第一話
複雑に組まれた足場の中、深い紅の車両がしんと佇んでいる。
ルビー。
動いている時と違い、元気がなさそうに見えるのは関係者として自覚が芽生えて来た証だろうか。
金属の匂いが籠る、広大な整備場。
重そうな検査機器を抱えた整備班の男性が、足早にルビーに近寄る。
「そいつじゃねぇだろ!」
機関部から顔を出した壮年の男が叫んだ。
びりりと空気が震える。
車両の真下に潜ったまま、整備員二人も大声で何か話している。
その合間、じじじ、と硬いものが擦れるような音が断続的に響く。
整備班は結構仲が良いと聞くが、やはり現場の迫力はなかなかだ。
しかも絶賛整備中。
リウは乗って来た貨物用のエレベーターを思わず振り返る。
来ても良いと言われたが、叩き出されないだろうか。
「おー、リウ!」
聞き慣れた少しハスキーな声に、リウはぱっと頭上を仰ぐ。
足場の上の方で作業をしていた彼が、大きく手を振った。
「ジャン」
「今、そっち行くわー」
腰に下げた作業用のポシェットに工具をしまい込んで、ジャンは軽々と足場を下りて来た。
社員寮の部屋が隣だったのが、縁。
とんでもないところに配属になったリウが、唯一気軽に言葉を交わす同期だ。
彼は埃のついたオレンジ色の頭を犬のように思い切り振ってから、にかっと人好きのする笑みを浮かべた。
「探してたの、これだろ」
作業着の胸ポケットからジャンが取り出したのは、白い花飾りのイヤリング。
トルカが仕掛けた、盗聴器だ。
良かった。
回収出来た。
リウはイヤリングを受け取って、ほっと息を吐いた。
ジャンは気付かず、けらけらと笑っている。
「リウが言ってた通りさ、すっげーとこ挟まってたよ。まじ笑ったわー」
「……そっか。ありがとう、ジャン。助かった」
「いやいや、良いってー。良いんだけどさ、それ、やっぱ彼女の?」
彼女の?
にやー、と意味深に笑ったジャンに、リウは即座に首を振った。
「違う。残念ながら」
「めっちゃ言い切ったな!」
そもそも回収してほしいと頼まれたわけでもない。
ただ自慢出来ない用途で使われた品だ。
気になったから、ジャンに駄目元で頼んでみただけ。
別に良いのに。
きっとあの生意気な協力者は、そう言うに決まっている。
否定したはずなのにジャンはまだ何か言いたげだ。
無論突っつかれて出るのは惚気話ではなく、協力者に対する愚痴。
襤褸が出ると困る。
リウはジャンの背後に視線をやった。
彼はあっさりと釣られて振り返る。
「ルビー、調子悪い?」
まだ新米だが、ジャンの車両に対する入れ込みは半端ではない。
リウの一言で、彼の表情はがらりと変わった。
風邪を引いた家族を見るような、心配そうな顔。
「んー? いや、今のとこ不具合は確認出来てないんだけどさ」
ほら、停まったじゃん、とジャンは眉を寄せた。
走行中に、何らかのトラブルで緊急停止。
そう、トルカと『海竜』たちの交渉事を追っていた時の話だ。
あの時はセレンが本社に連絡をして運行を停めたのだと思っていたが、本当にトラブルだったらしい。
「ここんとこ、原因特定出来ない緊急停止が増えてて。先輩たちも、そろそろルビー引退になるんじゃないかってぴりぴりしてんだ」
「……こんな綺麗なのに? まだまだ走れそうだけど」
「だよな! でもさ、駄目になる車両って直前にそういうことがあるって話も聞くし。ルビーは良い車両だけど、メインシステムも一世代前で、結構年数来てるしさー」
ジャンは作業用のポシェットに手をやって、工具を優しく叩く。
「最後の最後まで、何事もなく走らせてやる。それが整備班の仕事だから、踏ん張りどころだよな。って、先輩の受け売りだけど」
ジャンは照れ臭そうに笑って、頭を掻いた。
リウは頷く。
ただの受け売りか、そうでないかくらいは判断がつく。
「それにさー、何かあったら俺らは整備車両で駆け付けなきゃなんないし。ほら、研修で線路下の整備通路歩かされたじゃん。まじ、落ちるーってとこ」
ちょっと格好つけたのが恥ずかしかったのか、ジャンは軽い口調で続けた。
「ああ、うん。歩いたね。凄かった。通路というか、足場?」
思い返して、リウも深く同意した。
一般には知られていないが、海上鉄道の線路の下には辛うじて歩ける程度の足場がある。
研修のため、リウを含めた数人の新人をそこに案内したのは、摘発班の先輩であるセレンだった。
ここは整備班が緊急時に使う整備通路でもあり、摘発班が万が一の時に使用する侵入経路でもあります。
彼女はすらすらと説明をしながら歩いたが、実際、高所恐怖症でなくても足が竦む高さだった。
「あそこで作業とか、どんな罰ゲームだよって。だから俺、整備場で全力出す」
「そっか。頑張れ」
「おー」
軽く拳を掲げたジャンに、声がかかる。
咎める声ではないが、ジャンは慌てて「ハイ!」と返事をした。
「わり、そろそろ行くわ」
「ごめん、仕事中に。ありがとう」
ジャンは駆け出した勢いのまま、ひょいひょいと足場を上がって行く。
あれ、結構勿体ないレベルの身体能力だ。
振り返ってひらひらと手を振った彼に応じてから、リウは貨物用のエレベーターに乗り込んだ。
手の中には、受け取ったイヤリング。
リウが『海上がり』の協力者と行動していることは、海上鉄道の中でもごく一部にしか知られていない。
ジャンがそれを知ったら、この間のセレンのように激昂するのだろうか。
あの気の良い彼が。
「ちょっと想像出来ないな」
がたがたと揺れるエレベーターの中で、リウは少しだけ笑った。