第三話
ハイリオン、十二時三十分発海上線西回り。
エンドランド海上鉄道の本社を兼ねる駅は、恐らく近隣諸国でも有数の広さ。
混雑のピークは過ぎたはずなのに、構内は未だ人で賑わっていた。
実際は開かない飾り窓に、死角の少ない広い通路。
目立たない社員用の通用口は、ご丁寧にロックがかかっている。
赤い腕章をつけた牽制要員が良く構内をふらふらしているが、時間の関係なのか姿は見えない。
が、いつ見ても拍手を送りたい警戒ぶり。
でも列車を交渉の場として利用されてちゃ、どうしようもないよね。
『海竜』なんかが使う不正乗車の手段は実に巧妙だから、仕方ないけれど。
照明で照らされた階段を延々上がると、視界は更に開ける。
ホームで待っていたのは、鉄道関係者が「ルビー」と呼ぶ列車だ。
光沢のある紅の車両は、利用者にも人気だとか。
比較的初期の古風な内装も、なかなか雰囲気がある。
「じゃ、先に席行っててね」
乗ってすぐリウに手を振ると、彼は小さく頷いて一般客車に向かった。
柔らかい声で車内アナウンスがあり、ぎしりと車体が揺れる。
それが規則正しい振動に変わるまで待って、トルカはのんびりと歩き出す。
乗降口の大きめの窓から、ちらりと外を見た。
ハイリオンの島影は遠く、車窓は一面青。
冴え冴えとした秋晴れの青から、砂潮の白みがかった水色へ。
その色の狭間を、銀色の鳥が飛んで行く。
これが、エンドランドの海だ。
「さて、と」
まだ静かな一等客車の廊下で、トルカは左耳をそっと擦った。
交渉人たちが乗ってくるのはカナルタだが、仕掛けは手早くが基本だ。
ちらと客室番号を確認して、膝を折った。
一等客室の扉は、木製の引き戸。
トルカは耳から外したイヤリングの片方を、その戸袋に押し込む。
ルビーみたいな少し古い車両は、こういう隙があって良い。
扉を開けた時に当たらないよう、少し位置を調節して。
うん、ばっちり。
「お客様」
声をかけられて、ぱっと顔を上げた。
数歩先から、女性の乗務員が近付いてくる。
トルカは髪を押さえて、ちょっと困った顔を作った。
「どうかされましたか?」
責めるような口調ではない。
凛とした顔立ちの女性はリウより少し年上だろうか。
心配そうに、トルカの顔を覗き込んだ。
「あ、すみません。その、イヤリングを片方、落としてしまって……」
トルカはゆっくりと立ち上がって、左耳に手をやって俯く。
彼女はすぐに足元を見て、「お探しします」と膝をついた。
柔らかそうな茶色の髪をきりと一つに結んだ彼女は、とても真面目そうだ。
探されちゃ、困っちゃうんだけどなぁ。
良いんです、とトルカは彼女を立たせた。
「海上鉄道に乗るのは初めてで、あちこち見て回ってしまって。ここでイヤリングがないことに気付いて……。だから、どこで落としたか、わからないんです」
「そうでしたか。乗務員が拾ったらすぐにお届けします。一等客車のお客様ですか?」
「いえっ、その……、席は一般客車なんです。すみません、こんなところまで……」
しゅんと頭を垂れると、彼女は優しく微笑んだ。
「いいえ、大丈夫ですよ。イヤリングはその、白い花飾りのものですか?」
トルカは右耳に残った片方を指先で触れて、「はい」と答える。
「とてもお似合いです」
年下の女の子を相手にしている安心感からか、彼女は少し砕けた口調で言った。
励ますように、更に言葉を続ける。
「海上鉄道の落とし物係もありますし、もし今見つからなくても諦めずお問い合わせ下さいね」
「ありがとう、ございます。声をかけてくれたのがお姉さんで、良かった。怒られちゃうかと思いました」
ぺこりと頭を下げると、彼女は「怒ったりしませんよ」と笑った。
雰囲気の良い人だ。
ホント、ごめんね。
「すみません。そろそろ、戻らなきゃ。あの、本当にありがとうございました」
「いえ、海上鉄道の旅、どうか楽しんで下さいね」
乗務員の鏡だなぁ。
トルカは一等客車を出て、一度振り返った。
車両を区切る扉が閉まる瞬間、彼女が足元を気にしつつ先頭車両へ歩いていくのが見えた。
良かった。
さすがに見つかりはしないだろうけれど、入念に探しているところに交渉人たちが来たら非常に困る。
まあ、とにかく、仕掛けは済んだ。
トルカは安堵の息を吐く代わりに、微笑む。
賑わう売店と食堂車を抜けて、リウの待つ一般客車に向かった。