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狭間のアンテルヴァル  作者: 小木雲 鷹結
無貌の者たち(下)
71/112

2-10 フェイン

 私室の扉を開けたフェインが真っ先に目にしたものは、ベッドの上で苦しげに横たわるメフィスだった。

 身体のいたるところに傷を負っているらしく、ガーゼや包帯などで肌は埋め尽くされている。妖翼種(フェアリー)特有の魔力の羽は弱弱しく小さくなり、魔力の枯渇と身体的な疲労が同時に引き起こされたであろうことは明白であった。

 それほどまでに徹底抗戦して、守れたのは彼女自身だけだったということだろう。

 フェインは浅はかな自分の考えを悔いる。《鮮血》のバーニスにばれること前提でメフィスとフェレスを監視につけていたが、よもや向こうから仕掛けてくるとは思っていなかったし、二人が逃げ出すことすら出来ないほどの戦力を投入してくるなど予想外に過ぎた。


「……容態はどうだ?」


 目を閉じて浅い呼吸を繰り返すメフィスから目を逸らすように、フェインは彼女の(そば)の椅子に座っているメルルに訊く。


「……傷は酷いけど、命に別状はない。っても、メフィスを連れて来た騎士が治療院に運んでなけりゃ危なかっただろうけど」

「騎士?」

「……調停騎士だよ。今は外に出した。女の子の部屋に置いておくわけにもいかないし」


 調停騎士……ということは、シンガイの相棒を務めている騎士のことか。


「そうか。後で礼を言っておくことにしよう」


 しかし今はそれどころではない。礼ならばあとでゆっくりと何度でも言うことが出来るだろうが、いなくなってしまったフェレスの身は今も危険に晒されている可能性が高いのだから。

 フェインがベッドの近くによると、メルルは席を立った。フェインを座らせるためだろう。痛ましい表情でメフィスを見ているミュシェも、フェインより先に声を掛けるわけにいかないと思ったのかメフィスの傍には寄らずに立ち尽くしていた。

 彼女らの意を汲んでメルルと場所を入れ替わると、フェインはメフィスに小さく声を掛ける。


「メフィス」

「……ん……フェイン、か……?」


 彼女は目を開けないまま消え入りそうな声で訊き返して来た。

 その行動に不安を抱き、フェインはメルルを振り返る。


「……疲労で目を開けられないだけ」

「そうか……」

「……でも、もしかすると」

「…………」


 視線を逸らし、メルルは先を紡がなかった。だが、言わんとすることは分かる。

 分かるに決まっている。

 彼女の瞳はもう―――もう、光を映すことはないのだろう。

 閉じられた二つの(まぶた)には大きな傷は残っていなかった。治療院に運ばれたということは、きっと《重傷治癒(へヴィ・ヒーリング)》の魔法で治癒したのだろう。

 しかしながら、たとえ回復系最上位の魔法であっても自然治癒力を高めることしか出来ない。時間経過で治らないものは永遠に治ることはないのだ。千切れた腕が自然に生えてくることがないように、視力に代表されるような神経系は治癒できる可能性が極端に低い。

 自責の念を覚えざるを得なかった。部下をこのような状態にし、何が団長なのか。何が悪魔狩りなのか。

 何が《灰狼》で、何が英雄なのか。


(…………全て後回しだ)


 奥歯を力いっぱいに噛み締め、湧き上がってくる全ての負の感情を押し殺す。

 フェインは動かなくなったメフィスの左手を、我が子に接するように愛おしそうに撫でた。


「傷はもう平気か?」

「止血はしてもらった。まだちょっと痛いけど……まぁ、なんとか」

「無理はするな。俺たちはいつも(そば)にいる」

「……そっか」


 ポツリと、悲しげな声。

 その姿に熱いものがこみ上げてきて、フェインは何も言えなかった。言う資格があるのか、疑問だった。


「……そこにいるんだよな、フェイン?」


 再び、今までに聞いたことのないような、メフィスの小さな声。


「ああ。ああ。もちろんだ。どうした? 何かあったか?」

「いや、さ。別に……アレだけど…………」

「何だ? 何でも言ってくれ」


 ほんのりと頬を赤らめたメフィスはもごもごと口を動かした。何かを言いたいのに言う決心がつかない、そんな感じだ。

 そんな彼女は、まるで恋する少女のようだった。こんな状況にならなければ彼女のいじらしい一面を見ることが出来ないなんて、神はなんたる皮肉をフェインに与えるのだろう。

 無論、フェインにそんな神を責める資格などないのだが。


「大丈夫だ。私たちはここにいる。何だって構わないさ」

「……じゃ、じゃあ、さ。頭、撫でてくれない……?」


 返答するよりも先に、フェインの手はメフィスの頭へ伸びていた。

 今までで一番優しく彼女を撫でる。我が子を愛するような愛おしさや、我が子を守る強さを込めて―――そして、守ることが出来なかった悔しさを載せて。

 数度頭頂部から額まで撫で下ろしてやると、メフィスは小さく「……ありがとう」と口にした。


「もう大丈夫だ。もう、大丈夫……」


 言い聞かせるように呟くと、彼女は大きく深呼吸をする。


「……フェレスのことだけど」


 肺の中の空気をすべて吐き出したメフィスが、そう、切り出した。


「守れなかった」

「……ああ」

「……守れなかったよ」

「……分かった」

「……ぅあ……ヒック…………ウ、ウチは……ウチはフェレスをッ……!」

「もういい。いいんだ、メフィス」


 嗚咽と共に閉じられた瞳から流れ落ちる透明の液体を、フェインは手で拭ってやる。だが綺麗なその透明は止めどなく溢れてきて、拭いきれなかった分が頬をを伝い、やがてシーツにポツリと染みを作った。


「なんで……なんでウチを、責め、ないんだよぉッ……! ……ウチ、が、フェレスが、連れ、て行かれて……ウチは―――」

「全て私の責任だ。お前は何も悪くない。指示を出したのも、お前たち二人を守れなかったのも、全て私が悪い」


 濡れゆく頬を繰り返し撫ぜてやると、彼女は声を押し殺し、フェインの手の甲に顔を押し付けて泣いた。時折響く嗚咽が、一番悔しい思いをしたのは彼女であることをフェインにも分からせる。

 フェインはそれを受け入れた。彼女の感情も、自分の失態も、全てを受け入れ、その上で心を無にした。今すぐにでも《大地信仰》のバーニスを見つけ出して八つ裂きにしてやりたいところだが、団長であるフェインが冷静さを欠くわけにはいかないのだ。(はらわた)が煮えくり返る内心は、どこか冷静で冷徹な自分が抑え込んでくれるはず。

 〈死屍を越えて滅ぼすもの〉と戦った時もそうであったように。


(……最低な男だ、俺は)


 ベッドの上ですすり泣くメフィスは小さかった。いつものような男勝りの威勢はなく、その外見に見合った一人の少女であった。

 過去にフェインが見ていた彼女とは全く違う―――ただの駒ではない。


「……団長」


 背後からミュシェが声を掛けてくる。


「すぐにでも都市全域の犯罪組織に警告すべきですの。《大地信仰》に(くみ)する組織は全て報復対象である、と」

「…………」

「なんなら殴り込みをかけてもいいですのよ? この都市の全ての犯罪組織を潰していけば、いずれどこかで《大地信仰》との接点を見つけられるはずですの」

「……許可できない」

「どうしてですの!? メフィスがここまでやられて、フェレスは攫われたんですのよ!? どうして団長は、そんな風に冷静でいられますのっ!?」


 フェインは答えることが出来なかった。

 ミュシェの発言は到底実行に移すことが出来るようなものではない。この都市の犯罪組織の数が多すぎることもあるが、それ以前にここは商業都市なのだ。犯罪組織と言えど商いの一端を担っていることが多い。それらの組織を、犯罪に手を染めているという側面だけで淘汰していくことは、この都市に於いては赦されていることではないのである。

 しかし、フェインが答えることが出来なかったのはそれが理由ではない。そのことをミュシェに伝えたとき、フェインは自分の冷酷さを自覚してしまうことに抵抗を感じていたのだ。

 人としての感情を持っている自分とは正反対の、敵対する存在の命を刈り取る機械のような自分。それがあまりに人間らしくなく、そんな考えを抱けてしまっている自分に嫌気がさしていた。

 だが……それも団長の役目だろう、とフェインは思う。

 常に冷静さを欠くことなく、現状から最善に向かって指示を出すことが他者の命を預かる立場の役目ではないのか。たとえここでミュシェに嫌われようと、そして人として大切な何かを失おうと、フェインは灰狼騎士団長としての使命を果たさなければならないのだ。

 ゆっくりと重い唇を開く。

 そして振り返ることなく、ミュシェに返答しようとして、


「―――『我々は、私情で動くわけにはいかないのだ』」


 いつの間にか涙を止めていたメフィスが、嗚咽を堪えて代わりに答える。


「……だろ、フェイン?」


 彼女は口角を僅かに吊り上げる。その笑顔が無理矢理に作られたものであることは一目瞭然だった。

 その言葉は、いつかフェインが彼女に言った言葉だ。

 自らの復讐心のために動くわけにはいかない―――メフィスは、フェインの決意を自分の今と重ね合わせたのだろうか。


「……すまない、メフィス」


 自然と謝罪を口にしていた。それはメフィスの言葉を肯定していたからだろう。メフィスやフェレスを想う気持ち……それよりも団長としての責務が上回ってしまっていることを、暗に告げていた。

 ミュシェはメフィスが答えを口にしたことで黙り込んでしまった。被害の当事者に言われてしまっては返す言葉も見つからないのだろう。


「何が起きたんだ?」


 鼻をすするメフィスに、フェインは問う。


「……ウチらはいつも通り尾行してたんだ」


 目を閉じたまま、メフィスは口を開く。


「今日もそうだった。狭い路地に入って、何度か角を曲がって……そしたら急に悪魔が襲い掛かってきた。ウチはフェレスと協力して悪魔を倒してたんだけど、途中からデカいやつが現れ始めて……」


 滔々(とうとう)と清水のように湧き出る彼女の言葉がそこで一度途切れる。


「……一匹がフェレスを連れて行った。ウチはそれを追いかけようとして、その隙をもう一匹にやられたんだ。その衝撃で義手が壊れて……デカいやつはいなくなって片腕で悪魔と戦ってたんだけど、やっぱり駄目で。剣も折られた。死ぬかな、って思った時に、誰かが助けに来てくれたんだ」

「誰か? 調停騎士か?」

「その時にはもう目が開かなかったから分かんない。……けど、多分違う。言葉遣いはかなり荒っぽかったし、実際はウチを助けようとなんてしてなかったみたいだから……」


 でもそいつがいなかったら死んでたのは事実、とメフィスは悲しげに言った。

 メフィスを運んできたのは調停騎士だが……彼が戦闘に介入する前に、何者かが悪魔と交戦していたということか。では、それは一体?


(その男については調停騎士の方が詳しいだろうな)


 メフィスに問い(ただ)すべき情報ではないと思い抱き、フェインは最後の質問に移る。


「……フェレスがどこに行ったか、分かるか?」


 フェレスを守ることが出来なかったことを一番悔いているメフィスに訊くのも酷だろう。そんなことはフェインにも分かっていた。だが、フェレスが誰にどこへ連れて行かれたかを知っている可能性があるのは現場にいたメフィスただ一人なのだ。

 その可能性も望み薄だが―――実際、メフィスはフェインの言葉に首を振った。


「……全然。全く攻撃されてなかったからすぐに殺されるようなことはないと……思う、けど……」


 全く攻撃されていない、ということは連中の狙いはフェレスだったということか。となれば、利用価値があるうちはフェレスが生かされている可能性が高い。

 その“価値”など見当もつかないが……。


「分かった。後は私たちに任せて、お前はゆっくり休んでくれ」

「うん……」


 フェインは立ち上がる前にメフィスの頬を優しく撫でてやる。

 その行為に彼女は一瞬だけ顔を綻ばせ、しかし次の瞬間には引き締めていた。


「……フェレスを、頼む」


 小さく、悔しそうに、無念をひしひしと感じさせる声で、そう一言。


「ああ。必ず助け出す」


 見えてはいないだろうが、フェインは首を大きく縦に振って了解した。

 椅子から立ち上がると、フェインはミュシェに目配せをする。彼女もフェインの意を汲み取ったようで、フェインと交代に椅子に座った。そのままメフィスの手を握る。

 メルルに声を掛けることも忘れて調停騎士に話を聞くために部屋を出ようとすると、背後から声が掛けられた。


「……影が団長の部屋で待ってるってよ」


 扉に手を掛けながら立ち止まり、顔だけで振り返る。


「影も戻っているのか」


 問えば、メルルはこくんと頷いた。


「……丁度報告に来たらしい」

「内容は聞いているか?」

「……なんか、《大地信仰》に要人の移送計画があるって情報を手に入れた、とか言ってたけど?」


 至極興味無さそうなメルルの瞳。

 だが対照的に、フェインとミュシェは驚きに目を見張った。


「要人の移送……?」

「まさか、フェレスですの……?」


 可能性が無いとは言えなかった。いや、言うことは出来なかった。

 このタイミングで要人の移送などという情報だ。それがフェレスのことを指していないと誰が断ずることが出来ようか。

 というよりも、フェインたちはその情報に望みを託すことしか出来なかった。


「ミュシェ、メルル、お前たちはメフィスに付いていてやってくれ。俺は影と少し話してくる」


 二人の頷きを背中に感じながら、フェインは大股で自室へと向かった。


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