3-1 ~長夜の攻略~ ナハト
その日、ナハトとカルマは朝から魔具製作室に詰めていた。
理由は簡単。今日がタバサ主導の《大地信仰》襲撃当日だからであり、二人は魔法人形よりも高性能な魔導生命体である魔法従者を生み出すための魔具《魔法従者創造》の魔法の札の製作真っ最中だからである。
とは言え、大体の部分は出来上がっている。ナハトの十八番である《魔法人形創造》の魔法の札と同じく、発動場所によって生成される魔法従者の種類が変化する効力はそのままに、魔法人形よりも幾分かスリムになったフォルムや素早い動作など、必要最低限の要素は持っていた。
残す作業は無駄な魔力を注がないようにするための魔法陣の欠落など、細かいところが幾つか。そういうわけで、実際に根詰めて作業を行っているのはカルマだけなのだが。
ナハトはといえば、カルマの隣で自身が製作している魔剣のレプリカを弄っていた。ほぼ完成状態にある魔具の試用などは片手間に出来るので、レプリカの開発の合間合間に試用を手伝っているのだ。
試用人であるはずのシャノアールにはドヴォラクの面倒を見させている。重傷を負っていて今日の襲撃に参加できないドヴォラクは今頃、宿屋二階でデカい図体を小さくしながら掃除に勤しんでいることだろう。
愉快なものだ、とナハトは口の端を少し上げる。あの蜥蜴人種の大勢の部下が生きていれば見せてやりたかった。
そんなことを考えながらカルマに視線を移す。
彼女はピンと尖った褐色の耳を小さく動かしながら、ああでもないこうでもない、と魔法の教本や自分のメモと照らし合わせて四苦八苦していた。まだ完璧な状態には程遠いらしい。だがナハトがやればすぐに終わるかと言えばそういうわけでもなく、同じようにうんうんと唸ることになるだろう。
(それに、俺の魔具を元にしたと言っても、これはカルマが自分で作る初めての魔具になるかもしれないからな。今更になって俺が手を出すのは野暮ってもんだろう)
一応、今日の夜のために大体完成している《魔法従者創造》の魔法の札は量産してセルジュへ渡しておいた。数は九枚。少量しか作れなかったのは、それだけ必要となる魔力の量が多いからだ。流石のナハトでも、一度に多量の魔力を消費すれば倦怠感が生じる。
何が起きるか分からない――それこそ都市に悪魔が溢れるかもしれない――今日の夜に備えるべく、不用意な疲弊は避けたかった。《魔法従者創造》の魔法の札に魔力を使ってしまったナハトは他の魔具も製作できず、手持ち無沙汰になって魔剣のレプリカの調整をしているというわけだ。
《傷つける魔の枝》のレプリカである《傷つける魔の贋作》は、レプリカとは言いつつも実物とは程遠い形状をしている。《傷つける魔の贋作》は剣の形状をしているが、《傷つける魔の枝》は単なる木の枝に見えるらしい。そんな本物は約十年前に掘り出され、リヴ魔法協会に買い取られたのだとか。
実物を見たことのないナハトは、魔剣と言うくらいなのだから魔法を放てる剣であるべきだ、という勝手な思い込みによって剣としても運用できるようにした。切れ味はカイが作るような業物やミルクークスが生成する『気』の剣よりも格段に悪いが、この都市に流通している刀剣の類では可もなく不可もなくといったところだろう。
代わりに、放つ魔法は非常に強力である。一つに、魔力があれば誰にでも扱える点。魔力を注がなければならない魔具は、魔法を起動する際に使用者の魔力適性にも依存するものだが、このレプリカは大掛かりな仕掛けを内部に組み込んであり、魔力があれば適性が無くとも魔法を起動できる。代わりに量産できないのだが、今のところ売り物にする予定はないためそれほど気にならない。
そしてもう一つに、言伝で耳にした《傷つける魔の枝》の解放とも遜色ないような威力。もちろん魔剣ではなく魔具であるからして使用者は結構な量の魔力を要求されるのだが、一般的な魔導士ならば日に何度も撃てるには撃てる。あのアクサナでさえ、限界まで魔力を溜めずに剣の魔法を放てば、彼女自身が魔法を詠唱するよりも何倍も強力な魔法を扱えるようになるだろう。
だからこの剣はフィアーレットでも運用できる―――しかし、あの快活な笑顔を思い出すと、そんなことはさせたくないという思いがこみ上げてくる。
「あ、ミルクークスさんじゃないですか。お久し振りです!」
ふと、そんな彼女の声が雑貨屋部分から聞こえてきた。しかも、いつぞやに狭間亭の雑貨屋部分を破壊して弁償もしないわ非礼も詫びないわで最悪な印象をナハトに植え付けた桃色の来訪を告げるではないか。
何故にそんな災厄のような女に対して明るく振る舞えるのだろうか、とナハトは眉を顰めるが、それがフィアーレットという少女だと思えば気も抜けてしまう。
「久し振り、フィアーレットちゃん。この前はすまなかったね。急で悪いんだけど、『雑貨屋』さんはいるかい?」
「はい。ちょっと待っててください」
どうやらミルクークスの目的はナハトらしい―――眉間に皺を寄せて露骨に嫌そうな顔をするも、隣でカルマが「呼ばれてますよー、ナハトさん」と言ってきたので、ナハトは渋々腰を上げた。どうせならカルマを出汁にしてミルクークスとの面会を拒絶したかったものだが、どうしてカルマは気が利かないのか、と責めるのは全くお門違いだろう。
仕方なしに、出来るだけ気だるそうに階段の横を通り過ぎると、カウンターから抜け出してこちらへやってくるフィアーレットが。
そんな彼女にカウンターへ戻るように指示し、ナハトは談話スペースに座る桃色の女を見つける。
「やあ。久し振りだね、『雑貨屋』さん」
「これはまた……意外な来客だな。まさかお宅がここに顔を出すとは」
ナハトはすかさず腰のポーチに手を添えた。《魔法人形創造》の魔法の札が入った逆さ開きのものだ。
相手は無手から武器を創り出して戦う戦士である。いま何も構えていないからと言って、襲い掛かって来ないとも限らない。一瞬でも隙を与えれば、瞬く間に武器を召喚して斬りかかってくる可能性は否めない。
剣呑な雰囲気を感じ取ったフィアーレットは、カウンターの内側でナハトとミルクークスを交互に見つめている。
そんな彼女に憐憫を抱いたかは定かではないが、ミルクークスは立ち上がると両の掌をナハトに見せた。
「待った待った。今日は別にアンタと殺し合いをしに来たってわけじゃないよ。少し話がしたくてね」
「俺には話したいことなんてないんだけどな。なんたってお宅は、問答無用でウチの従業員を殺そうとするような狂人なんだ」
「それについて否定するつもりはないね。謝るつもりもないけどさ」
ミルクークスは謝罪に来たと言うわけではないらしい。かと言ってナハトを殺しに来たわけでもないと言う。では目的はやはりレファリアなのだろうか。
幸運にも、レファリアは今、騎士学校で行われているという見回りの最中だ。狭間亭へは陽が暮れるころにならないと帰って来ない。今ここで戦闘になったとしても、フィアーレットやカルマが襲われる危険性はないだろうから、損害を被るのはナハトただ一人で済む。
ナハトはポーチに添える手に一層の力を込めた。
すると、敵対する意思の解消しないナハトを見て、ミルクークスは両手と共に視線も下げる。
「……アタイは、復讐を終えるまで人間は殺さないつもりだよ。だから、少なくとも今は、アンタのところの悪魔憑きに手を出すつもりはない。約束するよ」
ミルクークスの狙いは、あくまでも悪魔だけだということなのか。だから、まだ人間の意思を保っているレファリアには手を出さないということなのかもしれない。
その言葉にどこまでの信憑性があるかは疑問だが……少なくとも、ここ数日間でレファリアが一度も襲われなかったのは事実だ。彼女の実力があれば、レファリア一人の場合には確実に殺せるだろうというのに。
彼女も今日の夜の襲撃に加わるメンバーの一人である。だから協力者の一人であるナハトやその駒であるレファリアを無闇に殺すようなことはしないとは思える。いや、そんな愚行、東の国アビルからここまで《狂気》のリュイドベルを追ってくるような執念深い人間がするわけない、と断ずることも出来るはずだ。
「……どんな心境の変化かは知らないが、言質は取ったことだ、今だけは信じてやることにしよう。で、俺とどんな話がしたいって? まさか愛の告白をしに来たわけじゃないだろう?」
冗談めかしてポーチから手を離す。背後からは焼けるような視線が背中に突き刺さっている気がしないでもないが、これはきっと気のせいだ。
敵意を失くしたナハトに対し、ミルクークスもふっと緊張の糸を解いた。
「少し内密な話をね」言いつつ、周囲を眺める。「……ここじゃちょっと。他に良い場所はないかい?」
他人に聞かれたくないような内密な話となれば、今日の夜の襲撃のことだろう。確かに、それはナハトにとっても誰にも聞かれたくないことだった。様々な職種の人間が蔓延るこの都市では、どこに情報を売ることを生業とする人間が潜んでいるか分かったものではない。
ナハトは店番を続けるようにとフィアーレットへ軽く目配せしてから、階段を顎で示した。
「階段を上がれ。三階の部屋を使う」
ミルクークスは頷いて、手摺りが欠けたままの階段を上がる。その後ろをナハトも続いた。
二階に上がると廊下にシャノアールの姿がある。その目の前には開いている扉があり、中からは喉を鳴らすような声が聞こえて来た。その声に反応して、シャノアールは小さく微笑む。
二人が仲良くやっている――ドヴォラクが一方的に話しかけているだけかもしれないが――ようで一安心したナハトは、二人を邪魔しないため、出来るだけ足音を立てないように三階まで上がった。
宿屋部分は二階と三階で同じ構造をしている。階段を上がると部屋の長さの半分ほどの短い廊下があり、その先はT字に分れている。階段側には四部屋と物置が、対面には六部屋が並んでおり、廊下の端の片方には共用のトイレが存在する。
二階はロートスブレード一行が四部屋を予約しているのだが、三階の部屋はがらんどうだ。レファリアはナハトの部屋に、従業員の三人はその隣の部屋に泊めているため、三階の部屋を利用しているのは、現在はドヴォラク一人ということになる。
唯一、開店当初に駆け出しの女性パーティが利用していたくらいで、彼女らが最前線の村へと移動してしまってからはロートスブレードたちが来るまでほぼ宿泊客がいなかったと言っても過言ではない。
宿屋を営んでいる他の連中に聞かれれば哀れんだ目で見られること間違いなしだろうが、狭間亭は開店当初からこの調子なので、ナハトとしては今更悲しみも湧かなかった。
T字に突き当たると、二人は目の前の一室へ入る。
部屋の中も木造で、縦に長い小さ目の部屋だ。窓は一つ。その所為で部屋の中は薄暗いが、この都市ではどこも同じようなものである。一応、神気領域を用いたランプの有料貸し出しは行っているが、利用者がいないのは口に出すまでもない。
家具は腰くらいまでの棚と複合型の机。その上には大きめの鏡が置いてあり、椅子は一つだけ。ベッドは二段ベッドになっており、部屋の収容人数は二人を想定している。それにしては狭すぎる気がしないでもないが、開拓者など酒盛りや何やらでどうせ夜にならないと帰って来ないのだから、寝るスペースさえ確保しておけば文句はないだろう。それに、ロートスブレードのような金持ちは一人で一部屋を使うだろうから。
「広いんだね、意外と」
「客がいないからそう感じるんだよ」
皮肉ではないだろうが、後ろ手に扉の鍵を掛けながらナハトは平坦な声で答えた。
実際ミルクークスの言う通りで、狭間亭は駆け出しの商人が宿屋を始めるには大きすぎる面積を誇っている。
今となっては通り名が付くほど有名なナハトだが、移住当時は誰しも無名なものだ。しかし商人会へ魔具師・雑貨屋・宿屋の三種の複合店舗を経営したいと申請を出したところ、拍子抜けするくらい簡単に申請が通ってしまった。
もちろん、これはナハトの力ではない――おおよそ、両親かサミュのお蔭だろう――のだが、今現在まで狭間亭が潰れていないのはナハトの力量そのものである。付け加えれば、ナハトの魔具師としての力量、だが。




