2-9 フェイン
「第一、双竜騎士団が全うすべき責務はなんら変わってない。そんな下らん説明をするためだけに我々をここに呼んだわけではないだろう?」
彼女はフェインへと視線を移した。
もちろんその程度の話をするために二人を呼んだわけもなく、フェインも頷いて見せる。
「ええ、もちろん。そしてここからはごく内密な話。……お二方は『雑貨屋』をご存知でしょうか?」
「もちろん知っておるとも。大鷲は領主の近衛騎士団、なれば領主と繋がりの深い商人会やそこに属する名立たる商人とも面識はあるものだ」
「その『雑貨屋』がどうかしたか?」
「《大地信仰》がこの都市で活動する理由は、彼だ」
瞬間、部屋の空気が凍り付いた。
単なる比喩表現ではあるが、中々に的を射た表現であると言えるだろう。応接室にいた全ての人間は凍ったように身動きを止めたし、先程まで活発だった部屋の雰囲気が急速に熱を失ったのだから。
数秒の間、沈黙の時間が過ぎ去ってゆく。
その沈黙を破ったのはゼグラだった。身じろぎ一つせずにフェインの発言を噛み砕いていた彼は、ようやく事態が呑みこめたようで小さく口を開く。
「つまり……どういうことなのだ?」
……再度沈黙。そして溜め息。
「阿呆が。これだから大鷲騎士は当てにならん」
やれやれ、と首を振りながら肩を竦めたのはロロネリアだ。
「要するに、『雑貨屋』は悪魔だと言いたいのだろう? それも連中が欲しがるような高位の悪魔」
呆れ顔で確認を取ってきた彼女に、フェインは頷きを返しながらも内心で驚嘆していた。
今の一言だけで『雑貨屋』が悪魔であることを理解し、さらには彼が高位の悪魔であることを指摘できるほど頭の切れる人間などそういない。だが、だからこそロロネリアは双竜騎士団という特殊な騎士団の副団長を任されているのだ、と思えば何の疑念も浮かんでこないだろう。
「その通りです。調査報告では、今までの魔具生産量などから推測して第四階位悪魔以上ではないかと」
「馬鹿馬鹿しい。そんなもの信じられるか」
しかし彼女はすぐさま否定を示した。
「根拠は何だ? 何故、人の形をした者が悪魔だと断定できる? もしも貴様らが、『雑貨屋』が《大地信仰》に狙われているという理由だけで奴を悪魔だと断じているのであれば、それは早計に思えるがな」
続けて早口に捲くし立てる。まるで『雑貨屋』が悪魔だと断じていることが間違いだとでも言うように。
しかしフェインにも根拠はあった。調査開始時こそ確信していなかったが、本人と接触した今となっては『雑貨屋』が悪魔であることは確定的である。
「ロロネリア殿の言う通り、我々が『雑貨屋』を悪魔だと断ずる明確な根拠は《大地信仰》に狙われていることしかありません」
「ならば―――」
「しかし、それ以上の根拠もないのです」
反論を許さずに、フェインは言葉を重ねた。
「適合者という単語をご存知ですか?」
「知らん」
ロロネリアは即答する。フェインはゼグラにも目を向けるが、彼も強面を崩さぬままに首を横に振った。
では、とフェインは口を切る。
「人間に酷く敵対的な悪魔ですが、一部の人間はそれらを従属ないし優位性を得ることが出来る。そういった能力を持つ者を適合者と呼ぶのです」
約二十年前、〈死屍を越えて滅ぼすもの〉と人間が死闘を繰り広げていた時代に発見された、悪魔を従えるという特別な能力を持つ人間―――適合者。
数は非常に少ないと言われているが、正確な人数は分かっていない。そもそも悪魔と邂逅すること自体が少ないのだから、潜在的な適合者の人数は非常に多いのかもしれない。
フェインの説明に、ゼグラは顎髭を擦りながら口を引き垂った。
「ふむ。となれば《大地信仰》にはその適合者とやらがいるわけだな」
「はい。そしてその適合者は、悪魔に対して非常に有利な能力を行使することが出来る。自身の力量よりも下位の悪魔を従属させることはもちろん、上位の悪魔の弱体化、そして相手が悪魔であるかを見極めることも可能です」
これらは、少なくとも現状で判明している適合者の能力である。全ての能力を行使できるとは限らないが、適合者は悪魔に呑まれることはなく、憑りつかれることもないのは確かだ。
そして、恐らくだが、《大地信仰》の教祖である《鮮血》のバーニスは非常に強い適合を持っている。見た者に『黒い波』と言わしめるほど大量の第七階位悪魔を支配下に置くことが出来たのがその証拠だろう。
「……《大地信仰》の適合者が『雑貨屋』に目を付けたのであれば、奴は悪魔だと断ずることが出来るわけか」
眉間に皺を寄せたロロネリアに、フェインは一言「はい」と返した。
「一つ、よいか? ならば何故貴公らは『雑貨屋』を殺さんのだ? それだけの悪魔がこの都市にいるのであれば、貴公らは都市を守るために排除すべきだろうて」
ゼグラの問いを聞くやいなや、フェインは今日初めて表情を歪める。
彼の発言は全く理に適っていた。高位の悪魔がこの都市にいるのであれば即刻それを排除すべきであるのは、誰もが――領主やサミュは違かったものの――異を口にしないことである。
しかしフェインたち灰狼騎士団はその存在を知っていながら秘匿としていた。それが灰狼騎士団そのものの性質とは言え、対象を観察していることはあまりにも悠長に感ぜられるだろう。
だが、フェインには悪魔を総てこちら側に引きずり出すという大胆な考えがあるのだ。
若干ばかり目を逸らし、しかしすぐに視線をゼグラに戻したフェインは、心配そうに見つめてくるミュシェの視線を浴びながら重々しく口を開く。
「それは…………複雑な事情がありまして。今はまだ、彼をこの世界から追放すべきではないと判断しました」
「吾輩にも言えんことか」
「…………」
フェインの考えは、ある意味で最も危険思想であるとも言えるだろう。この都市を壊滅に追いやりかねない一種の賭けなのだ。そのことを領主の近衛騎士団長たるゼグラに知られてしまえばフェインは、いや灰狼騎士団はこの都市にとって危険な因子であると認識されるに違いなかった。
顔の筋肉を強張らせたまま、フェインはゼグラを正面から見据える。
沈黙が続く。
「―――もういい。無駄話だ。その件は今度伺おう」
突然、ロロネリアがひらひらと手を振って部屋に充満していた重圧を振り払った。
「で、その話をしたということは、我々に何かさせたいのだろ?」
話題の転換を図るロロネリア。
しかしフェインもこれを好機とし、彼女の質問に乗る形でゼグラから視線を背ける。
「魔導院襲撃の折、連中は上位存在を放ってきました。なれば、この都市で大規模な戦闘となった場合、それ以上の悪魔を召喚してくることは自明と言えましょう。その場合、私は最前線にて交戦しますので様子を見ている暇がありません。有事の際は、お二人のどちらかに小隊を率いて『雑貨屋』の監視をお願いしたいのです」
悪魔を次々と生み出し続ける上位存在。
その討伐は何よりも危険な仕事だ。倒しても倒しても無限に増え続ける悪魔の中で、押し寄せる悪魔より強い存在の息の根を止めねばならぬのだから簡単なわけがない。
その相手を、フェインは自分が行うと言うのだ。
それは自信過剰なわけでも驕っているでも何でもない。単純に、倒せるから倒しに行くまで、なのである。
さも当然のようにフェインの口から上位存在討伐を請け負う言葉が出てきたが、ゼグラもロロネリアもそれについて言及しなかった。それもそうだろう、第三階位悪魔を一人で屠った―――二人がその事実を知っているかは定かではないが、『気』を自在に操ることの出来る様を見せつけられては異論を挟む余地などないのだ。
「常識的に考えれば、行くべきはこちらだろうな。大鷲騎士団は灰狼騎士団の指揮下に入るのだから」
ロロネリアは大きな翼を少し羽ばたかせる。
大鷲騎士団にフェインの手助けが務まるかは分からないが、少なくとも鬼種のゼグラであれば足手まといにはならないはずだ。となれば、乱戦混戦に烏翼種を向かわせる意味はないだろう。それに飛行手段があるのならば対象の監視には持って来いのはずだ。
「では、お願い致します」
フェインはロロネリアに頭を下げた。
「これで話は終いかな? 吾輩は一度―――」
―――バンッ!!
話が一段落したところでゼグラが席を立とうとした直前、突然に扉が勢いよく開け放たれた。
顔を上げたフェインがミュシェに釣られるように振り返ると、そこには見覚えのあるよく見かけない顔が。
「シンガイ? どうし―――」
「お話し中悪いんだが、バーニスにつけていた監視がやられたらしいぞ」
「なっ……!?」
「メフィスとフェレスが……!?」
フェインとミュシェは驚きに目を見張った。
直後、ミュシェは椅子を倒す勢いで立ち上がる。
「い、今はどこにいるんですの!?」
「メフィスの私室だ。メルルと影が看病に就いてる」
シンガイの不機嫌そうな声を聞いた次の瞬間には、ミュシェは部屋を飛び出していた。
フェインもそうしたいのは山々だったが、今は客人を迎えている最中である手前、勝手に席を離れるわけにもいかない。
それに、シンガイの言葉には不自然なところがあった。
「……フェレスはどうした?」
そう。フェレスについて言及していないのだ。
団員の私室にはベッドが一つずつしか置いていない。それは団長のフェインの部屋も同じである。
にも拘らずシンガイは、メフィスの部屋にいる、としか言わなかった。これは何故か。……考えられることは一つだけだ。
その最悪な考えはどうやら的中してしまっていたようで、シンガイは一層眉間の皺を深めた。
「さあな。行方不明だ。どうやら攫われたらしいが……詳しいことは本人の口から聞いてくれ」
顎をしゃくり上げて「早く来い」と告げたシンガイは扉を開けたままで姿を消した。
「どうやら気の置けぬ状況になっておるようだな?」
背後からかけられたのはゼグラの声だ。
フェインは振り返りながら、憎悪が滲み出していた表情を何とか取り繕う。
「申し訳ありません。部下が一人、《大地信仰》の手勢にやられたようで……」
「ならば行け。もう話は終わりだ。吾輩は後日改めてここを訪れることとしよう」
「はっ。よろしくお願い致します」
ゼグラの気遣いに感謝しつつ、フェインはメフィスの私室へと早足に向かった。




