第零話
ぱちぱちと音を立てるのは、「天井」の隙間から滴り落ちる雨粒だ。
もちろんそれはじわりと石畳を湿らせる程度で、傘が必要なほどではない。
今日のトルカのように、ぶらぶらするのが船倉区だけならそもそも傘はいらないのだ。
「あーあ」
暇を持て余して外に出たのは良いが、こんな雨の日にはただでさえ薄暗い船倉区は陰気に静まり返ってしまう。
トルカは小さな紙袋を抱えたまま、「天井」を見上げる。
雨粒と一緒に落ちて来る振動は、海上鉄道のものだ。
そういえばここ数日は、その海上鉄道すらまともに見ていない。
アジトに向かうトルカは、足を止めて紙袋の口をそっと開けた。
お気に入りの飴は、頼んだ分より少し多く入っている。
そんな優しいおまけがなければ、もう一度ため息でも吐きたい気分だった。
トルカは綺麗な色の包みを一つ開いて、透き通った桃色の飴を口に含んだ。
そしてようやく歩き出す。
だって。
海上鉄道の人間であるはずのリウとはそれなりに上手くやれていたし、あの気紛れな測量士でさえ味方になってくれた。
やっと火種だって見えて来たところなのに。
「仕方ないけど」
『海竜』の運び屋が無罪放免。
その開放のため『海竜』が随分と圧力をかけたらしいと聞けば、しばらく大人しくしていた方が良いのは十分にわかっている。
何といってもあの運び屋を摘発したのはリウで、トルカだってうっかりばっちり手を貸している。
大事な時だからこそ念には念を。
『海竜』みたいな化け物と争っている余裕は、ないのだから。
入り組んだ路地を抜けて、狭い階段を駆け上がった。
すぐ隣の家から、微かに歌が聴こえる。
お隣さんお気に入りの、ラジオ番組だろう。
そうだ。
こんな憂鬱な日は、部屋でのんびり好きなことをするに限る。
「たーだいまっ」
ひょいと扉脇の郵便受けから配達物を浚って、トルカはアジトの中に声をかけた。
返事はない。
テーブルに紙袋と幾つかの配達物を置いて、トルカはウィエルドの作業場を覗き込む。
階段のすぐ下。
電源だけは落とされた端末の前で、彼は背中を丸めて眠っていた。
「……ベッドで寝ればいーのに」
スイッチが切れるみたいに唐突に寝てしまうのは、彼の癖だ。
トルカは床を這うコードを避けてウィエルドに近付くと、その背中にブランケットをかけた。
気持ち良さそうに眠る彼は、起きる気配もない。
規則正しく上下する背中は、やっぱり大型の動物を思わせた。
何というか、緊張感もなくて平和だ。
二度目の海上抗争の危機なんて、本当に嘘みたいだ。
トルカはテーブルに置いた紙袋を取りに戻って、ふと配達物を指先で広げた。
メールが主流となった昨今、それでも時折『銀翼』宛に手紙が来ることもある。
一応チェックは欠かせない。
「?」
地区のお知らせや良く知らないお店のチラシに混ざった、一枚の葉書。
随分良い紙使ってるな、なんて思いながらトルカはその葉書を手に取った。




