第六話
いつだったか列車の窓から見たハイリオンの港は、倉庫が立ち並ぶ整然とした印象だった。
海上抗争の後に一部再開発されたというから、歴史のある街の中でも比較的新しい地区と言えるだろう。
だがハイリオンの中心地より遠いそこは、海運や漁業関係者でもなければそうそう足を運ばない。
リウもそうだ。
だから、静かそうなところだなと漠然と思っていた。
が、凄いことになっている。
「ね、ほら、リウ。あそこ、ティーカップのセット可愛いよ」
恐らく同意は求めていないのだろう。
少し前を跳ねるように歩くトルカは、振り返りもせずに言った。
ココア色の髪が、動きに合わせてふわふわと揺れる。
「あ、古着屋さんも出てる!」
「……見るのは構わないけど、はぐれるのはやめてね」
それくらいの人出だった。
倉庫の前から埠頭の先まで、雑貨から家具、食べ物の屋台が出ている。
それを目当てにお年寄りから家族連れ、若い男女もぞろぞろと集まっているようだ。
お祭りというか、ちょっとした市場。
「思ってたのと、随分違うな」
海上がりじゃない人たちも参加するというのは、本当らしい。
店を覗くにも、別に海上がりかと訊かれるわけでもない。
リウは少し肩の力を抜いた。
あちこちではためいている小さな海賊旗に目を瞑れば、ただの買い物だ。
「…………測量士、か」
トルカが言っていたように、測量士と呼ばれる人物に会って協力を取り付けるのが今回のお仕事らしい。
アスティから直接聞いたわけではないが、相手が情報通ならば十中八九そんなところだろう。
リウは、目を輝かせて店をチェックするトルカを静かに窺った。
アスティが『銀翼』の情報収集の場にリウを送り込むのは、その情報の正確さを確かめ、同時に裏切りを牽制するためだろう。
黙って差し出された情報を鵜呑みにするほど、あの人は甘くない。
だとしたら、更に踏み込んで協力者を求めるのはどういう意図があるのだろうか。
『銀翼』を伝手に、測量士と繋がりを作っとこうなんて
トルカは確かにそう言った。
この半年で、『銀翼』を伝手に出来ると確信しただけなら良い。
けれど肝心の鉄道乗っ取り云々という噂に関して全く進展のない現状に、メインの情報屋を替えようという意図があってもおかしくはない。
無論、貴重な協力者を切ったりはしないだろうが、その場合リウがこれからくっついていくのは彼女ではなく測量士になるということだろうか。
それは、ちょっとどうなんだろう。
ふって湧いた感情に、リウは戸惑う。
追い打ちをかけるように、トルカが唐突に振り返った。
ぎくりとする。
陽射しの当たり具合だろう。
彼女の瞳はほとんど赤く見えた。
「ねえ、さっきのお詫びの甘いもの。ここでも有効?」
「……え? ああ、うん。別に構わないけど」
「やった! じゃ、帰りになんか食べて帰ろーね」
なんて呑気な。
気が抜けて、多分変な表情になったのだろう。
トルカはひょいとリウの隣に並んだ。
「大丈夫だよ。測量士は完全な傍観者だって言ったでしょ? ちょっとからかわれたりはするかもしれないけど、リウが噛みついたりしない限り、どうこうされちゃったりしないって」
そうか、確かに今はそういう心配をするべきだった。
慰めるように、トルカが背中を軽く叩く。
「どこまで通用するかわからないけど、リウなら平気じゃないかな」
「そうかな。何も知らないのに?」
肩を竦めて言い返すと、トルカは「だからだよ」とあっさり頷く。
「何も知らないリウって、面白いもん」
「それは全然褒めてない」
ふっと賑わいが不自然に途切れた。
微かに怒号が聴こえる。
平然としているのはきっと海上がりで、一般の客は不安そうに周囲に目をやった。
「ただのケンカだよー。良くある良くある」
トルカはそう言ってから、リウの顔をじっと見た。
「でもうっかり巻き込まれると大変だね?」
「そうだね。うっかり君が首を突っ込むと、面倒だ」
「だよねー。リウがうっかり身元バラしちゃうかもしれないしね」
心地よいテンポで言い返されて、リウは笑った。
そう結局、この距離感が嫌いじゃない。
トルカもころころと笑って、「じゃあ、早めに離脱しよ」と軽く駆け出す。
向かうのは倉庫の裏手だ。
煉瓦造りの倉庫と背中合わせ、少し影になったそこに酒場があった。
周りから浮くほど古風な、文字通り酒場。
一目で、海上抗争以前よりあるのだとわかる。
流石に港にあるだけあって木造ではないが、倉庫より古い石造りだ。
開け放たれた大きな扉の向こう。
適当に並べられたテーブルで、主に男たちが立ったまま酒を飲んでいる。
出店で見たものより大きな海賊旗が、二階のテラスでゆったりと揺れていた。
「あれ、『三つ足』の海賊旗だよ。ここはロゼの関係者が持ってた店なの。待ってて、ちょっと話通して来るから」
トルカはそう言って、空のグラスを片付ける給仕に駆け寄った。
二言三言で、相手はにっこりと笑う。
ああ、どうぞどうぞ伺ってます。
明るくそう言った給仕が、店の奥、二階に続く階段を手で示した。
強面の取次役も、柄の悪い取り巻きも、一向に出て来る気配はない。
多分アスティはわかっていたから、こんなあっさりとリウを送り込んだのだろう。
噎せ返るような酒の臭いの中、足早に階段を上がる。
そう大きくはない酒場だ。
一歩先に階段を上り切ったトルカが、すぐ目の前の扉をノックする。
普通の部屋っぽいけれど。
「こんにちはー、『銀翼』のトルカです」
遊びに来た子どもみたいな気安さで、彼女は言った。
「おう、来たな。いいぞ、入れ」
親しみを含んだ重い声が、扉の向こうから響いた。
トルカは全く躊躇いなく、扉を開ける。
測量士。
今は少なくなってしまった、本物の海賊。
リウは深く息を吐いて、トルカに続いた。