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非の打ち所のない男――普通じゃない家庭の事情

 何だかんだとバタバタしている内に、飛ぶように日が過ぎて。何だかあっと言う間に、妹の結婚式の日を迎えてしまった。折しも二月十四日のバレンタインデー。今日は真奈美の十六歳の誕生日でもある。

 十六歳の頃のわたしって何をしていただろうか。五月生まれだから、高校に入ってすぐに十六になった。結婚のけの字さえも意識した事などなく、友達と遊んだりバイトをしたり、多忙だけれど楽しい日々を過ごしていたように思う。そんな、まだまだ遊んだり馬鹿やったりできる年なのに、妹は人妻になるのだ。もったいない。つくづくもったいない。相手があの恭平だと思うと、さらにもったいなさが募る。

「おねえちゃん?」

 恭平とその両親が六年ぶりに挨拶に来た日。あの日以来、やれ転校だ何だとろくに事情も知らされずに振り回されていた真奈美は、今朝になるまでその理由を知らされていなかった。まったく、恭平だけではなく両家の両親打ち揃って人が悪いったらない。わたしでさえも緘口令が敷かれてしまい、なにも教えてやる事ができなかったのだけれど、実際の所ここ最近は自分の事だけで手一杯だった。


 今朝になって、今日が恭平との挙式なのだと知らされて放心状態になった妹は、信じられないとばかりに大声を上げていたけれど、さすがにここまで来ればこれが嘘でも冗談でもない事を理解しているようだ。

 純白のウェディングドレスを身に纏い、可憐なまでの愛らしさを見せる妹が、花嫁の控え室に置かれた椅子に腰掛けたまま、わたしの顔を覗き込んで来た。

 真奈美は昨日まで学校があったから、早朝から父が運転する車で自宅を出て、数時間かけて式場となるホテルに到着した。大っぴらにするわけにはいかないために式は身内だけで済ませ、披露宴はなしと決まっている。けれど、できれば華々しく、盛大に送り出してやりたかった。

 なのにこの謙虚な妹は

「おにいちゃんと結婚できるだけでも夢みたいだよ」

などと健気な事を、笑顔で言ってのけるのだ。

 ああ、ほんっとうに、可愛い。このまま食べちゃいたいくらいに可愛い。

「今からでも遅くないわ、まな。結婚なんてやめちゃいなさい」

 妹の両肩に手を置き、真っ直ぐに目を見つめて言った。

「何度も言うけど、いくらおねえちゃんの言葉でも、それだけは聞けないよ」

 けれど真奈美は、幸せそうな笑顔を浮かべて首を小さく振る。


 六年間ただひたすらに待ち続けた真奈美。その真奈美を六年間想い続けた恭平。幼い頃から真奈美が恭平を慕っていた事も、恭平が誰よりも真奈美を大事にしていた事も、わたしはもちろん両親も知っている。そして実の所、恭平は非の打ち所がない男なのだと言う事も。

 だいたい、成績優秀で品行が悪くはなくて、一通りのスポーツも卒なくこなせて性格も悪くないと来れば、文句の付け様がないではないか。更には就職を真奈美本意で決めてしまったなどど聞かされては、馬鹿だと思いこそすれ非難するわけにはいかない。

 見も知らない他の男に取られるくらいなら、身元も気心も知れている恭平の方が遥かにましだと言う程度の基準だが、仕方がないから認めてやったのだ。


「まーったく、幸せそうな顔しちゃって」

「えへへ」

 薄くメイクされた頬をつついてやると、蕩けそうなほどの笑顔になる。

「幸せになりなさいよ。もしも恭平が何か馬鹿な事をしたら、すぐにわたしが飛んで行くからね」

「うん。幸せに、なるよ」

 可愛いばかりだった真奈美が、初めて見せる艶やかで美しい笑顔。この子にこんな顔をさせられるのは、世界広しと言えども恭平だけなのだろう。

 わたしでは、真奈美を幸せにはできない。そんな事は、昔から分かっていた。

 だから、幸せに。誰よりも、幸せに。

 今はもうただ祈る事しかできないけれど、これが姉としてたった一人の愛しい妹のためにできる、最上で唯一の事だった。




「はい、おねえちゃん」

「へ。ああ、ありがと。って、いいの?」

 目の前に差し出された純白の胡蝶蘭の生花でできたブーケを、しげしげと眺める。

「うん。次はおねえちゃんが幸せになる番だよ」

 不覚にも目頭が熱くなる。ああ、本当にいい子なんだから。

「分かっているでしょうね、恭平。まなを泣かせたりしたら、わたしが許さないわよ」

 凄みをきかせてみるが、涙が滲んだ状態ではどうにも迫力に欠けているだろう。それが証拠に、恭平はちらりとわたしの顔を見た後、何事もなかったかのようにわたしの父に話しかけていやがる。

 こんな男で本当にいいの、真奈美。と言いたい所だけれど、わたしが何を言ったって、真奈美は恭平を選ぶのだ。それはもう物心付く前からずっとそうだったのだから、疑う余地もない。三つ子の魂に刻み込まれた想いは、周囲が何を言ったって変わる事はないらしい。


 両親や親戚達に囲まれている二人から少し離れ、わたしはブーケを手にぼんやりと窓の外に目をやる。街全体が灰色に染まり、まさに真冬なんだと実感せずにはいられない。一ヵ月半後にはわたしも、この街で暮らす事になるのだ。住む家がまだ決まっていないと言うのは、この際考えない事にする。なんとなく感傷的になってしまうのは、目の前のくすんだ街並みのせいだろうか。

「庄司さん、少しよろしいですか」

 不意に声をかけられて振り向けば、そこには礼服を身に纏った将星学園の理事長が立っていた。恭平の職場代表として式に列席していた理事長は、にこやかな笑みを顔面に貼り付けている。その表情が誰かを髣髴とさせ、なんとなく不機嫌になってしまった。

「あ、はい」

 しかしそれを顔に出すほど、わたしも子供ではない。咄嗟に営業スマイルを見せられる程度には、社会経験があるのだ。

「そうしてドレスアップしてブーケを持っていると、あなたが花嫁のようですね」

「え。いえ、そんな事は」

 今日のわたしの装いは、一応新婦の姉だと言う事で、ノースリーブのプレーンなデザインのロングドレスだ。派手になりすぎないように艶を抑えた生地で、色はワインレッド。昼の式だしホテルの中とは言え教会式だから、肩からはさらに同系色のショールをかけている。見ようによっては、お色直しのカラードレス姿の花嫁に見えない事もないかもしれないが、先日の事もあり、理事長に言われるとシャレにならない気がする。

「ありがとうございました」

「は?」

 いきなり礼を言われても、わけが分からない。

「あれの我侭に付き合っていただいて、申し訳なく思っているんです」

 あれ、が保健医を指しているのであろう事は容易に想像できた。

「な、何をおっしゃっているんですか」

「大丈夫です。政高から事情は聞いています」

 にこやかな微笑みを崩さないまま、理事長は窓の外に視線を向けた。

「あれがあなたに無理をお願いしたのには、実はわけがありましてね。あなたに話さないのは理不尽だと、籐子が言い張るのですよ」

「はい?」

「と言うわけで、この後お時間をいただけませんかな」

 何が「と言うわけ」なんだか、わけが分からない。さすがは妖怪ぬらりひょんの祖父だ。ちなみにぬらりひょんとは、言わずと知れた保健医の事である。ぬらぬらと掴みどころがないと言う意味で、ぴったりのネーミングだと思っている。

 孫が孫なら祖父も祖父。どうしてこう、肝心要な話の本筋に触れないで、事を進めうとするのだろうか。ある意味これは、一種の才能かもしれない。

 けれど妹の結婚式が終ってしまった今、今後のわたしの予定などあるはずもない。なにしろ電車でも片道三時間の距離を戻らなくてはならないのだ。幸い二日続けて休みを取っているのだが、こちらでうろうろするのは得策とは思えなくて、何の予定も約束も入れてはいなかった。もちろん、こちらに宿泊する予定もない。

「分かりました。着替えてきますので、お待ちいただけますか」

「もちろんです。わたしもこのまま出かけるわけにもいきませんしね」

 そんなこんなで、父はともかく母には保健医と会う事になったと伝えてから、理事長に連れられてホテルを後にした。




 目の前に広がる光景に、ぽかんと開いた口が塞がらない。

 理事長に連れて来られた場所は、風格漂う年代ものの洋館で、遥か後方に消えた門の横に設えられていた表札から察するに、理事長の自宅なのだろうと思えた。何しろ門を潜ってから、車でさらに五分間。敷地の中を進んでようやく辿り着いたのが、この洋館だったのだ。

 こんな町の真ん中で、これだけの広大な敷地に建てられた豪奢な洋館。まるでテレビドラマの世界に足を踏み込んでしまったようだ。

 導かれるままに洋館の中に入ってみれば、扉の左右に、使用人と思しき人達が整列していた。その身に纏う濃紺ワンピースに純白のレースふりふりエプロンは、今時流行のメイド服。年若いメイドさんなら「萌え~!」と叫ぶ馬鹿な男もいるのだろうが、彼女達の平均年齢はどう見ても、保健医よりも上である。

 さらには黒のスーツをきちんと着こなして白い手袋をはめている初老の紳士なんてものまでいたりするのだから、徹底していると言っても差し障りはなかろう。

 何ですか、これは。一体いつの時代のどこの世界のお話ですか。思わずそう尋ねたくなるような、なんとも隔世的な光景だった。


 そしてさらに促されて入った応接用と思しき部屋。そこに見えた人影に、わたしは驚きとも呆れともつかない、なんとも複雑な思いを抱く事になる。

「いらっしゃいませ、穂之香さん。先日は失礼いたしました」

 わたしでは真似さえもできそうにない見事なまでの優雅な身のこなしで、保健医の母であり理事長の娘でもある籐子さんが、わたしにゆっくりと頭を下げてくださったのだ。

 思わず恐縮してしまったわたしの目に飛び込んで来たのは、記憶に新しい二つの顔と、またもや見知らぬ新しい顔が二つ。見知った方の一人は、胡散臭さ爆発の将星学園の学校医。そしてそのそばには、先日素晴らしくも立派な料亭旅館で顔を合わせた、保健医の縁談のお相手である笹川京香嬢がいる。

 下手な三文芝居に付き合ってまで断った縁談だったはずなのに、一体全体これはどうした事か。でも籐子さんと京香嬢は面識があると聞いていたから、用があるのは保健医ではなく籐子さんなのかもしれない。

「こちらは見城志津子けんじょう しづこさんと子息の広孝さん。広孝さんは政高の弟ですから、将来あなたの義弟になるかもしれませんわね」

 見城志津子さんに控えめな笑顔で会釈され、わたしもつられて頭を下げる。広孝さんとやらが親しげに右手を差し出して来たので、一瞬躊躇いながらもそれを握り返した。

 保健医の弟と言う事は、即ちこの二人は、保健医の父の愛人さんとその息子なのだろう。しかしなぜ正妻の実家に、愛人とその息子がいるのだろうか。確かに、仲が良いとは聞いていた。まさかと思いつつも、世の中にはそんな人達もいるのかもしれないと思った。しかしそれを実際に目の前で見せ付けられてしまうに至り、理解不能に陥るのも無理はないと思うのだ。


「どうぞ、お掛けになって」

「あ、はい」

 勧められたソファに腰を下ろすと、ふんわりとした座面に体が飲み込まれそうになる。必然的に膝が少し上に上がってしまい、不安定な姿勢になるのは避けられない。なんとか体勢を立て直すべく密かに悪戦苦闘していると、すぐそばに人の気配を感じた。見上げるとそこには保健医がいて、まるで当然のような顔をしてわたしの隣に腰を下ろした。保健医の体重が加わったお陰でいくらか不安定さが解消されたものの、今度は触れ合わんばかりの距離に、わたしの体が硬くなる。

 隣からほのかに漂うコロンの香りに、先日の事を思い出して頭がくらくらしそうになった。猿芝居の最中、けっこう長い間保健医に抱きしめられていたために、わたしの服に移ってしまった物と同じ香り。その残り香りに気付いたのは、自宅に帰り着いて母に指摘されたからなのだけれど、その時の母の意外そうで嬉しそうな顔を思い出すにつけ、気が重くなる。


 理事長が腰を下ろすのを待っていたかのように、メイドさん(と呼ぶにはやや抵抗があるが、他に呼び方を知らないのでとりあえずメイドさんでいく)達が全員にお茶を配り、すぐに部屋を出て行ってしまった。残された豪華な面々の中、わたし一人が明らかに浮いた存在である事を自覚する。先日の宇宙人的な上流の方々とはまた違った雰囲気ではあるのだが、わたしと異質な事に変わりはないのだ。

「まず、わたしからお礼を言わせていただきます。穂之香さん、先日はありがとうございました」

 丁寧に頭を下げるのは、兄とはあまり似ていない、見るからに人の良さそうな弟さんだ。ごま塩親父とも似ているとは言い難いその顔立ちは、なるほど母である志津子さん似だろう。兄弟揃って親父に似なくて良かったねえ、と素直に感じた。

 礼を言われる理由が分からず、わたしはきょとんとして弟君を見つめる事しかできない。

「兄とこちらの京香さんとの縁談を破談にするためにお力添えをいただいた、と伺っているのですが」

 ああ、なるほどその事か。ようやく合点がいった。保健医から聞いていた情報が、頭の中に蘇る。

「いいえ、わたしは何も。政高さんとただあの場所にいただけですから」

 本当に何もしていないのだ、わたしは。あの場所に行って、宇宙人との第一種接近遭遇を体験しただけで。あれはあれで、できればもう二度と経験したくないくらいに強烈な出来事ではあったけれど。

「あの狸達と同席されただけでも、さぞかし大変だったと思います」

 狸じゃなくて宇宙人だと訂正するのも気が引けて、そうですかと微笑み返した。しかし息子に狸呼ばわりされる父ってのも、どうなんだろう。

「あれから色々ありまして、わたしと京香さんの婚約が決まったんです」

 わたしは思わず耳を疑った。保健医がダメならその弟に、って事にでもなったのだろうか。あのごま塩親父、理事長と籐子さんに責められてさぞかし反省したかと思っていたのだが、全く堪えてていなかったのだろうか。

 思わず膝の上に握った拳に、温かいものが触れて来た。なんだと思って見てみると、それは人の手で。さらに辿ってみてみると、その手は隣に座った保健医のもので、ぽんぽんと撫でるように軽く叩かれる。

 なんだか宥められた猛獣のような気分になり、思わずむっとせずにはいられなかったのだった。

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