第五話
「遅い」
「……ごめん」
リウは素直に謝った。
暖かい陽射しの下、トルカはふいっとそっぽを向いた。
昼時、賑わう店内の時計は十二時を十五分過ぎている。
いや、でも君との待ち合わせの話を聞いたのは、つい二十分前なんだけど。
テラス席の真っ白いテーブルには彼女が頼んだらしい飲み物と、食べかけのパイが残っている。
リウはトルカの目の前の席に腰を下ろすと、少し考えて「甘いもの、食べる?」と訊く。
彼女はちらっとこちらを見た。
「いーです。これ、二個目だもん。甘いもの、先食べちゃったし」
「そう。それ、パイじゃないんだ」
「パイだよ。ミートパイ」
このカフェのミートパイは絶品だよ、と自慢するように言って、トルカはひょいとフォークを手にしてパイを崩した。
そのまま、大きな塊を口に運ぶ。
ぱくり、という表現が正しい。
取り繕うことない、素の食事だ。
「それじゃ、『今日も可愛いね』?」
お望み通りのご機嫌の取り方だろうに、不満らしい。
パイを飲み込んだトルカは頬杖をついて、リウの顔を覗き込む。
「……さてはリウ、全然反省してないでしょ」
「そうだね。そうかもしれない」
でも嘘は言っていない。
今日は、白いセーターにショートパンツ。
ココア色の髪は緩く一つに纏められている。
普通に、似合う。
「そういえば、これ」
リウはさっさと切り替えて、回収したイヤリングを差し出した。
トルカはぱちりと瞬いて、「どしたの、これ」と首を傾げる。
「どうしたのって、君のだよ。整備班の同期に頼んで、回収してもらった」
「頼んでないのに」
ほら、これだ。
予想通り過ぎて、いっそ笑える。
素直にお礼くらい、
「でもありがと」
ころっと笑ったトルカが手を出した。
その掌に、促されるままイヤリングを落とす。
「一回しか使ってないのになくしちゃったから、エルに、もうちょっと大事にしてって言われちゃって。戻って来て良かったー」
「……どういたしまして」
素直にお礼を言われると、調子が狂う。
トルカは下げていた小さなポシェットに、イヤリングを仕舞った。
何気なく見ていただけなのに、リウの視線にトルカは笑みを深める。
「今日は、使わないよ」
「『今日』?」
「うん、今日ってメールしたでしょ? 急だけど、測量士に直接会うなら今しかないと思うよ」
測量士に会う?
どこの何方だろう。
記憶を辿るまでもなく、知らない単語だ。
だが、送り出すアスティの言葉が耳の奥に蘇る。
船長会議。
確か、そう言っていた気がする。
「リウの上司はホント、強かだよね。『銀翼』を伝手に、測量士と繋がりを作っとこうなんて、普通考えないよ」
「……」
「リウを連れてってあげても良いとは言ったけど、向こうの返事までは期待出来ないからね? あの人、変わり者だし」
「トルカ」
「んー?」
トルカは残りのパイを口に運んで気のない返事をする。
意識はもう目の前の食べ物に向かっているようだ。
リウは額を押さえた。
「船長会議と、測量士について、詳しく」
一瞬の沈黙。
うっそぉ、とトルカが呟く。
いや、流石に放任が過ぎる。
リウは額を押さえたまま、「嘘だったら良かったんだけど」とため息を吐いた。
「今日の予定も、全く把握してない」
「なんか、さ、その……、私が言うのも何だけど、やっぱりあの人にちゃんと言った方が良いよ? 確かに今日っていうのは急に決まったけど、測量士と会いたいって話は結構前から貰ってたし」
「……そうだね」
あの人は、全く。
リウが落ち込んでいると思ったのか、トルカはそれ以上リウの無知をからかったりはしなかった。
流石に憐れまれている。
「船長会議は、海上がりの集まりのことだよ。測量士は、その主催者ってとこかな。あの人は完全な傍観者だけど、情報だけは腐るほど持ってるの。リウのとこからしたら、『協力者』として最高の相手でしょ? だから会いに行くんだよ」
なるほど、わかりやすい。
頷いてしまってから、リウは慌てて首を振った。
「海上がりの集まりで、『船長会議』?」
「そう」
「その主催者に、海上鉄道に協力してくれって頼みに行く?」
「うん、多分、そういうことだと思うよ」
それ、敵陣に乗り込むって話だ。
「測量士はね、元々『三つ足のロゼ』のとこにいたんだよ。海上抗争も経験してる、本物の元海賊ってとこかな」
「片手で海獣を捻り潰せそうな?」
「だから、そんな海上がりいないって。いくら測量士でも、片手では流石に無理だよ」
どうやら両手ではいけるらしい。
それは凄い、見たい。
「じゃなくて、流石に危険だよね?」
トルカは丸いカップを両手で持って、「何で?」と訊き返す。
船長会議、なんて言うくらいだ。
円卓を囲んだ屈強な海賊たちを思い浮かべる。
いや、どう考えても無理がある。
「大丈夫だよ。今は海上がりじゃない人たちも参加するし、お祭り、みたいな感じかな? 出店もあって賑やかなんだよ」
「……船長会議が?」
「そー」
トルカはにこにこ笑う。
恐らく、リウの勘違いを見抜いているのだろう。
「昔は、砂潮の時期にレド島に使者を出して、海賊たちが会議してたの。それが、船長会議」
大型の船が出航できない砂潮の時期は、海賊たちも休業状態。
その間に、取引や情報交換など話し合いの場が設けられていたらしい。
潰し合い寸前の海賊団が、砂潮を一区切りに和解をしたなんてこともあったそうだ。
送られる使者たちは船長代理。
だから、船長会議なのか。
「今のレド島は観光地だから海上がりには厳しいでしょ? だからハイリオンの港でやってるの。海上がり二世代目のガス抜きのために、測量士が場所を用意したんだよ」
「ガス抜き」
「『船長会議』を、『砂潮の時期』にちゃんとやってる。そういう形が大切なんだって。内容なんてあってもなくても同じだよ。二世代目で、船長会議の本来の意味を知ってる人なんて少ないし」
要は、今は名前だけで、海上がりのお祭りになっているということか。
じゃあ。
「僕が海上鉄道の人間だってバレなければ、問題ないのか」
「うん。バレちゃっても、まあ、平気だよ」
トルカは空になったカップとお皿を前に、手を合わせて「ごちそうさま」とお辞儀をした。
「リウに何かあっても、私、逃げちゃうもん」
「……それ、堂々と言うことかな?」
頼りがいのある協力者だ。
トルカは「それに」と、あっさり付け加える。
「測量士には、リウが海上鉄道の人間だって伝えてあるし」
「そうだ、ね。海上がりの情報提供者になってくれるよう頼みに行くわけだから、当たり前だけど」
何だろう、それ。
結局、結構ヤバい話だ。
これまでと違い二、三歩踏み込んだ任務に、リウは知らず息を飲んだ。
班長、これは前もって知っておきたかったのですが。
「ちょっと早いけど、行こ? 私、船長会議久しぶりなんだー。出店とか、ちょっと見たいんだよね」
トルカは瞳をキラキラさせて楽しそうに言った。