2-17 セルジュ
「初めまして、だな。お宅は俺のことをよく知っているようだし、互いに自己紹介は無しにしようぜ」
若輩ながら安価で性能の良い魔具を開発し、『雑貨屋』として都市にその名を轟かせた魔具師、ナハト。
いつぞやは《深淵歩き》に敵対していたはずの彼が、今はこの場でセルジュに向かって笑顔を見せていた。
「どうしてテメェが……!?」
セルジュはそれ以上何もいうことが出来ず、瞠目する。
まさか、タバサやゼルヴィングは《深淵歩き》を完膚なきまでに叩き潰すために協力するなどと言っていたのではないだろうか。それも全て、『雑貨屋』の依頼によって。
(また俺様は、この男のいいように操られていたとでも言うのか?)
警戒の色を強めるセルジュは椅子から立ち上がって中腰になる。反射的にそれだけの行動が取れるのは、セルジュがドヴォラクも認める猛者だからだろう。
しかし『雑貨屋』は肩を竦めて苦笑いを見せた。
「単純に《狂気》のリュイドベルに借りがあるんだが……もちろん、それだけじゃないさ。こう見えても俺は商人でね、ある人物と契約をしてるんだ」
「ある人物、だと……?」
驚かされてばかりのセルジュがどうにかそれだけ言うと、『雑貨屋』は背後の闇に手招きする。
一体どれだけの人間がその闇に隠れていたのか。そんなどうでもいい疑問は、すぐにセルジュの脳内から消え失せる。
「よぅ、セルジュ。変わらず粋がってるようで安心したぜ」
その声には、聞き覚えがあった。
いや、聞き覚えなんて程度じゃない。耳にこびりついて離れないほど聞いて聞いて聞き飽きた声。
喉を鳴らすような種族特有の、しかしその種族にしてはえらく流暢に喋る蜥蜴人種の大男。
暗闇から出て来た深緑の鱗を、セルジュは知っていた。
「……ドヴォラク!? テメェ、死んだんじゃ―――」
「人を勝手に殺すんじゃねぇよ。あの程度で俺が死ぬわけねぇだろぅ? ……と言いてぇところだが、実は一度、死の淵を彷徨ったらしくてな。今はこの通りだぜ」
ガラガラ、とくぐもった笑いを響かせるドヴォラクが両手を広げると、ブレストプレートを外した彼の身体は至る所を包帯で保護されていた。蜥蜴人種が誇る深緑色をした天然の鎧が埋め尽くされるほどだ。それはおそらく、傷口付近の鱗が剥がれ落ちないようにするための配慮だろう。
訊けばあの夜、セルジュの予想通りにドヴォラクは悪魔と抗戦を始め、第六階位悪魔らしき個体に打ち伏せられたのだとか。そこを恐ろしく強い人間に助けられ、今は『雑貨屋』の経営する狭間亭で世話になっているらしい。
ドヴォラクから掻い摘んで事の顛末を聞いたセルジュが椅子に身体を預けると、『雑貨屋』はドヴォラクの隣に進み出る。
「そういうことだ。俺はこの蜥蜴人種と契約を交わし、お宅に力を貸すように頼まれた。で、いいところに《大地信仰》を狙っていた情報屋がいたわけだ。そりゃ、利用するしかないだろ?」
「今回は利害の一致ということでお金は取らないけれどね。ああ、相互扶助とはなんと良い響きだろうか!」
タバサは大袈裟に天を仰いで神に感謝してみせる。それがあまりにワザとらしく、セルジュは唾を吐き捨てた。どうせこの男は無神論者だ。
「ほざいてやがれ。……で、テメェが直接戦うわけじゃねェんだろ?」
「当たり前だ。そもそも俺は戦士じゃなくて魔具師だからな」
協力と言うからには何か役に立つ魔具でも提供してくれるのではないかと考えていたセルジュの予想は当たり、『雑貨屋』は腰のポーチを慎重に開けると一括りにされた紙の束を差し出してくる。羊皮紙のように分厚い紙ではなく、魔具の製作に使われるような色の付いた薄い高級紙だ。
「こいつは……《魔法人形創造》の魔法の札か?」
「ご名答。そこに四十枚ある。あと、その札に強化を加えた魔具を数枚供給できる予定だ。予定はあくまで予定だが」
襲撃当日までには用意しておくつもりだから期待しておけ、と『雑貨屋』は口角を上げた。
そこにタバサが説明を重ねる。
「それに加えて、馬車を包囲する人員が足りなければ見回りの学生騎士も巻き込むつもりだよ。番犬騎士の方は……まぁ、役に立たないだろうけれど一応、って感じかな。基本的にはもう一つの方に行ってもらうことになるだろうけれど」
もう一つの方、という言葉にセルジュは反応しかけるが、口を噤んだ。タバサの考えることはセルジュのような肉体労働者に分かるわけもないだろうと思ったからだ。
もう一つと言うからには他の攻撃目標があるのだろうが、それはセルジュには関係のないこと。タバサがどんな策をめぐらせていようと、セルジュが関わるのは、関わることが許されているのはユーリアとリーゼロッテが乗った馬車を襲撃することだけなのだ。
大人しく話を聞いていたドヴォラクは、タバサの説明が一段落すると口を開いた。
「なぁおい。やっぱり俺も参加して―――」
「止めとけよ老いぼれ。今のお宅じゃ役立たずどころか足手纏いにしかならないぞ。それとも何か、そこにいるお宅の大事な仲間の足を引っ張るのが至福の一時なのか?」
「んなわけねぇだろう、若造めが。お前さん、本当に口が悪ぃな」
「お褒めに与り光栄だよ、蜥蜴人種」
不服そうに『雑貨屋』を睨むドヴォラク。その隣で彼は素知らぬ顔を見せていた。
「……いや、今回ばかりは『雑貨屋』の言う通りだ。邪魔すんじゃねェぞ、ドヴォラク。テメェはそこで指をくわえてチビ共の無事でも祈ってやがれ」
「なんだなんだ、最近の若ぇもんは老人の扱い方も知らねぇのか?」
セルジュも『雑貨屋』の言に乗っかって嫌味交じりに彼の参加を拒否すると、ドヴォラクは半眼で睨んで来る。それでもまったく堪えないのは、セルジュが場慣れしているからか、あるいはドヴォラクが他人を睨むことに慣れていないからか。
下らないことを考えているセルジュの前で、『雑貨屋』が思い出したかのように口を開いた。
「そうそう、老いぼれの代わりに一人だけ派遣してやる。お宅も良く知ってる、黒いローブに全身を包んだ小僧だ」
黒いローブに全身を包んだ小僧―――それは、いつかセルジュに敗北を味あわせた餓鬼。
《深淵歩き》を『足元の蟻』と称した雑種。
「ッ……!? どうしてテメェが―――」
「偶然だぜ、セルジュ」
前傾姿勢をとるセルジュに、ドヴォラクが優しく声を掛ける。
「あちらさんにはあちらさんの事情があったってぇこった。今はそれをとやかく言うべきじゃねぇ。あの餓鬼んちょが事の発端だったのは揺るぎねぇ事実だが、現状じゃあ頼りがいのある味方に早変わりだ。……人生ってのは何が起きるか分からねぇ。その時々で身の振る舞い方を変えなけりゃ、死んじまうのはお前さんの方だぜ、セルジュ?」
俺のようにな、とドヴォラクは自分の言葉を締めくくる。
ドヴォラクは死んでしまったわけではないが、死を覚悟するに至ったのは事実だ。身の振る舞い方を違え、ユーリアとリーゼロッテを助けるために《大地信仰》に強く出てしまった。その所為で悪の尖兵たちを相手に拳を交えることとなり、死の淵を彷徨った。そういう意味では、彼の言葉には非常に説得力がある。
だが、元を正せば全ての発端は件の餓鬼だろう。
ユーリアを傷つけ、二人が囚われる原因となった存在。そんな人間と、これから仲間として共に戦わなければならないことを、果たしてセルジュは受け入れられるか。
「…………」
セルジュはドヴォラクを、そしてその隣に立つ『雑貨屋』を見やる。
思えば、《深淵歩き》は『雑貨屋』に敵対していたのだ。もちろん『雑貨屋』の従業員に手を出してしまったのも、彼の情報収集能力を甘く見ていたのも全て《深淵歩き》が悪いのだろうが、どんなことが原因でも一度敵対関係になったからには相手が赦しを請うたとしても徹底的に潰す。それが《深淵歩き》で地方統括を任されるドヴォラクのやり方だった。
だが、今はそのドヴォラクが『雑貨屋』に、セルジュを助けてくれるよう依頼した。いや、金など《大地信仰》にふんだくられて銅貨一枚も残っていないのだから、依頼なんてものじゃないだろう。彼は『雑貨屋』に、自分の身を対価として頼み込んだに違いない。
敵対していたはずの『雑貨屋』に、《深淵歩き》の地方統括が頭を下げた―――
(……それも違ェな)
ドヴォラクは《深淵歩き》の地方統括としてではなく、ユーリアとリーゼロッテを想う一人の人間として『雑貨屋』に頭を下げたのだ。今まで築いてきた地位など投げ捨ててでも、二人を助けたいと考えたのだろう。
ならば、自分はどうするべきか。
「…………。……ああ、分かった。胸糞悪ィが貴重な戦力だ、ありがたく頂戴してやる」
ならば、自分は彼に恩を返さなければ。そして、散々虚仮にしてくれた連中をぶっ潰さなければ。
拳を握りしめたセルジュは、『雑貨屋』に犬歯剥き出しの笑顔を見せる。対して彼もこの地下の闇に相応しい邪悪な笑みを見せた。
「決まったね。それじゃ、決行は二日後の深夜ということで。また招集をかけるつもりだから、その時に最終確認を行おうか」
最後に、タバサが嬉しそうにそう言った。




