始動2
スケアクロウ(かかし)
日差しも届かぬどんよりとした雲、周囲を見渡せば天気のように曇った顔をした人々が歩いている。
そして、そんな彼等が歩くのは、二階建てのオフィスや洋服などを飾るショーウィンドウが立ち並んだ個性という個性の感じられない灰色の街並み。街の中心へ近づけば近づくほど、建造物の高さは増していく。そんなピラミッド型の街並みという意味で、ここ周辺はこのブロックで端に近いことを意味している。
その端に近い街並みの中を一人の青年が歩いていた。
「・・・・・」
個性の感じられない街並みの中で、ある意味彼は異質である。中途半端に伸ばされた銀糸の髪。その下に覗くのは同色の双眸と、陰気な影を宿した端整な細面。その耳元には二つのイヤーカフス。
年齢は二十代前半辺りで身長は百八十センチ弱。そして、痩身痩躯の身体を包むのは漆黒の衣装。
流行や周りに合わせようという雰囲気が一切感じられない彼の姿は、この街の中で明らかに浮いていた。周囲の人々から奇異の視線を向けられていることを知りつつ彼はそのまま歩いていく先は、どこを見ても似たような風景の中で一つだけ周囲と雰囲気を違える一軒の店舗であった。
まず、薄汚れたガラス張りの正面玄関と壁は様々なポスターや広告で埋め尽くされており、何の店なのかわからない。だが、その近くまで行くと小さな木の看板が立てかけており『定食屋サバート営業中』と描いてあることに気付く。
銀髪の青年は、その店のドアに手をかけると、ノブを捻ってドアを押す。すると、小さな鈴の音が鳴ってドアが開けられたことを店内に教えてくれる。
「いらっしゃーい!」
開いた隙間から身を滑り込ませるなり、快活な弾む調子の声が店内に響き渡った。
青年は声の主を探して視線を巡らせると、目に入ってくるのは薄汚れた作業着などを纏った大柄な男達が、合計四つしかない狭いテーブルに載せられた料理を一心不乱に口へ運んでいる姿だった。
「・・・・・」
見ての通り席は全部埋まっていた。仕方なく入り口から右手にあるカウンター席に顔を向けると、今までなかったはずの小柄な影がフライパン片手に動き回っていた。
「あっ、きたのカルノだったんだ。いらっしゃいカウンターに座って待てて」
挨拶もそこそこに、鷲づかみにした肉の塊をあらかじめ手にしていたフライパンに落とすと、肉の焼ける音と脂の弾ける香ばしい香りが店内に漂い始めた。
「・・・・・。」
カルノと呼ばれた銀髪の青年は、仕方なくカウンター席の椅子を引き寄せ腰を下ろす。
そして、備え付けられていた灰皿を手元に引き寄せ、懐にしまっていたソフトケースの紙巻煙草を取り出し口に咥える。
「カルノ身体に悪いよ」
とここで目の前に、グラス一杯に注がれたお冷が音を立てて置かれた。勢い良く跳ねた水滴が茶色の穂先を濡らして湿らせる。
「・・・肺機能が低下するほど吸ってないさ」
ジョーカーと呼ばれる茶色の紙巻煙草を名残惜しげに灰皿へと移す。そして、カウンター越しに立つ少女を恨めしげに見上げた。
「何よ、その目は?」
「・・・別に」
改めて目を伏せると、グラスを手に取り唇をチラリと濡らす。
「とりあえずなんにする?」
「日替わりランチ。それにウィスキーをダブルで」
彼の注文を聞いて小柄の彼女が眉根を寄せる。
「別にいいけど朝っぱらから酒?」
「いいだろ別に」
「はいはい、かしこまりました」
カルノは背を向けて調理の準備を始める彼女を見やりながら、ぼんやりと思う。
『彼女の名前はシーラ・ディファインス。年齢は十七から十九辺り。定食屋サバートを一人で切り盛りする天涯孤独の女』
元々は唯一の肉親であった祖父がこの店を経営していたが、昨年心臓発作とやらで急死。以来、彼の孫であったシーラが料理人兼経営者となって今にいたる。
聞いてもいないのに、彼女から直接聞かされたプロフィールを心の内で反芻。天涯孤独という意味ではカルノも同じなのだが、そのタイプはまるで違う。
『まあ、どうでもいいさ』
「はーい、おまたせ!」
新しい煙草を取り出したところで、注文していた日替わり定職のお盆がほとんど叩きつけられるようにして置かれた。そして、やはり狙い済ましたかのように飛び跳ねたコンソメスープが、煙草の根元までしっかり濡らしている。
「・・・・・」
哀れな最期を遂げた一本を灰皿に置きながら、眼下に置かれた日替わり定食に視線を移す。
軽く焦がしたロールパン二つに、フルーツソースをかけた鶏唐が三つ。野菜が嫌いと知っているのにキャベツを添えたポテトサラダ。そしていささか量を減らしたコンソメスープとウィスキーのダブル。これが今日の日替わりメニューというわけだ。
「野菜嫌いなの知ってるだろ」
「なに子供みたいな事言ってるのよ。健康のためにも野菜を食べないと」
「ガキじゃないんだから健康管理くらいできる」
ポテトサラダだけを端に追いやる彼を見て、シーラはヤレヤレと肩をすくめた。
「それより今日はどうしたの? 仕事は休み?」
ロールパンをウィスキーで流し込む姿を見ながらシーラが問う。すると、一瞬の間を置いてカルノが首を振った。
「ない、クビになったからな」
「ク、クビ?!」
思わぬ単語に彼女が目を見開きカウンター越しから身を乗り出す。間近に迫った彼女の双眸を見返しながら「ああ」どうでもよさ気に相槌を打つ。
「年度末心理試験で落とされた。資格も奪われたし、残っているのは役立たずの身分証明と退職金だけさ」
そう言って懐に手を入れ再び取り出したとき、その手に握られていたのは赤の太字で「登録抹消」と刻まれた顔写真つきのカードだった。
『カルノ・セパイド 23歳。
バートン社軍事部 特殊戦闘科。
第三級エレメンター登録者』
それは、かつての肩書きであって、今のそれではない。カルノは小さく息をついてグラスに残ったウィスキーを一息にあおる。
「あてはあるの?」
「俺は馬鹿だからな。今さら普通の生活にはなじめない」
「あたしは・・あたしはそんな事ないと思うけどな」
そう言うカルノに背を向けて、シーラが気恥ずかしそうに呟く。そして、突然何かを思いついたのか、両手を合わせて振り返り、上目遣いで問い掛けてみた。
「カ、カルノが良かったら、ここで働いてみるつもりない?」
頬がやや紅潮しているが、カルノは気付いた様子もない。ただ黙々と料理を口に運んでから、ただ一言。
「ゴメン」
「………そう」
少しは期待していたのだろう、かすかに肩を落として声から元気が消え失せる。
「俺は普通の生活になじめないからエレメンターになったんだ」
「で、でも、そのエレメンターとかいうのクビになったんでしょ?」
クビの一言に、カルノの表情が険しさを増す。まずいと思ったシーラが謝罪の言葉を言おうとした時、彼は何かを吹っ切ったように息をついた。
「そうだな。だから、どっかの用心棒かボディーガードにでもなるさ」
続いて「ご馳走様」と言ってフォークを置く。ポテトサラダは残っていた。
「代金置いとくぞ」
黒のロングコートの内ポケットから食事代を取り出し、カウンターに置いてから立ち上がって出口に向かう。
「あ、カルノちょっと待って!」
「足りなかったか?」
肩越しに振り返ると、そこにはカウンターから出た彼女がなにやら言いたそうに指先を絡めていた。
「そ、そうじゃなくて、今日は暇なの?」
「ああ、なんせクビになったからな」
ただでさえ休日という物を必要としていなかったのに、現状はするべき事が見つからない。誰かに言われたことを遂行すればいいという生活を送っていたカルノには暇という物が苦痛以外の何者でもなかった。
貧乏性・・昔の上司に言われた言葉をしみじみと実感する。
「・・・だったらさ、二人で出かけない?」
空は快晴。今まで天を覆っていた雨雲は、いつの間にやら姿を消して、晴れ晴れとした青空が広がっている。
「………まだか?」
光に包まれた街の中で、漆黒の衣装で身を固めた青年が疲れたように声を漏らす。いや、実際疲れているのだろう。精神的に。
現在カルノは、シーラと出かけるため着替え中の彼女を待っていた。料金はいらないからと言って追い出された大男達は哀れだが、カルノ自身が追い出したわけではない。なのにも関わらず、出て行く際に殺気立った眼差しでカルノが睨まれた。なんとなく世の中の不条理を感じる。
「・・・・・」
しかし、よく考えたらシーラと出かけるのは初めての事だ。何度か誘われた事もあったがそれらは今まで全て断っていた。理由は、暇が嫌いではあるが、誰かと関わって一日を過ごすくらいなら一人で部屋にこもっていた方が幾分かマシな気がしたからだ。
だが、今日応じたのは、やるべき事を見失い、半ば自暴自棄になっていたからかもしれない。それ以外に理由らしい理由は見つからなかった。食事のためとはいえ一年近くの付き合いがある彼女でもその程度だ。
そんな思いにふけっていれば、ようやくサバートのドアが勢いよく開かれ小柄な影が飛び出してきた。
「お待たせ!」
「待たされた」
相手に対する思いやりも何もない一言に、シーラは小さく肩をすくめる。
「女性の準備には時間がかかるものなの」
目の前に現れたのは、普段見たことのない彼女の姿だった。ゴム紐で縛るだけだった長い黒髪は上でまとめてバレッタで止めてある。
大きな瞳が特徴的で、まだ幼さの残る顔立ちは美人というより可愛らしいという表現が似合う。くるくると変わる表情が、その感想を後押ししていた。
白のワイシャツを腕捲りし黒のネクタイを下げている。そして、チェックのミニスカートをはいた容姿は、愛らしく活発な印象を与えた。
いつも見ていたはずの、見たことのない少女はその場でくるりと回転し、大して高くもない胸を張って見せる。
「どう、あたしだって年頃の女の子なのよ。このばでぃ~に驚いた?」
「行くぞ」
身を翻し、一人歩き始める銀髪の青年。
「シカトっスか?」
一人残された少女。その前を冷たい風が吹いて過ぎる。道のりはまだまだ遠いようだ。いろんな意味で。
「何を買うかと思ったら、俺に服なんて必要ない」
商店街からの帰り道、山ほどの荷物を抱えたカルノが疲れた様子の声を漏らす。
「だって、カルノいつも同じ服着てるじゃない」
「同じ服を着ているわけじゃない。同じデザインの服を持っているだけだ」
半ば強引に連れて行かれた洋服屋で、カルノはシーラの見立てた服を断固として着ようとはしなかった。彼女がどう? と言って用意するのは、決まって雑誌で紹介されているようなデザインと色使いの服ばかりだ。そして、それらをカルノは受け付けられない。こだわりらしいこだわりのないカルノにとって、色というのが唯一のこだわりだった。
「でも、カルノは元がいいんだから、もっと着飾ったりすればいいのに」
「自分の容姿に興味はない」
そして、今抱えているのは必要なのか? と思えるほど購入されたシーラの衣服と、夜の仕込みのための食材達だ。
ちなみの現在の時刻は正午を回ったばかり。そして、出かけた時の時刻は午前九時になるかならないか。女の買い物は時間がかかる。そんな事実を初めて実感した。正直、付き合わなければ良かったと後悔もしている。
「だけど楽しかったでしょ?」
「全然」
とは、流石のカルノも言えなかった。昔、とある女性と出かけた事があったが、そう言ったら冗談抜きで殺されかけた。だから「それなりにな」と無難な返事を返す。だが、カルノにとっては最大限の譲歩にも、シーラは不服そうに頬を膨らませた。まあ、当然の事だが。
「そういえば今日はこれからどうするの?」
やはり何かを期待する響きを持っていたが、カルノに気付いた様子もやはりなかった。だから、彼はただ一言。
「帰る」
「・・・そう」
シーラの店まで後数メートル。荷物を置けば自分の役目は終了だ。そう思いながら彼女の店の玄関に差し掛かり歩みを止める。
「・・・・・」
浮かない表情をしたシーラ。しかし、彼女には悪いが、今後同じように出かけるなど二度とゴメンだった。やはり、カルノは日常という物に馴染めないらしい。彼女と出かけている間、それらは苦痛でしかなかった。
世間の常識や流行、それらはカルノにとって馴染みがないどころか場違いな話しだ。会話の代わりに拳を振るい、銃のトリガーを引く。そんな生活の方が自分に似合っている。そう思えた。
「ちょっと待って、今鍵あけるから」
家の鍵が見つからないらしい。ポケットを必死にまさぐっているが、なかなか見つけられずにいる。
カルノはヤレヤレと息をついてソフトケースのジョーカーを取り出す。入っているのは最後の一本だった。
「?」
口に咥えてから気付く。フィルターの手前で茶色のそれは折れて葉を覗かせていた。これでは火をつけても意味がない。そして、取替え用にも、それが最後の一本なのだから変えようがない。
「・・・・・」
やりきれない気持ちというのはこういう時のことを言うのだろう。カルノは折れた煙草を投げ捨てて、中身のないソフトケースを握りつぶす。
「あ、あった」
喜びと消沈の響きを同時に伴った複雑な声。彼女は複雑な表情のまま鍵穴に見つけたそれを差し込み、
「シーラ・ディファインスだな」
突然背後から声をかけられた。
「えっ?」
彼女が振り返ったその先には、濃紺色の制服に身を包んだ警察官達が、いかつい顔と視線をシーラたちに向けて立っていた。
「な、何の用ですか?」
慌てているのか狼狽しているのかわからないが、一見してやましい所がありますと言わんばかりだ。本当のところがどうかなどわからないが。
そして、警官たちは眉間に皺を寄せ視線を交わすと一斉に頷きあう。そして、彼女の前まで歩み寄ると、そのまま両脇を固めて、
「黙って我々に同行してもらおう」
有無を言わせぬ口調にシーラはたじろく。ちなみに、カルノに関しては無視を決め込んでいる。
「ちょっ……一体あたしがなにを」
「話しは後で聞く、いいからついてきてもらおう」
「なっ、横暴だわ。っ・・変なとこ触んないでよ!」
このままでは埒があかないと判断したのだろう。彼等は嫌がる彼女を、店の前に止めていた警察車両に無理矢理押し込もうとし始めた。だが、大人しく従うシーラではない。子供のように手足をばたつかせ、必死に抵抗している。
「・・・・・」
さて、どうしたものか。カルノはその光景を他人事のように観察しながら考える。
ここで彼女を助けるべきか?
付き合いにすれば一年近くの月日が経っているが、その関係は顔見知り程度である。そんな関係の人間を助けるために警官に喧嘩を売る。まったくもって考えられない話しだ。
「見てないでさっさと消えろ。公務執行妨害でぶち込まれたいのか?」
彼等の内の一人が、思い出したようにカルノに詰め寄り、トンファー型の警棒を目の前にちらつかせて嘲笑する。
「・・・・・ふむ」
身長や体格、人相を含めて浅黒い肌をした屈強の警官は自分より強そうに見えた。そして、向こうはその反対の感想を持っている。嘲りの表情を向けられながら冷静に分析。
しかし、彼は勘違いしていた。
触らぬ神に祟りなしと過ぎ去っていく通行人も無責任な野次馬も。
『だが、触らなくても神は祟るし不幸は誰へだてなく訪れる』
「おい、なんか言ってみろよ」
シーラは喚いてこそいるものの助けは求めていない。あくまで自分の力だけで解決しようとしている。そのやり方は稚拙以外の何者でもないが。
灰色の街並みの中で、彼女は異端だった。決して変化を恐れず、なにが相手でも立ち向かう。個性をなくした街に住む個性を無くした住人達。考える事は他人任せなマリオネット。
だが、彼女は間違いなく自分で考え行動している。なのに操り人形の方が人を操ろうとしている。
「くだらない」
かつての上司なら、その一言で切って捨てるだろう。ならば、自分も同様だ。
正義感ぶるつもりもない。ただ、奴等が気に食わなかった。
「あっ?」
思わず口にしていたらしい。くだらないの一言を聞きつけた目の前の警官は、こめかみに血管を浮かせ、大きく腕を振りかぶった。
「馬鹿が」
次の瞬間、跳ね上がった黒の爪先が、振り上げられた警官の右肘を襲う。ただでさえ大振りなため余計な力がかかっている。そこに蹴りの威力が追加され、彼の肩関節が鈍い音を立てて砕けた。
「ぎっ・・・」
痛みの悲鳴が上がる前に、手刀を喉元に叩き込んで黙らせる。悲鳴の代わりに巨体の倒れる音が周囲に響き渡った。
「なっ、貴様!」「おい、ランバートが!」
カルノの凶行に気付いた警官等が慌てて振り返り、腰のホルスターに手をかける。
「おい、今ここで引くなら見逃してやる。だが、これ以上抵抗するなら・・・」
「蜂の巣にするぞ・・・といいたいわけか」
自分で言って苦笑する。今倒した奴といい、目の前の連中といい、まったくもってわかっていない。敵を倒すために必要なのは体格や手にした武器ではない。
「無理だな」
言うと同時に駆け出した。距離にして二メートル、拳銃を抜くより殴った方が早い。それに例え抜けたとしても体勢を低くして走る自分に当たりはしない。
そして、それは証明された。
銃声。
しかし、それは一発きりでカルノの毛先を軽く散らして後ろの歩道に穴を穿つ。
「眠れ」
低い体勢から繰り出されたアッパカットが中央に立っていた警官に見舞われる。彼が白目を剥くのを横目に、隣に立っていた男の両足を、残った左手ですくってタックルをかける。何の抵抗をできるわけもなく後頭部を車の縁に叩きつけられて二人目も昏倒。
残る三人目は拳銃を抜いた男。その彼にノーモーションの前蹴りを放つが、それは虚しく空を切った。
「っと、危ない危ない」
こいつを最初にやっておくべきだったと軽く後悔しながら、放心状態のシーラをちらりと見やる。
「・・・・・」
ただでさえ大きな瞳をまん丸にして口をパクパク動かしている。まるで酸欠状態の金魚のようだ。そんな風にカルノは思った。
「国家の顔、警察に喧嘩を売るとはいい度胸だな。それに、丸腰で勝てると思っているのか?」
「戦いに必要なのは武器じゃない。戦うという意志だ。武器はその延長に過ぎない」
「その意志を自分に向かって向けるのは犯罪だぞ?」
その一言にカルノが苦笑する。
「・・・本物ならな」
「っ!」
目の前の警官が一瞬言葉を失った。そして、内心ほくそえむ。適当にカマをかけただけなのだが当たりだったらしい。そして、確信を深める。
「軍に知り合いがいてな。あんたの態度は警官のそれじゃないんだよ。高圧的な警官なんぞ山ほどいるが、その動きといい雰囲気といい、正にそれだ」
後部座席に尻をついたままだったシーラの手を引いて立ち上がらせる。彼女はまだ思考能力を取り戻していないようだったので、自分の背に隠して返答を待つ。
「っふ、ははは! 面白い奴だな。では、自分が軍の人間だったら、どうするというんだ!」
「やる事は変わらない」
返す言葉は短い。目の前の男はひとしきり低く笑うと、手にしていた拳銃を路上に投げ捨てた。
「?」
不可解な行動に眉根を寄せると、男は距離を取り懐に手を差し込んだ。おそらくカルノの強襲を恐れたのだろう。
「馬鹿らしいと思わないか? 戦いに必要なのは意志じゃない。必要なのは圧倒的な力だ。これを見てもまだやる事は変わらないというのか?」
「それは・・・」
取り出されたのは赤色の輝きを放つ眼球大の結晶体だった。シーラはそれがなんなのかわからなかったが、カルノにとっては余りある意味を持っている。
身体の芯が一瞬だけ冷えた。
「なぜそれを持っている」
今までとは違う凄みを乗せた口調に、目の前の男が微かに肩を震わせる。
「決まっているだろ。破壊の力を振るうためだ!」
彼の叫びとともに真紅の結晶体は、眩い輝きを放つや否や、ゆっくりと彼の掌の中に沈みこんでいく。
「ちぃっ!」
カルノが駆け出すが遅かった。真紅の輝きは、完全に男の身体へ染み込んでいってしまった。その刹那、彼が左手を「サバート」へと振るう。
一見するだけなら手を振った。それだけの事で何かが起こるわけではない。だが、それが重要な事ではない。あの真紅の結晶が問題なのだ。そして、その行為を証明するように、彼が振った手の先から炎が走った。
「!!!!!」
驚愕の間もなく炎は襲いかかる。ただし、カルノではなく、シーラの店を。
「あ、あたしの店が!」
ようやく正気に戻ったらしいシーラが、店内を荒れ狂う炎に悲鳴を上げる。まあ、観点が多少ずれてはいるが。
「これだけじゃないぞ」
男は残った右手を広げると、そこにボール状の炎が浮かび上がり、ウインドゥが無残に砕けた店内にそれを向けた。
「や、やめなさい。あたしの店になにするつも・・・」
彼女のセリフは最後まで口にすることはできなかった。男が大きく振りかぶり、火球をサバートへ放り込んだからだ。そして、
轟音。
鼓膜を破裂させんばかりの爆音が、炎と衝撃を伴って襲いかかる。シーラは悲鳴を上げて身を伏せようとすれば黒い影が自分に覆い被さった。
誰だろうと思い、一瞬の間を置いて見上げれば、知った顔がそこにあった。
「大丈夫か?」
「う、うん」
顔と顔が真近に迫る微妙な距離。シーラは思わず顔が熱くなるのを自覚した。一方、カルノの方はどうなのだろうと思ってみれば、彼は表情を歪め唇を噛んでいる。ロマンスを期待していたシーラが間違っていたらしい。
「なんでエレメントなんかが!」
「・・・エレメント?」
カルノは答える代わりに、シーラを突き飛ばしてから横に飛ぶ。そして、その二人の間を火球が過ぎ去りサバートを蹂躙する。
「エレメントの存在を知っているという事は、お前も軍関係者か?」
「・・・・・。」
カルノは答えない、代わりに開いた距離を埋めるため駆け出すが、立て続けに襲いかかる火球と炎壁に、思うように進む事が出来ず低く唸る。
一方向こうは、余裕の表情でなぶるように炎を放ち、ゆっくりと後退していく。いまやその距離は道路を挟んで五メートル程。それが彼にとっての制御圏内というところだろう。
『二流もいいとこだ』
内心で呟きながら、懐にしまっていたダーツを抜き取り、炎撃の合間をぬって放った。
大気を漂う陽炎を切ってダーツが男を狙って飛翔する。その銀の煌めきは頭部へ吸い込まれるようにして迫り、
「無駄だ!」
前触れもなく銀の刃は炎に飲まれて焼失した。
「エレメントにそんなちんけなナイフが通用すると思っているのか!」
男が叫び、今までとは比較にならない熱波がカルノに襲いかかる。視界が紅で染まり避ける事が出来ないと確信。諦めにも似た感情が心を占めていく。その刹那、
「カルノっ!」
小柄な影が駆け寄ってくるのが見えた。来るなと叫ぼうにも間に合わない。
そして、二人は炎に飲まれて消えた。
「ははは・・・! なにが意志だ。圧倒的な力の前にはそんな物など何の役にも立ちはしないんだ!」
破壊の力に酔いながら彼は一人呟き続ける。自身が放った炎に照らされ哄笑する姿は狂気に犯されていた。
「力だ。力が全てなんだ! この力さえあれば・・・!」
「だから、二流どまりなんだよ」
鋭い刃を思わせる静かな声が、耳元で囁かれる。
「なっ!」
振り替える間もなく、重い衝撃が首筋を襲う。的確な位置に的確な衝撃。それは、脳への血流を妨げ酸素の供給を阻害し・・・。そこまで考えた所で目の前が闇に染まっていく。
「く、くそ・・・」
薄れ行く意識の中で、己の背後に立つ誰かに炎のイメージを叩きつけようとし、
「今度はさせやしない」
イメージは形になる事はなかった。そして、彼はここで意識を失った。
「今回は上手く行ったか」
肩にかかったすすを払い落としながら、傷らしい傷も無いカルノが嘆息する。
そして、自分の背に隠れるようにして立っているシーラも、やや汚れてるものの怪我はないようだった。怪我や傷を負ったのは、全てあの偽警官たちである。
「カ、カルノ怪我はない?」
本来ならパニックを起こしてもおかしくない状況なのだが、彼女は震える声で安否を尋ねてきた。
内心たいしたものだと思いながら「ああ」と頷いて膝をつく。無論、疲れでも怪我でもなんでもない。
膝をついたカルノの眼下には白目を剥いた悪人面が口を開けて倒れている。
「・・・・・」
その男の懐に手を伸ばし、ひとしきり探り手を引き抜くと、カルノの手には一枚の手帳が握られていた。中には身分証明用の磁気カードもしまわれており、この男の経歴が記してある。
「ウィリアム・ハーキンス。バートン社 軍事部門所属。階級は課長補佐。なんでこんな男がエレメントを………」
「ね、ねぇ、カルノっ!」
思考の世界に没頭しようとした時に、後ろから声をかけられ少々気を害しながらも、なんだと言って振り返れば、シーラが慌てた口調でまくし立てる。
「は、早く逃げないと、本当の警察や消防署の人達が・・・消防署? そうだあたしの店ぇ!」
いい感じでパニックを起こし始めた彼女に、心の中で前言撤回と呟きつつ、落ち着けと声をかけた。
「しょうがない。とにかくここを離れるぞ」
「え?」
いつもならば人通りもまばらな寂れた街の一角も、普段では考えられない人々が野次馬となって遠巻きに視線を注いできている。その色は主に好奇心。自分に危険のないトラブルはこの上ない娯楽なのだ。
「馬鹿らしい」
忌々しげに吐き捨ててから、カルノは動揺したままのシーラの手をとり駆け出した。途端に、目の前に展開していた人の壁が二つに分かれて散り散りになる。意外と爽快な気分だった。
「お前も急げ」
右手に握っていた手帳とその他の「何か」をポケットにねじ込むなり、顔をシーラに向ければ、彼女はなぜか顔を真っ赤に染めてうつむいていた。
「?」
理由はわからなかったが、今は、そんな事を聞いている暇はなかった。遠くから聞こえるパトカーのサイレンを背に二人の姿は灰色の街の中へと消えていった。
「わあぁ・・・・」
意外と言ったら失礼かもしれないが、シーラが足を踏み込んだカルノの自宅は思いの他片付いていた。
ワンルームなしからぬ広々とした内装。
壁紙も張っていないコンクリート剥き出しの壁に、名前もわからぬマシンガンやライフル、大ぶりのナイフがかけてあるのはいただけないが、部屋の隅に置かれたベットや白のカーテンもこまめに手入れをしているようで清潔感が感じられた。同じ一人暮らしでも、シーラとはえらい違いである。
確か、自分の部屋は脱ぎっぱなしのハーフパンツやパジャマに雑誌・・・とここで考えるのを止めた。カルノはカルノ、自分は自分だ。
「なにボッと突っ立ってる。立ってるのが趣味なのか?」
言ってカルノは二十帖程あるであろう部屋の中心に配置されたテーブルの前に椅子に腰を下ろす。その椅子はどこから拾ってきたかも分からない錆びたパイプ椅子。ちなみにテーブルは手製のようで角材と大きな板を合わせたかのような様相をしている。
「・・・・・」
なんと言うか、生活感の無い部屋だった。
ただ起きて寝るためだけの部屋。そんな印象を抱かせる。家具らしい家具が無いのも要因の一つかもしれない。
シーラは仕方なく椅子に座ると、改めてカルノと向き合った。
「? どうした」
自分の店のカウンター越しに見るのとは明らかに違う。同じ目線で思いのほか近い距離。何が起こるわけでもないのに、鼓動は早まり、顔が紅潮していくのが分かった。
「な、なんでもないの」
「そうか」
慌てて手を振る彼女に訝しげな視線を送りつつも、カルノは立ち上がると入り口の近くにあったキッチンまで歩いていき、コンロに乗っていた薬缶を火にかけた。
「紅茶とコーヒーどっちがいい?」
問いかけるカルノに、シーラはコーヒーと答えた。本当は紅茶の方が好みなのだが、彼女は毎朝カルノがコーヒーを注文するのを知っていた。だから、コーヒーと答えたのだ。些細な事かもしれないが、そういうことに意味があるとシーラは思っている。
「できたぞ」
そう言ってカルノが持ってきたのは金属製のマグカップを二つ。どちらもブラックだ。
「お前の好みは知らないからな。適当に使え」
コップの前に置かれたのはシュガーケースと市販されているミルク。
「悪いがインスタントだ」
言われなくても分かっていたのだがカルノは丁寧に補足してくる。
「い、いいよ気にしなくて」
「まねかざるでも客は客だからな」
短く言って、テーブルに置かれていた灰皿を自分の前に引き寄せる。
「客以前に未成年の前でなに吸うつもり?」
視線を細めるシーラに対し、カルノは肩をすくめてやはりテーブルに置かれた煙草を取って封を切る。
「ここは俺の家だ。なにしようが関係無いだろ?」
「・・・・・」
そうこられては返す言葉もない。シーラは仕方なくコーヒーを啜って沈黙を選ぶ。
「・・・苦っ」
ミルクと砂糖を入れ忘れたコーヒーはひどく苦かった。
「それで、これからお前はどうするつもりだ?」
「?」
一瞬、なにを言われているのか分からなかったシーラは、きょとんと無防備な顔をさらしていた。そんな彼女に苛立ちを覚えたのか、カルノは煙草を一本咥えながら、テーブルに一冊の手帳を叩きつける。
「あっ、これは・・・」
今の今まで浮かれていたから忘れていたものの、すぐさま彼女は戦慄し直した。
デートの終わりは乱暴な訪問者によって終わりを告げた。そして、荒れ狂う炎。シーラでは為す術もなかったところを助けてくれたカルノ。
ほんの少しの間に数え切れない出来事が起こった。それは普段の日常とは一線を隠す。
「内容を確認した所、こいつの持ち主はバートン社の社員だ。しかも、軍事部門のな」
バートンという単語に、かすかな含みを感じた。しかし、そんな思いを置き去りにカルノは先を続ける。
「バートンは知っているな? 偽造だったらいいんだが、もし、本当にバートン・・・しかも軍事部門に所属しているような奴だったら質が悪い」
どうして? とは聞かなかった。聞かなくても分かる。バートン社というのは紙おむつからミサイルまで幅広く手がける世界最大の企業だ。というよりも、世界そのものといった方が通りも良い。
「しかも、二流とはいえエレメンター付きだ。いよいよもってどうしようもない」
「な、なんで?」
どもる必要はなかっただろう。しかし、彼女の声は上ずっていた。
「簡単な事だ。エレメンターまで出してくるって事は向こうも本気と見て間違いない。そして、こっちは個人。個人と組織じゃ勝負にならない」
カルノは、淡々と言葉を紡ぐ。ただ事実を述べているだけの冷たい口調。
「で、でも、カルノは強いし・・・」
「知ってるか? 現在最強といわれるエレメンター 『紅蓮の魔女』 ラヴェンダー・C・マクミトンは、五百メートル四方を消し炭に変えたらしい。とてもじゃないが俺の対抗できるような相手じゃない。バートン社を相手にするということは奴を相手にするということでもある」
「で、でも・・・カルノもエレメンターとかいうのだったんでしょ?」
いまいち意味が理解できなかったが、とりあえずすごいということなのだろう。しかし、シーラは、あの時の手並みを見る限り・・・・・に劣るものの卓越した手腕を・・・
『あれ? ・・・・・ってなに?』
一瞬思考が停止する。それがなんなのか思い至る前にカルノが口を開いた。
「エレメンターと言っても、途中でポイすてされるような三流エレメンターだ。それに世界すらも統治する巨大企業に俺なんかが対抗できるはずも無い」
咥えた煙草に火をつけることなく、それを灰皿に置く。
「結局、俺の手におえるような事じゃない。軍属のエレメンター相手にいつまでもやりあうような自信は俺にはない」
言ってブラックのコーヒーを啜る。
「・・・・・」
何も言う事が出来ない。だが、シーラにとって頼る事が出来るのはカルノだけなのだ。彼だけが自分にとって味方になってくれた。
遠くで見ていた野次馬は、野次馬なだけに野次馬だ。見ているだけの彼等の中でカルノだけが助けてくれた。それなのに彼はこう言う。
「諦めるか進むかのどっちかだ」
嘆息混じりにそう告げる。
「・・・・・」
さっきから「・・・・・」ばかりだ。何かを言うべきなのだろう。しかし、言葉が見つからない。思考ばかりが暴走してゆく。
彼が自分を助ける気がないのではないか、自分を軍に引渡すつもりではないか・・などなど。
しかし、それならば傍観しているだけでよかったのだ。なのに、彼はそれをしなかった。それだけでもシーラの心は救われた。だから、
「アタシは諦めない」
そう、諦めは逃避と変わらない。だから、彼女はそう言った。
「へぇ・・・」
すると彼は小さく笑った。意味があるのか無いのか分からないが。
「いいだろう。なら俺は、できる範囲で協力する。こっちも思うところがあるしな」
カルノはそう言ってコーヒーをあおった。そして、テーブルの下におかれた一本の瓶を拾ってテーブルに上げる。
「それは?」
「酒だ」
言われてみれば茶褐色の液体が半ばほどで揺れている。恐らくウィスキーの類であろう。
そのそれを、カルノは飲み終えたコーヒーのカップに半ばまで注ぐ。そして、彼女の視線に気付いたのだろう。カルノは珍しく小さく笑う。
「景気付けだ」
水で割るようなことはしないらしい。カルノは高濃度のアルコールを一息で飲み干し息をついた。
「・・・煙草が吸いたい」
まあ、意味のない言葉ではあった。




