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短編

とある研究所の日常

作者: 佐々木尽左

 研究所では様々な動植物の研究や実験をしている。科学の進歩のために存在しているわけだ。

 実験対象となる動植物は大いに活用されたあとは原則として廃棄処分されることになるが、中には例外的に放置されることもあった。今俺の目の前でうねっている菊の花もそんな植物のひとつである。

「よう、そのシミはおめぇのオネショかい?」

「コーヒーをこぼしたんだよ」

 白い綿パンのチャックの周辺に見事なシミができたので、慌てて所内の洗濯機で洗ったのだ。乾燥機は化学物質を入れたままの白衣を洗ったバカのせいで使用禁止中である。

「においはまだ残ってるぜ。ちゃんと洗ったのかよ?」

「まじか」

 物干し場の竿に干そうとしたところで俺は手を止めた。

 この菊の花は目は見えないかわりに臭いや音で周囲の物を判断する。だから人間よりも臭いには敏感なのだ。そいつがまだ臭うと言うことは、充分に洗いきれていないということになる。

「おめぇのションベンの臭いよりかはましだけどな」

 洗濯かごに入れ直そうとしたところで俺は固まる。こいつ、俺をからかってやがるな!

「そんなナメたこという奴には、もうビールはやらん」

「ちょっ?! おいおい待ってくれよ。暇だったから相手をしてほしかっただけなんだって! 悪かったよ!」

 再びズボンを物干し竿に掛け始めた俺に対して、菊の花は延々と弁明と謝罪を繰り返す。いつも思うんだが、どうして花のくせにこんなにおしゃべりなんだろうか。いや、話せるようにしたのは実験に必要だったからというのは知っているが。

「あーもーわかった。後で持ってきてやるって」

「マジか、やったぜ!」

 菊の花は嬉しそうに身をくねらせる。

 くねらせ方で嬉しそうかどうかわかるなんて、俺もどうかしているよな。


 ようやく仕事から解放されたときには、既に日は完全に没していた。俺は所内にある二十四時間営業のコンビニで缶ビールを二本買うと、物干し場へと向かった。

「よう、買ってきたぞ」

「マジか!」

 昼も夜も関係なく元気な菊の花は、ビールが飲めるとわかって大はしゃぎだ。

 俺は缶ビールのひとつを取り出すと、開けて菊の花の根元に注いでやった。

「くぅ、キクねぇ!」

 思わず苦笑してしまう。別に洒落を言っているわけではないんだが、どうして反応してしまうのだ。

「そんなにうまいか?」

「ああ! これのために生きてるって思えるくらいにはな!」

 無邪気に言葉を返してくる菊の花の横で、俺も缶ビールを開けて一度呷った。最近人気があると聞いたのでうまいのかなと思ったのだが、どうも微妙に俺には合わないようだ。それでも仕事の後の一杯なのだから悪くない気分である。

「はぁ、今日も一日が終わったなぁ」

「なんだよ、シケた言葉だなぁ。もっと明るくいこうぜ」

「仕事に疲れた労働者ってのは、こういうもんなんだよ」

「そんなに歳もくってねぇくせに、えらそうなことを言ってんじゃねぇよ。もっと若者らしくいかなきゃな!」

「生まれて二年程度のお前に言われたくないぞ」

 どこから声を出しているのかという以上に、どうしてこんなによくしゃべるのかという方が不思議だ。

 その後はとりとめもない話をビールを飲みきるまで続けた。

 なんだかんだと言って、実はこの所内で一番話をしているのはこの菊の花とかもしれない。


 翌日、夕方頃になって干していたズボンを取りに物干し場へと向かった。

 日当たりの良い場所なので乾きも良い。手に取るとすっかり乾いていた。

 さて戻ろうかと出入り口に体を向けたとき、何か足りないと首をかしげる。干していたのはズボンだけなので忘れ物はないはずなのだが。

「あれ、あいつは?」

 ようやく思い出した。あの菊の花がいない。いつも居た場所を見ると、床に真新しい丸い植木鉢の跡がひとつあった。

「こんなところにいたのか」

 嫌な予感と共に振り向くと同僚が立っていた。この時間、この場所で会うことなんて今までなかった。

「俺を探していたのか?」

「いや別にそいうわけじゃないんだけどね。これを戻しに来たんだ」

 同僚は両手に持っていた植木鉢を少し前に出してくる。

 ああ、これは……

「それに植わってた植物は?」

「処分したよ。最近規制が厳しくなってきてね。放置してあるやつは全部片付けろって命じられたんだ」

 そんなお達しを真に受けて、律儀に行動している研究者なんて滅多にいない。けど、こいつは真面目な奴だったことを思い出した。

 空の植木鉢を物干し場の片隅に置くと、同僚は再度こちらへと振り向く。

「ああ、忘れるところだった。あの菊の花からの伝言があったんだ。『ビールうまかった』だとさ」

 俺にそう伝えると、同僚はさっさと物干し場から立ち去った。

 ビールとは、昨日飲ませてやったビールのことなのだろう。注いでやる度に喜んでいたもんな。

 いつかはこうなるとは思ってた。ずっと置いておくわけにもいかないから。

 ただ、別れが唐突にやってくるとは思わなかった。自分で処分するなんて考えもしなかったくせに。

 だから同僚が処分してくれたのは、ある意味良かったのかもしれない。事前に話をしてくれていたらもっと良かったが。

「とりあえず、今日もビールを買ってくるか」

 昨日と同じように二本。

 背伸びをひとつしてから仕事場に戻るべく、俺は物干し場を後にした。

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