第零話
この人はほんと、翼でもあるんじゃないかな。
十四歳の誕生日に母から貰ったのは、灰色のワンピースだった。
仕立ての良いそれは海風の強いハイリオンの街中でも安心して着られるように、少し厚めの生地で作られていた。
年中薄暗い船倉区のアジトで、記念日にお決まりの丸いケーキを切り分けてから、にこにこした母からそれを受け取った。
「早いなー。あんな小さかったトルちゃんが、もう十四歳かぁ」
海上抗争に参加したとは思えないほど華奢でのんびりやの母は、トルカと同じ色の髪をふわりと肩に流して、夢見るように言った。
その隣で、ウィエルドが無言でケーキを頬張る。
ほら、そんなにがっついてー、とたしなめる母は、一応『銀翼』の団長代理だった。
最盛期は百いたという団員の殆どが、海上抗争後エンドランドを去った。
ただそれは他の海賊と違い、至極平和な別れだったと言う。
肝心の団長が船を捨ててすぐ、「それじゃあ今度は空飛ぶ船でも探すわ」と意味不明なことを言い出して旅に出たと言うから、自然消滅に近い。
副団長兼団長代理の母、ウィエルド、そしてトルカ。
エンドランドで『銀翼』を名乗っていたのは、ここ数年たった三人だ。
それなのに。
「それでね、トルちゃん。そろそろおかーさん、旅に出よっかなーなんて思ってて」
優雅に紅茶を飲みながら、母は唐突にそう言った。
きらきらした瞳は、宝石みたいに赤い。
それが「ちょっとした旅行」でないことは、一瞬で理解出来た。
ああ、きっと、ずっと我慢してたんだろーな。
トルカは驚きもせず、そう思った。
「ラグライン領の禁書騒動も面白そうだし、ちょっと遠いけどエドラ小海を渡っちゃうのも楽しいかなーって」
『銀翼』存続の危機なのに、ウィエルドは平然と二つ目のケーキを自分の皿に移す。
きっと前々からそれとなく聞いていたんだろう。
初耳だとしても、彼の場合「そう」と言って終わりだろうけど。
「あっちはねー、砂の海があるって話だし。ね、トルちゃん。どうする? 一緒に来る?」
そこで、「良いかな?」と聞かないところが母らしい。
トルカはケーキの上の砂糖菓子を口に運んで、「うーん」と考え込んだ。
海上がりになってからの『銀翼』は、ウィエルドの情報技術と母の情報収集能力を主軸に、海上鉄道の不正乗車の手引きと情報屋が主な仕事になっている。
別にそれに固執するわけではないけれど、ぱっと『銀翼』がなくなったら困る人がいるのは確かだ。
「エルちゃんは来ないって。振られちゃった」
母の不貞腐れた言い方に、トルカは思わず笑った。
船を失っても、海を追われても、『銀翼』は自由だ。
この人はほんと、翼でもあるんじゃないかな。
「私も、行かない。お母さんと旅をするのは楽しそうだけど、まだ、その時じゃない気がするもん」
トルカの返答に、母は寂しそうな顔をして、それからにっこり笑った。
ちゃんとメールくらい送ってよ、と付け加えると、子どもみたいに「はぁい」と答える。
「そうそう、それならトルちゃん。『銀翼』の団長代理はトルちゃんがやってね」
「えーっ」
「エルちゃんはおしゃべり得意じゃないもの。適材適所っていうでしょ?」
十四歳の誕生日に母から貰ったのは、灰色のワンピースと『銀翼』の団長代理の座。
送ってと言ったのに、旅に出た母からメールが届いたことはない。
けれど一緒に行かなかったことを後悔したことはなかった。
母も『銀翼』。
どうせどこかでにこにこしているに決まっている。
そして、トルカだって『銀翼』だ。
いつか「その時」が来たら、自分のしたいようにどこへでも行ってしまえる。
だから「海上がり」と後ろ指をさされても、なんてことはない。
好きなように、やりたいように、生きていくだけ。
誰にも文句は言わせない。
当たり前にそう決めてから、もう二年が過ぎた。