イミテーション
生まれて最初に手に入れたのは絶望だった。
生まれて最初に手に入れた希望は壊された。
それだけの違い。たった、それだけの違い。
絶望だけが原動力だった。全てを飲み込む感情の渦は遠い昔に置いてきて虚無だけが心の底に沈殿した。
だから、白い壁が嫌いだった。白い物が嫌いだった。
自分がどこまでも汚れていて、どこまでも呪われている事を知っているから。
だが、それでも今は、純白の先頭の前に立ち、黒の衣装で挑まんとしている。
「………くくく」
気付いていた。結局は避けて通れないのだと。
ならば進もう。そう思えた。そう思わせてくれるような奴がいた。ろくに力もなくて言うことだけは一人前。
「・・・いや」
彼女だったら力があっても同じ道をたどる。
愚かしいまでに。
だが、それも一種の才能だという事を知っている。
「だからこそ、俺も選ぼう。もう鍵は必要なし。全てを解き放つ」
それは青年だった。
黒の衣装で全身を包み、銀糸の髪の下には冷たい表情・・・ではない。
「俺は・・・俺を選ぶ!」
牙を剥く獰猛な獣のそれだった。
彼の名はカルノ・セパイド。
バートン社によって作られた人の形をした人形であり、それを操る糸を自ら断ち切った人間である。
争った跡のある正面玄関を抜けてエレベーターに入り最下層へ。途中鉢合わせした哀れな兵士達は死なない程度に再起不能にしてから無理矢理ロックを解除させてた。本来なら何重ものパスワードを必要とし、担当官の許可がない限り開くはずのない扉が開いていく。そんな事を何度も繰り返していくうちに純白の壁を照らす照明が徐々に落ちていく。恐らくこの先にあるものが光という刺激を好まぬためだろう。
やけに長い廊下は一直線。ここに向おうとする者の目を馴らそうとしている意図がある。
「・・・・・」
コツコツコツ・・・自分の足音だけが無闇に高く広い空間に響き渡る。
「何も潜んでいない・・・か」
もっとも、普段は足音など立てない。ならばなぜやっているのか? 答えは音の反射による索敵である。だが、言うのは簡単だが習得するには苦労を超えた努力が必要だ。
まあ、カルノの場合は目隠しの電子錠を取り付けられるなり無視界戦闘の基本とうそぶかれ、市街戦闘訓練用の迷路に叩き込まれたので習得せざるを得なかった。叩き込んだのは当時訓練生時代の上司だった。
ちなみに入り口は閉じられる上に出口は直線距離で五キロ。目隠しなしでも遭難者が出るほどであったという。
突然、頭痛がしたかのようにこめかみを押さえ息をつく。
「ろくでもないことを思い出してしまった」
後で文句の一つでも言ってやろうと思いながら、いつの間にか音の反響が変わってきていることに気付く。正面に何かがあるのだ。
「これは・・・」
巨大な扉だった。
十数メートルあるのではないかという見上げるほどの巨大さと、微かに灯るセンサー群の数々。それだけでなく人間用の手錠をそのままスケールアップした金属の塊が上から三つ、扉の端と端を繋ぎ止めていた。
「・・・・・っ」
中央に埋め込まれた頭蓋骨のような球体も含めて現代科学の産物ながら、それからは歪な印象だけが見てとれた。
「護衛や伏兵がいないわけだ。こんなもの通常火器や爆薬なんかでは破壊できない」
唯一の例外がエレメンターなのだが、支社の敷地内はブレインデバイスシステムによってEAが行使できないようになっている。
そして、そのブレインデバイスシステムを停止させるには、この扉を破壊・・・または通過し、奥にあるそれを破壊しなければならない。
「・・・世の中には例外で満ちている。最たる例がラヴェンダーみたいな人種だ。魔法使いはいつも常識の外で裏をかく」
黒衣の魔法使いがマント代わりのコートの裾をはためかせる。
「聞こえているかウォン・クーフーリン! 俺は俺の運命を受け入れる。大昔の化物のイミテーション! 偽物の力を今解き放つ!」
『コード・イミテーション起動 EA限定使用可能』
本来エレメントによるEA現象は、大気中に含まれる特殊な量子粒子を、エレメンターの全身の皮膚を通して吸収し、吸収した粒子を補助脳が術者のイメージ通りに変換し放出する事で初めて発生する。
そして、ブレインデバイスシステムという物は、エレメンターが必要とする特殊な粒子を限定地域で際限なく吸収し、様々なエネルギーとして供給する機能を有している。
元々は、環境維持用エレメントの効率的なエネルギー供給源として開発されたのだが、予想以上に量子粒子を吸収したため、EAの阻害というのはおまけ的要素が強い。だが、それでも利用できる物は利用するというバートンの方針から、外部エレメンターによる襲撃・・・もといエレメンターによる反乱を防ぐため各支社への配備が命令されている。
余談だが、そのシステムを提唱したのがウォンであり、この時の功績から『神民』と呼ばれる上層部から、同じ『神民』の身分と第十三支社支社長の立場を与えられた。
・・・とまで認められるほどのブレインデバイスシステムはエレメンターを完全に封じる。とはいえ、本物の魔法使いは裏をかく。
旧時代あったとされる魔女狩りでは、石を投げられ火あぶりにあった魔女は本物の魔女ではなく『自白させられた』魔女であったという。つまり、この場合多くの魔法使い(エレメンター)は偽物であり本来の魔を振るう万能の魔法使いは、壁の前で二の足など踏まない。
「だから見せてやる現代の魔法を!」
常時形成させていた補助脳の稼働率を最大にし、反射神経と身体能力を最大まで引き出す。
眼前に迫るのは目の前に立っていた兵士の骸を微塵に裂いた音速を超えた弾丸。
『燃えろ!』
通常のライフル弾とは比べ物にならないサイズの弾丸。そのライフリングがはっきり見えたところ限定領域で高密度のプラズマ炎を展開。
自分を貫くはずだったトライデントの弾丸は瞬時に気化すると同時に、余波で目の前の骸も灰も残さず消失した。
「くっそぉ・・・」
上品とも言えない罵声を漏らしつつ、ラヴェンダーは荒い息と共に膝をついた。
「・・・ハァ、あいつ見覚えがあるぞ。確か、訓練生の落第者の中にいたジュダル・ミューダースだったか」
その呟きの向こうで閉じたエレベーターの壁の向こうで稼動音が鳴っている。
「しっかし、奥の手をこんなところで使うとは思いもしなかった」
本来ブレインデバイスシステムの影響下ではエレメンターはその力を振るえない・・・ということになっている。それはエレメントが必要とする因子をシステムが吸収してしまうからであり、吸収を妨害しているわけではない。
「なら最初からキープして溜め込んでおけばいい・・・とはいえ半分くらい使っちまった」
もっとも、因子を常にキープするには補助脳を常時起動し続けねばならないというデメリットがある。それは、常にブリットを服用する弊害が付き纏い、ブリットの常用は脳を犯し人格に障害を与える可能性がある。
だが、ラヴェンダーには切り札があり、そんな常識には囚われない。ブリットにより擬似的な補助脳を形成しエレメントとの接続による補助脳の形成なんていう二度手間は踏まない。最初から補助脳が形成されている(・・・・・・・・・・・・・・・)のだから。
「キチガイどもが考えた人が人を超えるための研究成果とはいえ今の私には唯一の武器」
ラヴェンダーは、俗に言うデザイナーズチャイルドではない。あくまで人の営みの中で生まれた。
とはいえ、幼い頃にバートン科学研究部門の研究者だった両親によって『スプリガンプロジェクト』という研究の実験台にされた。
後から補助脳を形成するのではなく、最初から現実の脳の延長として形成する。それがプロジェクトの概要だ。
結果から言えば失敗だった。期待されていたまでの性能がなかったらしい。
しかし、エレメントと人間の共生体として大いに注目され、成長していくに連れてその力は増大していった。
だが、それが災いした。
強力過ぎる力は内外に畏怖を与え、当時の関係者・・・両親を含んだバートンの人間は彼女を見知らぬ地へと遠ざけた。その場所の名前がキンダーガーデン。彼女を閉じ込めるために作られた牢獄の名前。
「だが、獣は解き放たれたぞ」
紅蓮の魔女は非常階段目指して走り出す。エレベーターに目をやれば使用不可能のランプが点灯していた。倦怠感は微かな休憩によって抜けている。そして、目当てに通じる扉の前で制動をかけノブに手をかけた。
「っそ!」
管理室が何か小細工をしたのだろうと想像し小さく舌打ち。しかも、この扉の鋼材は複合構造で衝撃に強い。
「この程度で私の歩みを止められると思うな!」
補助脳の命令による身体能力の上昇。エレメントと共生する者だけの切り札の一つ。それは、本来三割までしか発揮されないという人間の力を限界以上に引き出す。次に全身に散らばっているナノサイズの分子を右手に集中させる。見た目だけはそのままに中身だけが変わっていく。
その右手が手刀を形成し、弾丸もかくやという速度で射出された。
ズゴッ! という尋常ではない音を響かせ、彼女の手刀は貫けるはずのない扉を貫いてしまった。ただ、それだけでは終わらない。
貫いたままだった右手を引き抜くなり、人間の手で開けたとは思えないような大穴に両手をかけて、足を開きスタンスを取る。
「うぅぅおぉぉぉぁぁーーーーー!」
叫びと共に、彼女の渾身の力が特殊構造の金属扉を引き裂いていく。一方彼女の肉体も関節の節々がひび割れるような音を立てて震えていた。食いしばった口元からは一筋の血が流れ落ち、浮んだ血管は破裂せんばかりに膨張している。
しかし、物と者の闘争は、すぐに終りを告げた。ラヴェンダーが一際高く咆哮するやいなや、断末魔の叫びのような甲高い悲鳴を上げて引き裂かれた。
「な・・・んで私だけ……こんな疲れて……」
両手を広げきった姿勢のまま、再び荒れた息を付き呟く。そして、思った。
「あの小娘は無事なんだろうか」と。同時に苦笑。
付き合いが始まって一日二日の間柄なのに心配をしている己がバカみたいに思えたのだ。
「あのノーテンキは伝染する」
ならカルノは?
そう思いかけて考えるのはやめた。今必要なのは進むことだけだ。関係無いことは後で考えれば良い。そう判断し、紅蓮の魔女は非常階段を毒づきながら上り始めた。
「なんで私だけ徒歩なんだよ」
「天使の塵カルノ・セパイドが解き放つ!」
言葉に意味はない。本来はイメージするだけで理想が実現する。それでも言葉で意志を示すのは必要な事だと思えた。
だから、叫ぶ。魔法使いに呪文はつきものだから。
「火よ風よ、水よ地よ! 我が命に従い破壊の力を顕現せよ!」
脳だけでなく全身に散らばる破壊の意志と力が具現する。
EAの並列処理。
最初に起こったのは業火の破裂だった。
闇に落ちていたはずの地下室が紅蓮の炎によって照らし出される。だが、それは灯りのために放ったのではない。現に、手錠にも似た拘束器具が音もなく形を歪め液状化した。
次に起こったのは姿無き破壊の旋風。
超高熱の炎によって強度を落とした巨大な門に無数の裂け目が刻まれ、無事だったセンサー群が一様に宙へ舞って微塵と化す。
三度目は直接的な破壊ではなかった。
周囲に散らばる酸素の中に、突如発生した水素の群が飛び込み大量の水となって現れる。それは門の全体に降りそそぐと同時に術者の命令を受け瞬時に凝固した。結果、極低温にさらされ原形を保っていた箇所は形を歪めてひびを走らせ、亀裂の入っていた箇所は無残に砕けた。
最後は、突如大地が歪んだかと思えば、門そのものが縦横無尽に引き裂かれた。正確に言うなら門から裂けていったと言った方が正しい。異様な光景だった。
「見せてもらうぞ。過去に追いつくために作った現代の罪を」
周囲で火花を散らす機械群の名残に一瞥もくれず、黒づくめの魔法使いは地獄の門をくぐる。
・・・そう、地獄だ。
「照らせ」
門を潜って数歩進み、頭上に松明代わりの炎を灯す。
「・・・これは」
どこまでも広がる底なしの暗闇の中で、水の揺れる音だけが明瞭に響いていた。そして、カルノの炎はそれを浮びだした。
薄々は想像していたし理解もしていた。だからこそ、言葉を失ったのだ。
薄闇の中で果てなく続く、水槽に浮ぶ数え切れない人間の脳。だが、それだけではないのだ。その各々の脳から生えた無数のコードが中継点を通じ、その奥の奥、入れ組んだケーブル群にがんじがらめされるようにして繋がれた一個の巨大な物体。
いや、炎の輝きを受けて七色に光るからには物体というよりも結晶体であった。七色に光るありえるはずの無いサイズと色彩のエレメント。
「これが・・・こいつが・・・・」
安易な形に別れることを許されなかった原初の結晶。それにつながれた意志を取り去られた人々の脳。
「………これが、ブレインデバイスの正体か」
俯いた口元に笑みが浮んだ。
「・・・ならば俺が解き放つ」
だらりと下げた右手に赤黒い雷光が巻きつき荒れ狂う。それはさながら生き物のように蠢き、秘められた狂気を開放する喜びに打ち震えているように見えた。
「悪夢は終りだ!」
カルノの雷光が水槽に突き刺さり、瞬時に粘着質な液体が沸騰。
「ここはブレインデバイスシステムの中枢。EAを使えるのが不思議か?」
赤い稲妻は波に漂う脳の群を引き裂き、焼き焦がし、砕いて散らす。
「確保しといた量子粒子は底を尽き、こんな真似ができるはずもない。そう思うだろ?」
誰に向かって言うでもなく、そのままカルノは続ける。
「それにこの雷光。こんなEAは存在しない」
ならばなんなのか?
「元々エレメントという物はわかりやすく(・・・・・・)す(・)るために(・・・・)四つに大別しているだけであって本来は、その程度の数で収まるはずが無いんだ」
水槽のいたるところに亀裂が入り、そこから蒸気のようなものまで噴出し始める。
「本物のエレメンターは己の意志で理想通りの理想を実現できる!」
紅き雷光の本流が勢いを増して荒れ狂う。
確かに余力を残していたとはいえ、それでもありえない現象であった。
ラヴェンダーは予備の因子を確保して力を行使した。確かにそれは事実。それでも限界値というものが存在し、息を吸い続ける事が出来ないように過多の吸収は身を滅ぼす。
にもかかわらずカルノは出力の増加をたどっている。
「っ!」
鉤爪状にかたどった右手が強化ガラスの抵抗を物ともせずに振り抜かれる。それを追うようにして赤黒い閃光が全てを消滅へと導き、
「引き裂け雷光!」
振りぬかれた腕を、そのまま突き上げるように振り上げる。同時に紅の閃光がケーブル群の中央。虹色の結晶体目掛けて一直線に走る。
鳥の鳴くような音が聞こえたかと思えば光の速さが全てを切り裂き、破壊の音を奏でる。
虹色の結晶が二つに割れ、無情の雷が粉砕して続く。
「滅べ呪われし現在!」
全方位へ渡って紅い閃光が何もかもを蹂躙。虹色の結晶が完全に消滅する間際、甲高い悲鳴のような叫びを上げて、雷光と共に消え去った。
『ブレインデバイスシステム強制停止。以降、施設の中でエレメントの行使が可能と共に・・・』
「安かに眠れ」
黒衣の魔法士は取り出した煙草を咥えると共に背を向け歩を進めた。これが終りではなく、始まりと言わんばかりに。
『ブレインデバイスシステム強制停止・・・』




