第四話
「恐らく、班長ほどではないかと」
「あら、言うようになったわね」
彼女はひらりと手招きをして、踵を返した。
リウたちの班室は、この先だ。
「もう、吃驚したのよ。アイツと話し込んでるから」
「偶然、そこで。この間のセレン先輩の件もあったので、無視出来なくて」
「そう。今度から無視してちょうだい」
なんて無茶振り。
アスティは立ち止まって、ドアノブを回す。
通り過ぎて来たものと同じ、摺りガラスの嵌め込まれた白い扉。
目印は通し番号の「B012」の小さなプレートだけ。
十一班に割り当てられた専用のオフィス、班室だ。
アスティは部屋に入ると、さっさと情報端末に向かった。
広くない一室は、鍵の壊れた資料棚と積み上げられた箱で圧迫されている。
一応要るでしょ、とばかりにデスクが二つ。
それも空いているスペースに適当に並べられているせいで、放置された物置感が半端じゃない。
ただ、アスティのデスクには辛うじてちゃんとした端末が載っている。
彼女は操作を続けながら、「受けちゃうかと思ったわ」と笑った。
「はい?」
「異動のお誘い。六班は実績ある優秀な摘発班だもの。魅力的よね」
「確かに、そうですね」
少なくともグレイという人は、説明不足のまま班員を任務に送り出すような究極放任主義の人には見えなかった。
それだけで十分魅力的だ。
「失礼なこと考えてるわね? 君」
「いえ、そんなことは」
アスティは手を止めて、振り返った。
「ホントは三か月も持たないんじゃないかと思ってたのよ。それが半年、しかも六班の班長様直々のお誘いまで蹴るなんて」
「…………」
「辞められない理由でも、見つかったのかしら?」
リウは少し考え込む。
首を捻ったところでさっきと同じだ。
まともな理由は思い浮かばない。
ただそれを素直に口に出来る程度には、アスティのことを信頼していた。
「大した理由ではないんですけど。ただ、やっと彼女とやって行けそうだと思ったばかりだったので、少し、勿体ないかと思って」
「ふぅん」
ちらりとリウを振り返って、アスティは自分の唇を指で押さえた。
浮かんだ何かの感情を隠すように。
「警戒されなければ、まずそれで良いと思っていたんだけど。予想以上の成果ね。あのお嬢さんと『やって行けそう』なんて、大物よ、君」
「思っていたより、普通の子でしたから」
『銀翼』の名を負った、年下の少女。
最初はあのペースに戸惑ったが、この班長より余程本心が見える。
アスティはリウの返答に、目を細めた。
「普通の子、ではないわね。『銀翼』は、海上抗争に参加していた立派な海賊。海上がりよ」
蔑む口調ではない。
真実を口にしただけの、軽い、声。
リウは窓のない部屋を見渡してから、「そうですね」と答えた。
「でもそれは、単なる符号です。トルカの『全部』じゃない」
「そうかしら?」
「少なくとも、背中を見せても大丈夫な相手だとは思います」
訓練場通いをしていたからわかるが、トルカという少女は正真正銘、戦闘能力は皆無。
とんでもない後方支援がいるとしても、彼女自身はその辺の女の子と何ら変わりない。
それでも彼女はあの時、兄妹を守ろうとした。
交渉の場にリウたちが踏み込んだことで、狂ったように暴れ出した男。
あの剣幕で突っ込んで来たのだろうから、相当怖かっただろう。
ちょっと話し込んだだけの子どもたちを置いて逃げてしまったとしても、誰も彼女を責められない。
それなのに。
スーちゃんに、シュウくんは?
危機が去って開口一番、自分の怪我なんて目にも入らない様子で、トルカは訊いた。
海上がりには血も涙もないなんて、一体誰が言ったんだろう。
「…………ああ、ああ、そう」
アスティは、ふっと息を吐き出して、そして声を上げて笑う。
ああ、酷い。
リウは瞬時に問答の意図を悟って、眉を寄せた。
試された。
「そうよ、喜んで。その信頼出来る協力者と、お仕事よ」
「……――え」
「前々から頼むだけ頼んではいたんだけどね。向こうも随分と態度が軟化して来てるし、君がそこまで言うなら、ちょっと大きく出てみても良いでしょう」
「……班長、いつものことですが、話が見えません」
アスティは柔らかそうな髪を肩へと流した。
しまった。
これはお決まりの「現場で聞いてちょうだい」だ。
「十二時に、いつものカフェよ」
「じゅうに……、え、十二時ですか?」
リウは慌てて端末の画面を覗き込んだ。
十二時まで、五分もない。
「だから探してたの、君を。あの腹黒オヤジに捕まらなきゃ、もうちょっと説明してあげられたんだけど」
女の子を待たせちゃ駄目よ、と彼女はリウの肩をからかうように軽く押した。
「行って来て。船長会議よ」