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狭間のアンテルヴァル  作者: 小木雲 鷹結
無貌の者たち(上)
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2-3 アクサナ

「――ねぇ、狐のお姉さん。ここで何してんの?」

「はうぅっ!?」


 不意に肩を叩かれ、小声で悲鳴を上げるアクサナ。びくりと震えた瞬間に二つのフサフサの尻尾も逆立った。


「ちょ、ちょっとお姉ちゃん。急に後ろから声を掛けたら驚いちゃうよ」


 続いてもう一つ声がする。一つ目とは違う少女のような声だ。

 肩に置かれた手から逃げるようにしてアクサナは咄嗟に振り返る。

 ――その瞬間、背中が触れてしまった院長室のドアが音を立てて閉まった。


(いぃ!? や、やっちゃったかも……!?)


 自分が盗み聞きをしていたことがばれたかもしれない―――高鳴る心臓の鼓動に息を呑み、耳をそばだてて部屋の中の様子を窺う。


「……ああ、心配なさらず。私の部下に外の見張りをさせていますので……」


 ドア越しに全身鎧(フルプレート)の男の声が聞こえた。どうやらドアが開いていることに見張りが気付き閉めたのだと勘違いしたようだ。

 自分の存在はばれていないことに安堵したアクサナは、目の前にいる二人に感謝を述べる。


「いやー、助かったよ。危うくばれるところだったぁ」


 院長室を、それも見張りを付けるような話を盗み聞きしていたとなればどうなるか分かったものではない。それでも見張りに感謝するのはお門違いな気がするが………。

 無論、言われた二人は何のことだか分からないといった様子で顔を見合わせていた。


「え? 何が助かったって?」

「私の魔導士生命が助かりました。盗み聞きをしていたことが院長に知られたら大変なことになってたかもしれないし。というか一度なったし」

「いや、その……ボクたち、この部屋の見張りなんですけど」

「うんうん、分かってるよ。二人が見張りをしてくれてなかったら『誰だッ、そこにいるのはッ!?』ってなって捕まってたかもしれないからね!」


 完全に安堵の表情を浮かべるアクサナに、見張りの二人は再び顔を見合わせた。……何を言っているんだこの女は、とでも言いたげな表情で。


「狐のお姉さん、ウチらの言っていること分かってる? というかそもそも、自分の置かれた状況分かってる?」


 アクサナに一歩詰めよって問うたのは、薄い青緑色の髪を持つ少女。背から覗く、魔力で形成された半透明の膜のような翼から妖翼種(フェアリー)であると判断できる。左腕には上腕部から包帯が巻かれていてどうなっているのかは分からないが、少なくとも手首から先は義手であった。そして背部の腰の位置には一本の剣が吊り下げられている。

 勝ち気な妖精種(フェアリー)()くし立てるように続けた。


「ウチらはこの部屋の見張り。それは分かってるんでしょ? ウチらなら狐のお姉さんを、灰狼騎士団の名の下にとっ捕まえることも出来るんだけど?」

「お姉ちゃん。駄目だよ、そんな言葉遣いしたら。またフェインさんに嫌われちゃうよ?」


 彼女を諌めるのはもう一人の見張りだ。声と同じく仕草もどこか可愛らしさを醸し出している。もう一人の見張りの少女を『お姉ちゃん』と呼んでいるからには血縁関係にあるのだろう、こちらも同じく妖精種(フェアリー)であった。金色がかった緑の髪は目にかからない位置で切りそろえられており、まるで少年のように感じさせる出で立ちである。

 こちらの妖精種(フェアリー)はアクサナの顔を窺うように慎重に言葉を続けた。


「でも……お姉ちゃんの言うことも確かなんです。ボクたちは狐のお姉さん……さんを捕まえないといけなくなるかもで」

「ちょっと待った!」

「何? 捕まるのが嫌だ? 命乞いでもする?」

「私には『狐のお姉さん』じゃなくて、アクサナって名前があるんですっ!」

「え、そこ!?」

「あ………ご、ごめんなさい、アクサナさん」


 ぺこりと頭を下げる二人目の妖精種(フェアリー)

 申し訳ないという気持ちが表情から溢れ出ている。


「じゃあ、ボクたちも自己紹介したほうがいいですか……?」

「ちょっとフェレス! 不埒者に語る名前も無いでしょ、まったく!」

「えぇ!? でもフェインさんは、初めて会った人には挨拶しなさいって言ってたよ?」


 先程から名前が出ているフェインというのはこの二人の上司なのだろうか? もしかすると育ての親なのかもしれない。それなら嫌われたくないというのも納得できる。

 自己紹介するかしないかで言い争いをしている二人を遮るように、アクサナは口を開いた。


「フェレスちゃんの言う通り、初対面で自己紹介しないのは少し礼に欠いてるとお姉さんは思いますなぁ」


 言った瞬間、二人は勢いよくアクサナを振り返る。


「ど、どうしてボクの名前を知ってるんですか……!?」

「言ってたし、お姉ちゃんが」

「お姉ちゃん言うなッ! ウチにはメフィスって名前がある!」

「うんうん。メフィスちゃんにフェレスちゃんね。よろしく!」


 なんて能天気な性格なのだろうか、アクサナは二人の手を取ると大きく上下に振った。

 フェレスは恥ずかしそうに握手に応じる。が、メフィスはアクサナの手を振り払った。


「よろしくじゃないからッ! アンタはウチらに捕まるかもしれないんだよ? 分かってる?」


 子供のような対応をされるのが嫌なのだろうか、メフィスはアクサナに脅しをかける。

 しかしアクサナは嬉しそうに尻尾を振っていた。


「そのことなんだけどね。別に捕まえてくれてもいいよ?」

「…………は?」


 思いがけない返事に、メフィスは素っ頓狂な声を出す。先程まで顔を赤らめていたフェレスも今は驚きに目を見張っていた。

 二人の反応が面白く、アクサナの尻尾もさらに激しく左右に揺れる。


「あ、あの、本当にいいんですか……? 騎士団に捕まったってなったら外聞も悪くなると思いますけど」

「あーいや、本当に捕まるつもりはないからね、私も」

「はぁ? ……頭沸いてるんじゃないの?」

「むふふー。じゃあ少し考えてみようか!」


 アクサナは二人に向かって人差し指を立てた。


「メフィスちゃんとフェレスちゃんに私が捕まるとするよね? そうすると私が盗み聞きしていたことが発覚する」

「そんなの当たり前じゃん。そのためにアンタを捕まえるんだから」

「そうだよね。でも私が盗み聞きをしていたってことは、二人がちゃんと見張りをしていなかったこともばれちゃうわけですよ」


 にやり。アクサナは不敵な笑みを見せる。……いや、本当に楽しいのだろう。尻尾が異様に揺れている。

 そんな彼女の言葉を聞いたメフィスとフェレスは、まるで石になったかのように固まった。

 数秒の沈黙が過ぎ去った後、フェレスが口だけを動かす。


「……そ、それは……ボクたちを脅しているってことですか……?」

「そだよ? 私も捕まりたくないからね」


 満面の笑みでアクサナは答えた。

 彼女の目の前で見張り組は顔を見合わせる。その表情には戸惑いが浮かんでいることがありありと見て取れた。


(こんな屁理屈みたいなことで言い負かせられるとは思ってもみませんでしたなぁ。ま、子供相手だし心配する必要もないか)


 子供相手に脅しをかけている自分は恥ずかしくないのか、と問いただしたくなる気もするが、そんなことを気にしているのなら笑顔で尻尾を振ることもないだろう。

 喜色満面で二人を眺めているアクサナの前で二人は徐々に表情を変化させていく。メフィスは怒りへ、フェレスは怯えへ。


「そ、そんな脅しウチらに通用すると思ってるの!?」

「うん。滅茶苦茶動揺してるし」

「そ、そうだよ、お姉ちゃん。ボクたちがお菓子をもらいに行っていたこと、フェインさんにもばれちゃうよ……!」

「べ、別にフェインにばれるのは……良くはないけど………」

「………ミュシェさんにも怒られるかも」

「う……………」


 フェレスの言葉に言葉を詰まらせるメフィス。先程までの強気な表情はどこへやら、眉を八の字に寄せて渋面を作っていた。それほどミュシェという人物は怖い人なのだろう。灰狼騎士団を相手にするときはミュシェという名前には気を付けておこう、とアクサナは心に刻み込んだ。

 再度沈黙が訪れる。廊下には静寂が横たわっていた。


「………ねぇ、アクサナ」


 沈黙を破ったのはメフィスだ。


「……ウチらはアンタを捕まえない。だからアンタもこのことは誰にも言わないこと。いい?」


 メフィスは出来るだけ低い声を出してアクサナを威圧しようとする。手は背中の剣に添えられているが、抜く気が無いだろうことはアクサナにも理解できた。これは所詮脅しなのだ。

 しかしアクサナにとっても益のある提案のため、反発するわけもない。


「全然大丈夫! この部屋で聞いたことは誰にも言わないから。……あ、もちろん、二人がお菓子をもらいに行っていたことも、ね?」

「あ、当たり前だろッ!! からかうなよッ!!」


 前のめりになり左腕を突き出すメフィス。金属音が殆ど聞こえなかったことから、彼女の義手はかなり良いものだと分かる。

 アクサナの言葉にフェレスは救われたようで、大きなため息とともに肩を落とした。


「あの、それじゃ―――」

「こんなところにいたんですね、アクサナ!」


 フェレスの言葉を遮って、アクサナの背後から怒気を孕んだ大きな声で名前を呼ぶ声が聞こえる。次いで大きな足音。院長室のある管理棟の廊下は他の研究棟よりも狭いと言えど足音が反響するほどではない。つまりこの音の発生源は怒りに任せて床を鳴らしているのだと、能天気なアクサナにも理解できた。

 振り返ると、そこには自分と同じく魔導院の制服とイティスの徽章(きしょう)を身に着けた女性が立っている。


「あ、シュノ。こんなところでどしたの?」


 アクサナは努めて冷静に、普段通りの態度で友人へと声をかけた。

 しかし、その何も反省していないかのような態度がシュノの癇に障ったのかもしれない。


「『どしたの?』じゃないですっ! 次の授業はもう始まってるのに、実験に使う道具を持ってくるはずのアクサナが来ないから探しに来たんですよ!!」

「え? …………あああ!? わ、忘れてた!!」


 アクサナは慌てて足元に置いておいた木箱を持ち上げる。薬瓶同士が軽く音を立てた。

 中を覗き込み薬瓶が割れていないことを確認するとシュノへと向き直る。


「急ごう! 授業が始まっちゃう!」

「始まってるって言ってますっ!」


 怒るシュノに急かされるようにして、アクサナとシュノは管理棟の廊下を駆けだした。

 掲示板には『廊下は走らないように』と大きな文字で書かれた貼り紙がしてあったが、そんなことは気にしていられない。

 こんな時に空間を移動する転移系の魔法が使えたら――アクサナは魔法の勉強を今まで以上に頑張ろうと心に決めた。無論、明日になれば忘れるのだが。


「おーい! さっきの約束忘れるなよなー!!」


 後ろから声が聞こえてきた。きっとメフィスだろう。

 両手の塞がっているアクサナは代わりに尻尾を振って返事とした。

 授業が行われるイティスの研究棟へと走る二人は院長室のある管理棟から外へ出る。


「院長室の前で何やってたんです? ………まさか、また覗き見してたわけじゃないないですよね?」


 並走するシュノがアクサナをジト目で睨んだ。道具を運んでいない分、シュノの方が少しだけ余裕があるようだ。

 また、という言葉から分かる通り、アクサナは今までに何度か院長室を覗いていた。その都度お叱りを受けていたのだが、異端系魔法に興味を持つようになったのは院長室での会話が原因なのだ。故に情報を得られるかもしれないと思うと、どうしても盗み聞きは止められないのである。

 しかし今回は灰狼騎士団の二人と交わした約束を無下にするわけにもいかない。アクサナは持ち前のポーカーフェイスで何事もなかったかのように(うそぶ)いた。


「別に何もー? あの子たちと話してたら時間が過ぎちゃっただけさね」


 アクサナが言い訳するのはいつものことだ。それが分かっているシュノは眉根を寄せることすらせず、呆れ顔でため息を吐く。


「本当に? ……別にいいですけどね。授業のことは忘れてたかもしれないですけど、五日後のテストは忘れないようにしてくださいね」

「……………え?」


 走りながらも表情が固まるアクサナ。


「……まさかとは思いますけど、もう忘れてるわけじゃないですよね?」

「あ、当たり前だよー。………い、一応聞いておくけど……何のテスト?」


 動揺している所為で上手く表情が制御できないのか、笑顔で不安そうな声を出す。

 そんなアクサナに、シュノは再びため息を漏らした。


「魔具の知識と運用のテストです。道具関係は苦手でしたよね?」

「そんな………まさか………」


 テストの内容を聞いた途端にアクサナの足取りが重くなった。シュノは背後に回り込み、アクサナの背中を押す。

 目の前にはイティスの研究棟が聳え立っていた。


「ほら、もう少しだから頑張って下さいっ! ………まったく、ちゃんと勉強しておいた方がいいですよ? 前にやった魔具のテストだって落第寸前でしたもんね」

「た、確かに………」


 二人はイティスの研究棟へ入ると、目的の講義室がある二階へと向かう。

 木製の床を踏み慣らすと、石造りとはまた違う優しい音色が鼓膜を揺らす。同時に箱の中で薬瓶がぶつかり合う音が響くが、会話に夢中な二人はそれに気付かない。


「一応言っておきますけど、今回もかなり重要なテストですよ? 何と言っても、あのミルールイ先生が実施するんですからね」

「むむむ……あの鬼畜教師め。授業は適当なくせにテストで合格点を取れないと落第とか、厳しすぎるっすよ………」


 そこでアクサナはふと閃いた。


「あ、そういえば次の授業ってミルールイ先生だっけ?」

「はい、そうですよ? ………なに、また何か思いついたんですか?」

「ふっふっふ。次の授業でおべっか使えばテストで少しミスをしても許されるはずでありますです!」

「その授業に使う材料を持って遅刻しているのはどこの誰でしたっけー?」

「…………。……ま、まずはこの荷物を無事に講義室へ送り届けることにするであります」


 軽口を叩きながら二人は目的の教室へ入る。

 ―――アクサナの持つ木箱には『衝撃注意。破裂する恐れがあります』と書かれた紙が貼ってあった。


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