表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狭間のアンテルヴァル  作者: 小木雲 鷹結
無貌の者たち(上)
9/112

2-4 ナハト

             ◇ ◆ ◇


 狭間亭の魔具製作室は、雑貨屋部分の次に面積を占める空間だ。

 窓は通りに面する一面のみ。通りと言ってもあまり広いわけではないので、背の高い建築物が日の光を遮ってしまうことが多い。そのため採光量は部屋全体を明るくするには足りていなかった。

 では足りていない場所はどうするかというと、一般家庭のように蝋燭などで火を灯すのではなく、多少値は張るが魔法の光を用いたランプで照らしていた。ナハトやカルマが製作する魔具は可燃性の素材を使うものが多いため、少しでも火事の危険性を減らしているのだ。

 置いてある家具は作業机が二つ、椅子が二つ、魔法関係の書籍が収められた本棚が一つに工具や素材を詰め込んだ箱が幾つか。

 作業机は、窓に面しているものがナハトの使っている机だ。机の上はかなり散らかっており、何に使うのか分からないような工具や本などが積み上げられていた。

 対してカルマの使っている作業机は綺麗なもので、陣書きの作業時以外は物が殆ど置いていない状態になっている。今、カルマは休憩に入っているために彼女の作業机はキチンと片付けられていた。

 今現在、この部屋にいるのは二名。一人は魔具師であるナハト。そしてもう一人は――


「……そ、それじゃあ始めます」


 ナハトが新たに開発した魔具を握りしめる少女――試用人のシャノアールだ。

 試用人とは、陣書きに並び魔具師の下で仕事を行う職業だ。彼女らの仕事はいくつかある。その内の一つが、シャノアールがやっているような新製品の試用である。

 ナハトのように魔法陣の効力を完全に理解して魔具を作成している人物であれば、新たに開発した魔具を初めて使う時であっても問題は起こらないと言って過言ではない。しかしそれでも稀に事故が起こるのだ。それは優しいもので膨大な魔力を奪われることから始まり、危険なものでは爆発のような大事故まで様々である。

 そういった危険な状態に魔具を製作している自分が巻き込まれないよう、金銭的に余裕のある魔具師は試用人を雇っている。無論、試用人は身体を張って仕事をしているのだから、給料は普通の職人――パン職人や鍛冶師などとは比べ物にならないほど高い。

 床に描かれた《即席守護防壁(インスタント・プロテクション・ウォール)》の魔法陣の上で、シャノアールは魔具を起動させる。《即席守護防壁(インスタント・プロテクション・ウォール)》は魔法陣の内外からのいかなる衝撃をも一度だけ無効にする効果のある時空魔法だ。この魔法陣の上で新作を試用させることで、製作室でも事故を気にすることなく結果を見ることが出来るのである。

 シャノアールはまず、手に持った新作の魔具の札へと魔力を込めた。陣書きであるカルマは自身の魔力を込めながら魔法陣を書き込むが、何が起こるか分からない試用段階では試用人が使う直前まで魔具に魔力を蓄えさせないようにすることが普通だった。

 魔力が魔具へ充填されたことを確認すると、シャノアールはナハトの顔を見る。どちらかといえば、顔色を窺った、と言った方が正しいような怯えた態度だったが。

 視線を向けられたナハトは彼女の心情など気にも留めず、先を続けるようにと頷き返す。

 ナハトから継続を指示されたと判断したシャノアールは強張った表情で札をつまんだ。何が起こるか分からない――場合によっては死ぬことすらあり得るとナハトから聞かされている彼女は、試用の際にはいつも極度の緊張を顔に浮かべるのだ。

 ナハトは彼女の手が微妙に震えていることに気が付くが、声をかけることはしない。常に適度な緊張感を持って試用に臨むシャノアールの志に水を差すような真似をしないためである。


(それにしても緊張しすぎだろう。今回のは危険性も少ない魔具だし、事故どころか効果が発動しない可能性の方が高いんだ、って説明したはずなんだが………)


 彼女の震える手から顔へと視線を移そうとする。


(―――ん? そういえば………)


 内心では彼女の心配など一切していないナハトの意識は、シャノアールの服装を見た途端に別の部分へと向けられた。

 シャノアールは両手に力を込める。恐怖心からか、彼女の目はがっちりと閉じられていた。


「――行きますっ!!」


 意を決した気合いと共に、シャノアールは手にする札を引き裂いた。

 直後、二つに裂けた紙からは光が発される。

 強烈な赤い光が部屋全体を包み込み―――


「………………」

「………………」


 何も起こらなかった。

 つまり、光っただけなのだ。

 自分が何か間違いを起こしたのかと思うと止まらないシャノアールは震えながら自分が破いた紙片を見る。しかしいくら眺めてみても札には使用済みを表す色の薄くなった魔法陣が描かれているだけであった。

 魔具の作成に関しては右も左も分からないシャノアールは、取り敢えずナハトに指示を仰ぐ。


「……ナ、ナハトさん。ど、どうでしたでしょうか………?」


 訊かれたナハトはというと、何も言わずにシャノアールを眺めていた。

 足先から頭まで動くナハトの視線にシャノアールは恥ずかしさを覚えたのか、それとも自分の命が値踏みされているかのように錯覚したのか、頬を赤らめながらもびくりと肩を震わせる。


「ナ、ナハトさん? あ、あの……その……私、何か間違いを……?」

「―――なぁ、シャノア」


 やはりシャノアールの態度など気にしていないナハトは、唐突に彼女の名を呼んだ。

 叱責の言葉が飛んでくると思ったのだろう、シャノアールは思わず身を竦める。


「は、はい!! な、何でしょうかっ!?」

「お宅さ、俺がやってる給料って何に使ってるんだ?」


 ナハトの眼中には新作魔具の性能など存在していなかった。いや、眼中にないというのは語弊がある。既に魔具の性能は確かめられている――つまりは、ただ光るだけ、という事象を引き起こすための魔具なのだ。

 そんなどうでもいい効力を持つ魔具などより、ナハトの興味はシャノアールの金の使い道に向いていしまっていた。

 再びナハトはシャノアールの全身を眺める。

 狭間亭には制服などない。そのため、衣類の貸し出しを行っているのは服を汚す可能性のあるカルマに対してのみだ。宿屋の受付と雑貨屋の店番をやっているフィアーレットと試用人のシャノアールは私服を使うように言ってある。

 フィアーレットに関しては、数カ月に一度新しい服を買ってきてはナハトに似合うかどうかをしつこいくらいに訊いてくるので服にも金を使っていることは分かっていた。

 しかし、ナハトの前にいるシャノアールの服は何度も見たことのあるボロボロの服だ。

 シャノアールが貧民層の人間であることはナハトも分かっている。……いや、貧民層の人間であった、というのが正しい表現であるはずだろう。シャノアールに対してはそれほどの給料を与えているのだ。

 なのにシャノアールは未だ継ぎ接ぎの、まるで襤褸切(ぼろき)れのような服を身に纏っている。

 ならば食事に―――と思い紙切れを持つ彼女の手を眺めるも、若干骨ばった手先からは間食などに金を割いているようには思えない。

 では一体何に給料を使っているのか。

 今まで一度も気にかけてこなかったことだが、気になってしまっては仕方ない。家庭の事情に踏み込みかけたら身を引けばいいだけの事だろう。

 そんな考えでナハトは再度シャノアールに問いかける。


「少し気になるだけだ。何に使ってる?」

「え、ええと……それは………」


 ナハトの問いかけにシャノアールは口ごもった。


(まさかやましいことに使っているわけじゃ―――)


 そこまで思考して、すぐさま脳内から弾き出す。あのシャノアールが――礼儀正しく慎ましく、そして度を超えて臆病な少女が都市の暗黒面に身を落とすわけがない。

 それに、もしもここの従業員が裏社会に顔を出していたらすぐに商売仲間から知らせが来るはずだ。

 ナハトの心中にはますます疑問が募っていく。


「別に責め立てようってわけじゃない。単純に気になるだけだ。もし何か苦労していることがあるなら力になれると思うぞ」


 シャノアールが少しでも落ち着けるように、ナハトは出来るだけ優しい声を出した。優しさを含んでいるのは声だけだが。


「服は初対面の時からあまり変わっていないようだし、食事もここで出している三食だけしか食べてないんだろ? お宅、素材は良いんだから、良い服を着てもう少しだけ肉を付ければそこら辺の男も振り返るようになるさ」


 この発言は本心からのものだ。痩せぎすで貧相な身体だからこそ誰にも相手をされないだけで、少し肉を付ければ――他にも綺麗な金色の髪を(くし)()いたり、男受けするような仕草を身に付ける必要もあるかもしれないが――彼女の綺麗な肌に目を奪われる男の一人や二人はこの都市にいるはずだ。ナハトの審美眼がそう告げている。


「えっ!? そ、そんな……あ、いや、その………その、ですね………」


 しかし、(おだ)ててみても煮え切らない様子のシャノアール。頬には若干朱が差して見えるが、ナハトへの好感だけでは事情を話す気になれないようだ。

 意外と強情だな。なんとなくシャノアールの評価を変えてみる。そうしてどのように、この見た目はボロ臭いが実は難攻不落の城塞を攻め落とそうかとナハトが画策し始めた矢先に、


「あれ、どーしたんですか? ナハトさんと、それにシャノアも」


 休憩を終えたカルマが製作室へと戻ってきた。


「シャノアがそんな風に恥ずかしがってるとこ見るの、初めてかもねー。……もしかして、お邪魔だったぁ?」


 カルマは唇に人差し指を当ててニヤリと笑う。含み笑いから察するに完全に冗談なのだろう。

 しかしながらそういう話題に弱いシャノアールは、一瞬で茹蛸のように真っ赤になった。


「ち、違いますっ! そういうのじゃないですからっ……!!」

「なーんだ、違うんだ。てっきりナハトさんがシャノアを自分好みに調教しようとしているのかと思ったんですけどー?」


 カルマはナハトへ視線を移す。次の標的は自分になったんだろう、とナハトは気付いた。

 とはいえ、この程度で恥ずかしがるようなナハトではない。代わりにシャノアールが恥ずかしさに身悶えしているが………ナハトは肩を竦めると苦笑いを浮かべる。


「偶然を装っておいてちゃっかり聞いてたんじゃないかよ」

「偶然と言えば偶然だったですよ? 仕事に戻ろうかなーと思った矢先のことだっただけで」

「確か『あれ、どーしたんですか?』とか言いながら入って来たよな、お宅?」

「う!? あーえーっと………そ、それで結局何の話をしてたんです?」


 軍配はナハトに上がったようだ。カルマは露骨に視線を泳がせながら話題の転換を図る。


(こいつらがいつも何に金を使っているのかを把握しておくのも悪くない、か……?)


 ナハトは少し考えるような仕草を見せた後、カルマへ疑問を投げかけた。


「お宅は給料を何に使ってるんだ、カルマ?」

「え、お金の話してたんですか? よくそんな話題でシャノアを口説くような言葉が出てきましたねー……」

「成り行きに身を任せた結果だ。これも商人に必要不可欠な交渉術の一つだよ」


 何の感情も見せない口調に、シャノアールは少し肩を落としていた。もちろんナハトは気に留めない。


「そうですね、あたしはおやつとかよく買いますよ。陣書きの仕事って結構面倒ですからねー。あとは本を買ったり?」

「本? お宅が本読んでるところなんて見たことないぞ」

「そりゃそーですよ! ナハトさん、あたしと休憩被せたことなんて一度もないじゃないですか! そんなにあたしが嫌いですか!?」

「いや、嫌いってわけじゃ―――」

「そ、そういえば、私とも休憩を被せたことないですよね………?」


 私のことも嫌いなんですか……? なんて含みを持たせたような顔色を窺う声音でシャノアールがナハトに尋ねる。

 二人の勘違いにナハトは頭を抱えた。


「違うって言ってるだろ……。そもそも、俺は休憩なんて取らないぜ? 店の経営が明日の生活に直結してるんだ、休んでる暇なんてないんだよ」

「あ、言われてみれば納得ですね。だから夜中も根詰めて魔具を作ってるんですか」

「………どうして知ってる? 良い子は寝てる時間のはずだぞ?」

「あたしは寝付きが良い方じゃないので、毎晩眠くなるまで本を読むことにしてるんですよ。それである日物音が製作室から聞こえたから様子を見に行ったら、ナハトさんが魔具を作ってるところを目撃したってわけです」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ