追.エンドノート
あれは、神戸の無量壽寺から帰った後。アフターフォローで東京別院に向かう時の事だった。
ご同行の方が、私に私の母を念佛宗に誘いたいといったことを話した。
日本人にとって、宗教は葬儀に直結する。
そして、故人の信仰と送る人の信仰が異なる時、そこにはトラブルが生じるであろうことが容易に想像出来る。また、「死は生の帰結」と言い、葬儀と宗教、宗教と日常生活はやはり切り離せない。
だからこそ、「家族」で「家」の信仰の形を考える必要があり、だからこそ親子で違う信仰を持つということは避けるべきなのだ。
けれど、その時私は既に、念佛宗と袂を分かつことを決断しており、あくまでもご同行の方への義理を果たす為だけにアフターフォローを受けるつもりだった。また、そうでなくとも念佛宗に誘われた時、従前の宗派を否定したり改宗を迫るものではないという話だったのに、恰も私が念佛宗に改宗したかのように語られたのが不快だった、というのもあり、「母は母なりに考えがあるようだから」と、その時は言葉を濁した。
その一方で。実は、似たような言葉を私(正確には私の母)が、別の人物から受けていたことも、思い出したのであった。
私の母には、実家がない。
これは生まれた家がない、という意味ではなく、生家とは既に生き方を異にする為、その家の墓に入る資格がない、と考えていたのである。
私には、父はいない。
血縁上の父親は数年前に他界しているが、それ以前の話として、「男子がその背を追う先達としての父親」がいない、というべきかもしれない。
だからこそ、母は幾人かの仕事上の知り合いに、私の父親代わり(つまり人生の目標となる先達としての『男』)となってくれるようにお願いしていた。その一人が今回の『ご同行の方』であり、また別の人が、臨済宗妙心寺派の布教僧をしている住職だった。
母は、その住職に出会い、その人柄に惚れ込み、だから自分が、そしてのちに私が入る「墓」として、その住職の寺を菩提寺とすることを願い出た。
しかし、住職は即断しなかった。条件を付けたのだ。
「墓に入る人間は好きなことを言える。しかし、それを守るのは後に残された人間だ。だから、墓守となる者が是と言わないのであれば、その申し出を受ける訳にはいかない」。つまり、私が墓守となることを受け入れ、母の生前から檀家の一人として寺の行事に参集し、それを苦に思わないのであれば住職の守る寺の檀家となることを認める、というのであった。
こう聞くと、どこの大寺か、と思われるかもしれないが、実は檀家からの布施だけでは住職一家の生活を保障することも出来ない地方の末寺であり、住職が布教僧として生活の糧を得られる身だからこそ住職足り得るという寺なのである。だがだからこそ、「カネさえ払えば墓くらい幾らでも売ってやる」とか、「大口の布施を出せるのならどんな我が儘でも聞いてやる」とかという都会の大寺とは一線を画した、字義通りの仏教の理想を追求出来たのかもしれない。
けれど結果として、私もその住職に惚れ込み、新春と盆の寺の行事のみならず、年末の住職がボランティアを兼ねて檀家との交流の為に行っている達磨売りや、盆の棚経(住職が檀家各家を回り、その仏壇で経を唱える行事)の手伝い(運転手)なども喜んで行うようになったことから、無事我が家の菩提寺はその住職の寺となったのである。
閑話休題。
そんな事情だったから、万一私が念佛宗に改宗することがあるのなら、確かに私の母、或いは(残念ながら私はぼっちですが連れ合いなり子なりがいたのなら)家族もまた念佛宗に帰依した方が、「家として」安定した祭事が出来ることになったであろう。
既に完結した筈のこのエッセイに、追記をしたいと思った理由は、時期を同じくして二つのことがあったからである。
一つは、ある方からのメッセージ。
その方は、婚家の義父母が念佛宗の信徒で、その方を無量壽寺に誘うのだそうだ。
旦那様は「ご自身の信仰を大事にして良い」と言ってくださっているそうだが、それでもやはり、愛し合って結婚した連れ合いの実家の信仰が自身にとって受け入れることの難しいモノだった場合、やはり色々思うところがあったようだった。
もう一つは。
実は、先日。私を念佛宗に誘った「ご同行の方」が、お亡くなりになった。
その方は、神戸の無量壽寺から帰る新幹線の中でも、「自分が死んだとき東京別院に連絡がいくようになっている」と語っていた。ご自身が念佛宗の信徒として葬送してもらえるように、ご家族の方とも話がついている、と言っていた。
私は、既に念佛宗とは縁を切った身だが、しかしその方の送り出しに際しては、やはり念佛宗の様式ですべきだろうと、(まだ捨てていなかった)念佛宗の勤行集を持って、葬儀場に向かった。
けれど。
その方の葬送の導師は、真言宗の住職様だった。
多分。喪主である奥方様の菩提寺が真言宗だったのだろう。そして世間体を考えると、得体の知れない新興宗教の様式で送り出された場合、列席者が故人のことをどう思うか、と考えると、それが正しかったのではないか、とも思われる。
しかし、その方の副葬品にも、念佛宗の様式のものは一切入っていなかった(無量壽寺で「ヨシ」の一声を貰った人は、副葬品となるものをその時点で渡され、すぐ無量壽寺で保管されることになる。つまり私のものもある)。
ご同行の方のエンドノートには、自身の没後の連絡先として、念佛宗無量壽寺の電話番号が記されていた筈である(本人がそう言っていたのだから間違いない)。もし連絡されていたら、葬儀は真言宗のモノであったとしても、副葬品のひとつとしてそれが棺に納められていない筈がない。
それさえ無かった。
エンドノートは、遺言状とは違い法的拘束力はない。
けれど、そこにあるのは間違いなく、故人の想いである。
そう考えた時。
あの方はご自身の信仰に関し、「家族の理解がある」と仰っていたが、果たして本当にそうだったのかという疑問が生じてしまう。
少なくとも、あの方の奥さまやお子様がたに、念佛宗の信者となった人はいなかったことは事実なのだから。
信仰は、家に根付く。
なら、新たな信仰に帰依するのであれば、少なくとも自分が目を瞑る時、それを見送ってくれる人がその信仰に基づいて墓を守ってくれる、その確約が無ければするべきではないのではなかろうか。
(2,604文字:2017/04/12初稿)