に控えているとは言え、編入手続きや結婚後の氏姓の変更手続きなどの簡素化のため、既に恭平と真奈美は結婚しているものとして学園に届けられている。そのためこの男が受け取った編入生に関する情報では、庄司ではなく高橋真奈美になっているのだ。

 本来ならばわたしの名前を見た段階で真奈美と姉妹だと気付くのだろうが、さすがにそこまでの情報は伝わって来ていないらしい。

 何と応えたものかと思案していたが、気が付くと時間は既に四時半を過ぎている。のんびりしている暇はない。わたしは写真を貼り付け、履歴書を三つ折にして封筒に入れた。

「その話は後でいいんでしょう? とりあえずこれを事務局に出して来るわ」

「事務局がどこにあるのか、ご存知なんですか」

 将星学園なんて、見たのも来たのも初めてのわたしが、校内の構造を把握しているわけがない。

 思わずぶすっと口を尖らせたわたしに、目の前の怪しい保健医が、口角を上げてくすりと鼻で笑いやがった。そんな事も知らないのにどこに行くつもりなのだ、と口に出された方がまだましだ。

「わたしがご案内しましょう」

 仕方がないから連れて行ってやる。ありがたく思え。そう聞こえるのは、わたしの耳がおかしいのだろうか。慇懃無礼と言う言葉がこんなに似合う人間を見たのは、生まれて初めてかもしれない。

「お願いします」

 不承不承頷いたわたしが抱いた、この男に対する印象は。

 最悪。

 そのひと言に尽きたのだった。

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