始動3
時は深夜。闇の住人どもが騒ぎ出す頃。
そんな時にカルノは目を覚ました。勿論、目覚ましなんて物は必要ない。上司に訓練された戦闘講義は睡眠すらも制御する。
辺りは暗闇、部屋の隅では静かな寝息を立てるシーラが眠っている。無論、声はかけない。起床を知られたら、金魚のフンのようについてくる事が明白だったから。
「・・・・・」
スプリングのいかれたソファーから音を立てないように身を起こす。そして確認。
ポケットには財布と例の手帳、それに煙草が一ケース。肺機能が落ちるため常煙の趣味は無かったが時折口元が淋しくもなる。もっとも、これも上司の悪癖による賜物だったが。
身体にかかったタオルケットを引き剥がし、両足を動かして床に足をつく。後は立ち上がるだけだ。
そうしてカルノは音を立てることなく歩き出す。目指すのは玄関だ。ノブに手をかけると、その感触は冷たい。
「ふっ」
声と言葉に意味はない。ただ、そのまま手首を捻る。やはり音は無かった。
音も無く扉は開きカルノは外に出る。視界の先には闇が広がっていた。とはいえ、訓練されたカルノの視界は必要最低限に周囲の状況を告げてくれる。
『襲撃者・訪問者の形跡は無し、出かけても問題はない』
そう判断して歩き出す。無論、鍵をかけることも忘れない。
「・・・厄介な事に巻き込まれたな」
なんでこんな事をしているのだろう。何の利益も、利害の一致も無い。なのに自分は歩いている。
そう自嘲しながら煙草を咥えて火を灯す。
『・・・苦い』
その一言に尽きる。
なんで上司が好んだのか理解できない。しかし、習慣づいた事まで消すことは出来ない。まずいと分かる酒をあおり苦い煙草をふかす。
意味が無い。無駄に消費しているだけだ。なのに、なぜ続けるのだろう。まあ、理由がわかっているなら続けていない。
・・・ちなみに、目指しているのは一軒の酒場だ。煙草一本吸っている間につくような近場。
現に目の前にある。
大きく息を吸って、カルノはその扉に手をかけた。
チリリンと安っぽい鈴の音が響く。
「いらっしゃい」
威勢も愛想も無い口調に苦笑する。
なんでこんな店が賑わっているのだろう? 苦笑しながらも答えはわかっていた。
『有益だからだ』
意味のない闘争は意味が無い。意味のない殺人は意味が無い。その意味を与えてくれるのがこの酒場だ。当然、非合法を生業とした事ばかりだが。
「ブラッティーマリー一つ」
手近なカウンターに腰かけながらそう言うと、向こうに立つ初老の男は頷いた。
ちなみに、壁に並ぶ値段表は相場よりも倍近い。なのに、この店が賑わっているのは・・・
「他に頼む物はあるかい?」
情報。それ以外に何も見出せない。
「バートン社の動き。それにある奴の情報だ」
紅のアルコールを受取ると同時に一枚の紙を代わりに渡す。
「良いだろう。明日の夕方には届ける」
分かったと頷いてグラスで舌先を濡らす。
「・・・・・」
上司の好きだったカクテルだが、ウォッカとトマトジュースを混ぜたそれは、ひたすらあくが強い。カルノの好みではなかった。しかし、それでも注文してしまうのは慣例以外の何者でもない。
「しっかし、兄さんも賞金稼ぎの真似事をするのかい。世の中廃れたもんだねぇ」
「文句はバートン社に言え。知ったことじゃない」
初老ぶとりの腹に悩むバーテンの言葉にカルノは不機嫌を装って応じた。
「神様なんていない。いたとしたら、嗜虐趣味のろくでもない奴等だけだろう」
そう。それだけの事だ。
「ありがとさん」
という店主の声を受けながら、鈴付きの扉が音を立てて閉じられる。
「・・・・・」
時は丑の刻、不吉とされる闇の頃。その闇の中を闇の衣装で身を包み、銀糸の髪を揺らしながらカルノは歩く。
「少し飲みすぎた……か?」
そう言いながらも思考も身体の反応もしっかりしている。有事の際は問題なく動ける事を確認した。
現在、彼が歩を進めているのはシーラの眠る自宅ではなく、本来彼女が眠る筈の『彼女の家』である。
「・・・・・」
ソフトケースからジョーカーを取り出し火を灯す。ジッポライターの灯りが周囲の景色をわずかに照らし出した。
何もかもが焼け落ち、すすまみれになった『サバート』の看板がやけに物悲しい。
「あいつが見たら卒倒しそうだな」
微苦笑と紫煙を吐き出し、カルノは大きく辺りを見回した。当然の事だが人気はない。
「おい」
なのに、彼は声を上げた。誰かに呼びかけるように。そして、カルノの言葉に答えるように、正面のサバートから一つの影が現れる。
「バートン社 軍事部門所属 課長補佐ウィリアム・ハーキンスだったな」
「戻ってくると思っていたぞ」
カルノの言葉を無視する形で、そのウィリアム・ハーキンスは進み出た。
「待ってもらった所に悪いんだが、あんたの期待に応えられそうにない」
「強気でいられるのも今の内だ。今回はシーラ・ディファインスをこちらに渡して貰うぞ」
血走った目に震える手足。明らかに正気と狂気の境界線を綱渡りしているようにも見える。ようは、エレメンターとしての歪んだプライドがそうさせているのかもしれない。
そんな彼の背後から数人の武装兵士が現れ、黒光りする銃口をカルノへと向けた。音もなく、動きにも無駄がない。相当な手練れであることは間違いない。バートンを敵に回すというのはそういうことだ。
「だが、まだまだ足りない」
「ん?」
ウィリアムの怪訝そうな声。四つの銃口に狙われながらも平然としているカルノは、吸いきった煙草を地面に落としてブーツの踵で踏みにじる。
「そんなことよりも、なぜ、あの小娘を狙うのか答えろ。バートン社が女一人拉致するのにエレメントの使用はやりすぎだ」
「自分の立場がわかっていないのか? 我々がその気になれば・・・」
「お前等じゃ無理だ。隊長ほどじゃないが、俺もそれなりに自信がある方でね」
「?」
「気にするな。話しを聞く奴は一人だけでも生き残っていればいい」
言い終えると同時にカルノは跳ねた。その眼前で炎の柱が迸る。
「性懲りもなく別のエレメントを持ち出したのか。それに、前と同じで扱いが甘い」
すでにエレメントとやらの装備が終わっていたのだろう。前触れもなく襲った炎はエレメントによるものだ。真っ赤な閃光は一瞬にして辺りを照らし視界を奪う。
そう、ウィリアム達側の。
「くっ、撃て!」
ウィリアムの連れ立った武装兵士は灰色の野戦服に身を包み、夜間戦闘用に暗視ゴーグルを装備しているのだが、その暗視ゴーグルが災いした。光量調節装置のお陰で目が潰れるような事態を避けられたものの、一瞬視界が純白に染まるのは避けられない。カルノは、その隙を見逃さない。
咄嗟に火線から身を隠し、コートの懐に手を伸ばす。その手が目的の物を取り出し、手の平を広げると、そこにはカプセル状錠剤二錠と真紅の結晶体がのせられていた。何よりも透明で、何よりも純粋な無機物としての美しさ。しかし、それは同時になによりも危険な破壊力を秘めた禁呪の宝石。美しさに比例した危険は使い方によって諸刃の刃となりえる。それでも、逆に言うならば扱いこなしさえすれば、これほど使い勝手のいい兵器もない。
だが、カルノが手にとったのはカプセルの方だった。その二錠を口に運び嚥下する。喉が音を立てて上下した。当然のことだが味はない。だが、その行為がなにをもたらすのかだけは知っている。
これから起こるのは圧倒的な破壊。
(どこだ、あいつはどこに行った!)
そこまで離れていないにもかかわらず、彼等の声はやけに遠くから感じられ、そうと思いきや真近で叫ばれているような錯覚に陥る。
アルコールとは比較にならない酩酊感。視界はグニャリと輪郭を失い壁に背を預けているのに宙へ投げ出されたように平衡感覚を失う。
エレメンターたちの間では「変質」と呼ばれる現象。通常や常識では知覚できない因子と檻を認識するための準備期間。その「変質」が終了した時、カルノの常識と反射神経は人を超える。
それを可能とするのは、科学という現代の錬金術によって作りだされるケミカルドラッグの背徳的な力。その背徳的な力が自らの力を吐き出すことのできる檻を認識する。
カルノの檻が持つ制御圏は半径5メートル以下。その中だけなら自分の理想を実現できる。・・・ただし、破壊の力という意味だけだが。
「・・・さっさと静まれ」
変質は今も続いている。グチャグチャの視界の中で、ウィリアム達がカルノの姿に気付き、銃口を向けようとしているのが背中越しに(・・・・・)見える。
小さく舌打ち。変質が終わっていない。無粋な奴等だ。だが、ほんの少しだけ遅かったようだ。意識が急速に覚醒していく………
見える見える見える! 何もかもが変質していく。色も、姿も、形も! 何もかもが意識下に再構築されていく。
白と黒だけに染まっていく視界。引き延ばされていく時間。トランス状態の思考だけが加速、加速、加速!
必要なのはイエスかノー。イエスが黒でノーが白。ならば俺は黒で染めよう。理不尽な理由で人の未来を奪う奴等を黒く染めよう。
そして、俺は右手のエレメントを強く・・・強く握りこむ。真紅の結晶の鋭さが手の平を裂いて血と混ざる。どちらも紅、真紅の輝き。鉄錆色の、闘争の色。
さあ、復讐を始めよう。
残酷でしかない世の中に鉄槌を下そう。
無能者にもかかわらずエレメントを与えられ、自分よりも恵まれた豚を灰に変えよう!
何より、弱い者いじめしか出来ないような世界を破壊しよう!
シーラ・ディファインスの朝は早い。朝の仕込みがあるからだ。シチュー用の肉を、煮込み素材となる物達を調達に行かなければならないのだから。昨日は肉類が二割高だった。業者の都合で畜産類の出荷がいつも以上に少なかったからだ。
当然業者の出荷が少なければ少ない豚肉牛肉は取り合いになる。まあ、鶏肉を含めて物価は上昇した。
そして、シーラの店のような弱肉定食店は危機に陥る事になる。常連の買い付け業者達と違い、すれていないシーラは、その分だけ早く起きて対応する。市場の開く前からシャッターの前で待ち、それが開くと同時に満面の笑みを浮かべて取り引き開始。
それが彼女の日常であり、一日の始まりでもある。というわけで、薄闇に包まれた部屋の中で彼女のまぶたがゆっくりと開く。
「・・・・・」としばらく寝惚け眼のまま固まっていた。
思考がまとまっていないのだろう、目元をごしごし擦りながら次第にはっきりとしていく思考の中でポツリと呟く。
「・・・知らない天井だ」
そろそろ買出しの準備をしなければ大変な事になる。なのに、自分は知らない天井を見上げどこにいるのかも認識していない。
そして、考えるのが苦手だったシーラは、
「あと・・五分」
・・・・・・と寝返りを打って瞳を閉じる。そして、正確に五分経過してから、
「っじゃなぁぁーーい!」
包まっていた毛布と布団を跳ね飛ばし、シーラは勢いよく身を起こした。そこで、初めてまともな思考が開始する。たいして性能の良くない頭脳が目を閉じるまで起こった出来事をおぼろげながらも再現していく。その中で一番焼きついた人の姿は、
「カルノっ!」
彼は助けてくれた。たいして親しくもなかったのに危険を顧みず助けてくれたのだ。仏頂面に苦笑と不機嫌を浮かべて、それでも守ってくれた。
「・・・嬉しかったな」
口元に小さな笑みが浮ぶ。
小さな笑みと小さな喜びに見合う危険かどうか比べるまでもなかったが、ほんの微かな幸福にシーラは酔った。だが、そこで気付くその幸福を与えてくれたであろう人物の姿がなかったことに。
「いないのカルノ?」
ろくに視界が利かないとはいえ、カルノが寝床として選んだソファーの上に彼の姿がないことはわかった。
疑問が生まれる。
「どこいったんだろ?」
テーブルの上にも空のコップが置かれるだけでメモがきなどが残されている様子もない。
シーラは彼の行きそうなところを思い浮かべようとし、即座に諦めた。
自分とカルノはそこまで親しい仲でもないし、低速度での回転を得意とする頭脳では思いつくはずも無い。
「もしかして警察に・・・」
そこまで言いかけて、彼女は口を閉じた。
そんな訳が無い。そうだったのならば最初から助けようとするはずも無い。つまり、出かけるにはそれなりの理由がある。
「買い物?」
一人ながらも首を振った。
小さな窓からのぞく外の様子は早朝の空気が滲んでいる。こんな時間に買い物などありえない。
考えるのを諦めたはずなのに、思考が止まらなかった。しかし、彼が女性の家の扉に手をかけたところで、彼女の思考はショートした。
そんな時の事だった。頭からぷすぷすと音と煙を上げている彼女の反対側で、出入り口の扉が開いた。
「っ!」
関節の限界を無視して首だけ振り向かせる少女に、家に入ろうとした人物は微かに後ずさったようだ。
「お、起きてたのか」
珍しく震えた声で、銀髪の青年は戸を閉めベットの前まで近づいていく。それに合わせてシーラの首の角度も人のレベルに近づいていく。それが向かい合う形になったところで、彼は安堵の息をついた。まあ、シーラがカルノの心情に気付くことはないが。
シーラの方といえば、反対の意味でドキドキと胸が高鳴っていた。徐々に縮まる二人の距離。それがたった一歩の距離にまできた時、シーラは反射的に顔を上げていた。
「・・・・・」
いつも通りの冷たい表情。何を考えているのか想像もつかない。だが、彼もれっきとした男性なのだ。可憐な少女である自分と一緒にいて、強引なマネに出るとも限らない。
こんな時、なんというべきか?
『アタシは安くないわよ』とか『あたしを乗りこなせる?』など、過激なセリフから控えめな言葉などが彼女の脳裏に浮上する。が、
「どうした? 顔が赤いぞ」
とカルノが不意に彼女の顔を覗き込む。いつの間にやら俯いていたらしい。しかし、そんな事よりもなによりも、二人の顔が触れ合わんばかりに接近していた。少し見上げるだけで二人の唇が重なり合う。
「・・・・・っ」
「熱はないみたいだな」
唇の代わりに額と額を少しだけ合わせてから、彼は小さく頷き一歩だけ離れた。そして、白い紙袋を彼女の膝に放る。
「これは?」
「服とか必要そうな物を適当に買ってきた」
『カルノがあたしに服を?』
とはいえ彼女の喜びも一瞬の事で、
「代金はもらうからな」
「(意外とちゃっかり者なのね)」
しかも、紙袋を開けて最初に出てきたのは、ホワイトとグレーのストライプパンティーだった。途端、顔に血が上り頬に焼けるような灼熱感が走る。
「なんで!」
押し殺した声と恥ずかしさの入り混じった眼差しで睨みつけると、カルノは小さく頷いた。
「下着の替えもないと不便だと思ってな。サイズが分からなかったから適当だ」
彼女の感情など歯牙にもかけず……いや、この場合は気付くことなくと言った方が正しい。を淡々と口にする。
「・・・ありがと」
こめかみ辺りを引きつらせながらシーラは立ち上がり、そこで気付く。
「カルノ、お酒飲んでる?」
彼のロングコートから微かに香るのは煙草とアルコールの香り。しかも、相当な量だと窺い知れる。
「何かあったら良いこと悪いことに構わず酒を飲め。昔の上司がそう言っていたよ」
それは果たしてどちらであろう。自分自身に問いかけて・・・止める。敵対者はバートン。答えなんて決まっている。
「って、まだ飲むの?」
テーブルの上のグラスに、茶色の液体を注ぎ込むのを見て非難じみた声を上げる。
「起こった回数だけ飲む。そう教わった」
カルノは彼女に背を向け離れる。この時、シーラは見る事が出来なかったが、彼は笑っていた。時折見かける苦笑ではなく、はっきりとした笑み。それに彼女は気付かなかった。気付けなかった。




